それぞれの事情③
「まあ、いいよ、俺は。ユウ兄に協力するよ」
部活もないし、と武史は付け足した。
「え、マジで⁉」
驚いてまた空振ってしまった。完全に負け越している。
「まあ、何つーか……ちょっと罪悪感みたいなもんあるんだわ、俺も」
ラケットをバットに見立てて、素振りをする。ラケットの網目に、びゅっと凄い風圧が加わっていた。
「罪悪感?」
「ああ。さっき帆夏の初恋相手バラしちゃったから、俺も言うけど……俺の初恋、絃羽なんだよな」
「え、マジかよ⁉」
びっくりしてサーブも空振りしてしまった。
武史がくっくと笑いながら、正の字を書き足す。ダメだ、もうこれ絶対に逆転できない。
「いや、だってさ、絃羽……めっちゃ可愛いじゃん。顔ちっちぇし、目も肌も綺麗だし、芸能人より可愛くない?」
「まあ……それは、確かに」
芸能人なんて会った事はないけれど、少なくともテレビや雑誌で見るアイドルやモデルよりも可愛いとは思う。うちの大学のミスコン優勝者よりは絶対に可愛い。
変に意識するとドキドキしてしまうのでなるべく意識はしないようにしているが、実際は結構ヤバい。たまに無防備なパジャマ姿の絃羽と鉢合わせた時なんかは動揺しないように必死だ。向こうが恥ずかしがってくれているので何とか体裁を保てているが、傍から見たらさぞ滑稽だろう。
「だろ⁉ あんな可愛くて大人しい子と、もう一方の比較対象はガサツで狂暴な帆夏だろ? そりゃ惚れるってわけよ」
それを聞いたら帆夏がまたキレると思うのだけど。
「それで、罪悪感ってのは?」
「ああ、うん……かっこ悪いんだけどさ、中学ん時、絃羽の事好きだったくせに、あいつがシカトされてた時に助けてやれなかったんだよ」
がりがり、と消え掛けた俺達の間にあったネット代わりの線をカカトで描きながら、武史が続けた。
「助けたいって思う反面、帆夏とギクシャクするの面倒だったし、他の奴とも気まずくなるのも嫌だったからさ。俺は自分の保身の為に、絃羽を見捨てたんだ」
最低だろ、と武史は自嘲的な笑みを浮かべた。
要するに、彼は絃羽に恋心を抱いていながらも、火中の栗を拾いに行く気にはなれなかったのだ。
武史の気持ちはわからないでもなかった。中学生にとって、世界は家と学校の二つしかない。しかも、この田舎となると、学校と家は深く繋がっているのだ。
例えば、武史にとって帆夏は学校だけでなく、夕飯時にも会う幼馴染なのである。絃羽を助けると、学校だけでなく家でも、その負担を背負わなければならなくなる。中学生の様に狭い世界でしか生きれない場合、その負担は俺達大人が想像するよりも遥かに重いだろう。
「でも──」
武史は俺を見て、続けた。
「最近の絃羽、なんか楽しそうなんだ。直接話したわけじゃなくて、学校で見掛けるくらいなんだけど、何となく雰囲気でさ」
「え、何でだろ?」
「鈍いな。ユウ兄がいるからに……決まってんだろ!」
隙あり、と言わんばかりにいきなりサーブを打ち込んできやがった。何とか対応して打ち返す。危なかった。
「お前な、いきなりは卑怯だぞ!」
「へっへーん、油断したユウ兄が悪い!」
小学生だった頃と変わって、随分こいつもずる賢くなってしまったものだ。
「まあ、だからさ、俺もそれ手伝うよ」
何度かラリーを打ち合うと、彼は言った。
「罪滅ぼしになるわけじゃないけど……皆で遊んでた時、俺も楽しかったからさ。やっぱ初恋の人には笑ってて欲しいじゃん?」
「武史……」
全く。数年会わないだけで、あの小学生の悪ガキがえらく大人な物言いをするようになるものだ。
「まあ……それに、ユウ兄になら、俺の初恋相手任せても大丈夫そうだしな!」
「え⁉」
「うりゃ、隙あり!」
俺が一瞬動揺した隙に、またスマッシュを決められてしまった。シャトルが砂浜に突き刺さっている。
「てんめぇ~!」
「ぎゃっはっは。そろそろ時間だろ? ハーゲムダッツ奢りな」
時計を見ると、確かにもう三時前。そろそろ絃羽との待ち合わせ時間だ。
「まあ、こう見えて帆夏とは付き合いも長いからさ。あいつの弱点もわかってる」
タオルで汗を拭って替えのシャツに着替えていた時、武史が唐突に言った。
「弱点?」
「そそ。あいつが嫌でも動かざるを得ない弱点。まあ、我に策アリ、だ。任せときなって」
自信ありげな表情から、心強い味方を得たな、と思わされるのだった。
色々この数年間の話も聞けたし、このバドミントンは有意義だった。ハーゲムダッツ代くらい安いものだ。
「なあ、武史」
「あん?」
「頼りにしてるよ」
「おう!」
ガチっと拳を合わせる男二人。
数年前小学生だった彼は、今や高校生。対等に話せる仲になっていて、思わず時間とは凄いなと思わされるのだった。
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