不要な遠慮

 夕食の準備が出来上がれば、他の客人達が来る前に絃羽は部屋に戻ってしまった。作るのは良いが、知らない人と一緒にご飯を食べる勇気はない、と言っていた。

 桐谷家に引き取られてから、絃羽はずっと夕食を一人で食べてきた。ほぼ毎日この家には誰かが出入りしているが、その殆どが絃羽にとって知らない人だ。帆夏は一緒に食べようと食い下がったが、絃羽は「ごめん」とだけ言って自室に上がって行ってしまった。


 ──これも、このままじゃダメなんだよな。


 そう。これまでは、俺が一緒にご飯を食べていた。でも、ずっとそのままではいけない。

 なぜなら……俺は、ここにはそう長くいられないからだ。将来的にここで暮らす為にも、一度俺は東京に戻らなければならない。やれる事をやって、力を身に着けなければならない。絃羽も、ここに参加できるようにならなければいけないのである。


「あ、悠真くん。あの子の分も持って上がってくれる?」


 台所から美紀子さんに声を掛けられた。


「え?」

「あの子、自分の分も持っていってなくて」

「ああ……」


 彼女は二つのトレーにどう二人分の料理を乗せようか迷っているようだった。絃羽は帆夏からの誘いから逃げる為に、自分の料理も持たずに上がってしまったようだ。


 ──友達と一緒に久々に作った料理を、お前が食べなくてどうすんだよ。


 ちょっと抜けたところのある絃羽。彼女のそんなところも可愛いなと思うけれど、でも、このままで良いわけがない。せっかく、帆夏とも仲直りできていて、美紀子さんにも少しずつ甘えられるようになれているのだから、あと一歩踏み出さないといけないのだ。


「いえ、そのままテーブルに並べておいてください」


 気付けばそう言っていた。

 美紀子さんが怪訝そうに首を傾げた。


「あいつを、連れてきますから」

「悠真くん……」

「大丈夫です。今のあいつなら……多分」

「……そうね。じゃあ、お願いしようかしら。きっと、あの子の事は私よりもあなたの方がわかってるだろうし」


 美紀子さんのその言葉には頷かなかった。内心、そんなわけないだろう、と思っているからだ。

 彼女はただ優しいだけなのだ。いや、臆病さも入っているかもしれない。本当は絃羽の事を誰よりもわかっているはずなのに、絃羽の意思を尊重してしまうのである。おそらく……自分が、母親ではないから。


「……今回は、俺がやります。でも、もしまた次、あいつが引きこもろうとしたら、美紀子さんがあいつを無理矢理引っ張り出して下さい」

「悠真くん……」

「もし、美紀子さんがあいつの母親になりたいというなら……美紀子さんも遠慮しちゃダメです。親子なんだから。きっと、あいつもそれを望んでます」


 そうとだけ言って、俺は廊下へと出て、二階の階段を上っていく。

 この家に来て、もう三週間ほどが経つ。まだ気温は大して変わらないが、徐々に夏が終わりに近づいて行っているのを感じた。そして、それは俺の大学生活の終焉も少しずつ近付いてきている事を意味していた。それまでに、やらなければならない事は山積みだ。

 絃羽の部屋の前に立って、彼女に呼び掛けると、小さな声で「なに?」と返ってきた。入るぞ、と一言だけ言って扉を開けると、部屋は真っ暗だった。

 絃羽はベッドの上で、膝を抱えて座っているようだ。

 そのまま部屋の中に入って、彼女のベッドに腰掛ける。


「なあ、絃羽」

「……なに?」

「お前……ほんとは参加したいんじゃないか、夕食」


 絃羽は何も言わなかった。

 何となくだが、そんな気がしていた。彼女が夕飯を持って上がらなかったのは、忘れたのではなくて……彼女自身、迷っているからだ。帆夏や美紀子さんと一緒に夕飯作りをして、きっと楽しかったのだろう。帆夏の一緒に食べようという言葉も嬉しかったのだ。

 俺は絃羽の肩を抱き寄せて、そっとその綺麗な銀髪にキスをした。


「俺だけじゃなくてさ、美紀子さんも、帆夏も、武史も、お前と飯食いたいと思ってるぞ」

「でもッ……それ以外の人、知らないし、私が降りていったら、迷惑なんじゃないかって……思っちゃって」

「お前が知らないだけで、向こうはお前の事知ってるよ。こんだけ目立つ髪色してさ、綺麗なんだから。誰だって知ってるよ」


 さらさらの銀髪を撫でてやり、鼻を埋める。シャンプーの良い香りがした。


「それにさ、ここの家主、美紀子さんだぞ? 美紀子さんがOKだって言ったなら、OKだろ」

「それは、そうかもしれないけどッ……」


 絃羽がじぃっと自信無さげにこちらを見上げてくるので、もう一度肩を抱き寄せてから、頭を撫でる。


「大丈夫。俺が一緒にいるから。そしたら、出来るだろ?」


 絃羽は相変わらず自信無さげに見上げてくるが、小さな声で「頑張る……」と漏らした。

 そんな彼女が可愛らしくて、よしよし、と頭を撫でてやるのだった。

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