二人きりの食事
その日の夜も、桐谷家の居間は賑わっていた。
武史とその両親、ご近所の夫婦、あとはいつもの如く美紀子さんに片思いしているおっさん等十人近い人数が集まって、もはや宴会である。そこには笑いが絶えなくて、楽しい。
田舎のご近所付き合いは怠いものだ、と思っていた都会人の俺だが、今は何と言うか、そういう空間が好きになりつつあった。いや、空間というよりこの土地そのものが好きになってきているのだろう。穏やかに流れる時間が、何とも心地よかったのだ。
だが、ここに絃羽の姿はない。いつも通り先に料理を自室に持って上がってしまったのだ。帆夏が来ないならいいんじゃないかと誘ってみたが、「私がいると変に気を遣わせるから」と断られた。
しかし、そう言われて黙って引き下がる俺ではない。自分の食べる分だけトレーに乗せて、絃羽の部屋の扉をノックする。
とてとてという足音と共に、扉はすぐに開かれた。そして俺の手に持たれた料理を見るや否や、彼女が怪訝そうに首を傾げる。
「……私の分、もう持って上がってきてるよ?」
絃羽はちらりと部屋の中のテーブルを見て言った。どうやらまだ食事中らしく、食べかけのご飯が見えた。
「ああ、うん。俺もここで一緒に食べようかと思って」
「え⁉ な、なんで?」
途端に慌てふためく銀髪少女。意味がわからない、と言った感じだ。ただ、俺の方にはしっかりとした理由がある。
「絃羽と一緒に飯食いたいから」
「え……だから、なんで? 下の方が賑やかだし、ここで食べてもつまんないよ?」
「下は確かに賑やかだけど、絃羽がいないから」
俺がそう言うと、彼女は「あっ」と声を漏らした。どこか困惑している様でもある。
「悠真さんがいないと皆変に思う。下で食べた方がいいと思うけど……」
「美紀子さんには言ってあるよ。そしたら、そうしてあげてって」
正確には武史にも言ってあるけど、拳を握って人差し指と中指の間に親指を通して「グッドラック!」などと言ってくるからぶん殴っておいた。
「美紀子さんがそう言ってるなら、いいけど……」
どうぞ、と絃羽が扉から離れた。
促されるまま部屋に入ると、テーブル上にある自分のトレーを少しずらしてくれた。「さんきゅ」と言ってからトレーを置き、彼女の正面に座る。
テーブルの隅にはスマホが置かれたままで、僕ヒロのアニメが表示されていた。スマホでアニメを見ながらご飯を食べていたらしい。大学生のぼっち飯みたいだ。
「あれ、スマホ持ってたのか。それ俺も欲しいなって思ってた機種なんだよな」
絃羽の持っていたスマートフォンは今年の春モデルで比較的新しい機種だ。RAM数が高くサクサク動くと評判で、防水仕様でもある。
ただ、何故か絃羽はむすっとした顔でこちらを見ていた。
「何だよ」
「どうせ、そんな機種持ってても意味ないって思ったんでしょ。アニメとか漫画見るくらいしか使い道ないくせにって」
「いや、思ってないから」
「げ、ゲームだってするし!」
そこで張り合われても困るのだけれど。どのみち、ゲームとアニメと漫画を読むくらいにしか使っていないらしい。
別にその使い方が悪いとは言わない。俺も家に置いてあるタブレットなんかはそういった用途でしか使わないし。
「いや、そうじゃなくて、それならLIME交換しとかないか? 送り迎えの連絡時に便利だろ」
LIMEとは、日本人がメインで使っているメッセージアプリだ。仕事は別として、プライベートのやり取りはほぼこのアプリが使われていると言っても過言ではない。
「入れてない……」
「え?」
絃羽が気まずそうに視線を逸らした。
「LIMEのアプリ、入れてない……」
聞いてみたところ、連絡をする相手は美紀子さんくらいで、電話とメールで事足りるのだそうだ。
このご時世にLIMEのアプリを入れてない女子高生がいるとは思わなかった。本当に学校でも誰ともやり取りをしていないのだな、というのが見えてしまう。
「えっと、じゃあ俺と交換する? メールと電話でもいいけど」
「……うん」
どこか恥ずかしそうだけれど、嬉しそうに頷く絃羽。
結局絃羽はLIMEアプリを入れて、連絡先を交換するに至った。念の為電話番号とメールアドレスも交換しておいた。使い慣れていないと、いざという時に困ると思ったからだ。
──そう言えば、久々にスマホに触ったな。
ここで寝泊まりするようになってから初めて触れた。人と人の距離が近い場所だから、ここで生活する分にはスマホなんて必要ないかもしれない。武史や帆夏も何も言ってこないところを見ると、俺達が普段使っている程使用頻度が高くないのだろう。
──そういうのって、いいな。
確かにスマホは便利だ。でも、スマホが奪ってしまったものも山程ある。例えば、人との距離や肉声での会話。この町には、そうしてスマホに奪われてしまった生活があるように感じた。
久々にLIMEを開いてみれば、未読のメッセージと着信履歴が山程あった。サークルやゼミのグループチャットを除けば、元恋人の
──浮気しておいてよく言うよ。
うんざりとした気持ちになって、俺は歌耶をミュートリスト(連絡の通知が来なくなるリスト)にぶち込んだ。
ブロックしてやりたいとも思うが、まだ大学で会う可能性はあるので、ミュートにとどめておくのが得策だろう。
──浮気されて失恋して落ち込んでたのが偉く昔の事に思えるな。
ここに来てまだ数週間なのに、失恋どころか歌耶の存在を久々に想い出した気がした。
スマホから離れて、東京から離れて、この町で暮らしているうちに、自分が失恋していた事すら忘れていた。絃羽や帆夏の問題ばかりに巻き込まれているからだろうか。
いや、そうではない。きっと俺は、嫌な事など思い出している暇がないほど、ここにいるのが心地良くて、楽しいのだろう。何だかんだで俺はこの町で救われているらしい。
「……彼女?」
俺の表情を見て、絃羽が唐突に訊いてきた。
女の勘だろうか。スマホを見ていた表情だけで勘付いたなら、恐ろしい洞察力だ。
「え? いや、違うよ」
俺は咄嗟にそう答えて、スマホの画面を消した。
なに、嘘は言ってない。向こうは納得できていない様子だけれど、恋人関係ではない。もう浮気した時点で終わりだ。
「悠真さんは、東京にいないの?」
「何が?」
「その……彼女とか」
絃羽がおずおずと重ねて訊いてきた。彼女がこうして俺のプライベートな事を訊いてくるのは初めてだ。
「いないけど、どうした? 絃羽もいっちょ前にそういう事には興味あるのか」
「わ、私だって一応高校生だし。少しは興味あるし」
悪いか、とでもいいたげな視線を送ってくる。
LIMEすら入れてなかったくせに……いや、そういう問題ではないか。実際に少女漫画はこうして買っているわけで、恋愛そのものには興味があるのだろう。
「そういう絃羽は? 気になる人とかいないのか?」
「えっと……昔、いたよ」
少しだけ迷ったようだが、絃羽は俯いたまま答えた。
予想外の返答に言葉を詰まらせてしまった。絃羽が昔どんな人を好きになっていたのか、興味がないかと言われれば嘘になる。
だが、武史から聞いた話によると、絃羽の学校生活は明るいものではない。興味本位でそれ以上踏み込んでいいのか、判断ができなかった。
──もしかして、武史だったりして。
それなら、お互い初恋相手だった事になる。そうだったら微笑ましいなと思う反面、どこか面白くないなと感じている自分がいた。
「あ、そうだ。明日、学校終わりは浜辺に集合な」
食事を終えて、二人分の食器をトレーに重ねて持って言った。
絃羽は後で自分で持って降りると言っていたが、どうせ降りるついでだから、と言って聞かせた。それに、ご飯を食べ終えてしまえば、俺がこの部屋にいる理由もない。
「浜辺? どうして?」
「遊ぼうかと思って」
「遊ぶ……? 別にいいけど」
怪訝に思ってはいるようだが、一応は頷いてくれた。
武史がいると言ったら来てくれないかもしれないし、それはまだ伏せておいた方がいいだろう。
「絃羽」
部屋から出る前に立ち止まって、振り返った。絃羽は「なに?」と首を傾げている。
「また一緒に飯食おっか」
少しだけ勇気を出して、言ってみる。何だか、もう絃羽に寂しい思いをさせたくなかったのだ。
「……うん」
彼女は微笑んで小さく頷いてくれた。何だかそれが、妙に嬉しかった。
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