彼女の好きなもの
一応ノックすると、部屋の主から「は、はいっ!」と少し緊張した声色で返事が返ってくる。
こう、そうした変に緊張した空気を出さないで欲しい。こちらも緊張してしまうから。
──
彼女の部屋はずっと鍵がかかっていて、中を覗き見た事もなかった。
緊張した面持ちのままドアノブをゆっくり捻って、そのまま扉を開けた。
「へえ……綺麗にしてるんだな」
素直な感想が漏れた。
部屋の中はパステルカラーで統一されていて、女の子らしい佇まいとなっていた。彼女の銀髪とも合っていて、この部屋に絃羽がいる事に違和感がない。
部屋の奥にベッドがあって、勉強机と丸テーブルがある。あとはカバーに覆われた本棚が三つと、ケア用品が並んだ小さな化粧棚。
ここはもともと和室だったはずだが、カーペットやカバーで上手く和の部分を隠して、パステル調で整えている。彼女はインテリアが好きなのかもしれない。
一歩部屋の中に入ると、女の子特有の甘い匂いで満たされていて、思わずドキッとしてしまった。
──何でこんなにドキドキしてるんだろうな。
女の子の部屋に入るのは初めてではない。
あの時も初めての経験で緊張したのは覚えている。でも、今は──それよりももっと緊張していて、それはきっと、絃羽の部屋だからだ。普段意識しない様にしているが、こうして部屋に入ると意識せざるを得なくなってしまう。
「あんまり、じろじろ見ないで……」
ベッドに座ったまま、絃羽が恥ずかしそうに言った。よく見ると顔も少し赤い。
「ああ、ごめん。えっと、それで漫画って?」
「こっち」
絃羽はベッドから立ち上がって、本棚に被せてあるカバーを退けた。
部屋の統一性が失われないように、本棚もパステルカラーのカバーをかけて隠しているらしい。意外に几帳面なようだ。
彼女の横に並んだ時に、ふわっと甘い香りが鼻孔を擽った。いつもより意識してしまって、横の絃羽をちらりと見る。すると、彼女もこちらを見ていて思わず目が合った。互いに慌てて視線を逸らして、変な空気が流れる。
少し気まずい思いをしながらも、本棚へと視線を戻した。幽丸白書に、ドラゴンソウルZ、ガイルの大冒険、ブラックドッグ、ルンベルクの紋章……タイトルを順に見ていて、ふと気付く。
「あれ? これ、昔俺が勧めた漫画ばっかじゃないか?」
まだ絃羽達が小学生の頃の話だ。
「ち、違うしッ! 別に、
「そうなの?」
こくこく、と顔を真っ赤にしながら頷く。
もしかして、俺の影響で少年漫画ばっかり読むようになってしまったのだろうか。
「じゃあこっちの本棚は?」
「あっ、そっちは──」
ダメ、と彼女が言い切る前に、本棚のカバーを開けてしまった。
そこにはぎっしりと少女漫画が詰め込まれていた。アニメ化された有名なタイトルから、見た事がないタイトルのものまである。
絃羽が途端に顔を茹蛸のようにまっかっかにしていた。
「あ、ああ、ああああ、えっと、その、こここれは……ッ」
やばい、まずった。何だかめちゃくちゃ狼狽させてしまっている。
「あー……別にいいんじゃないか? 少女漫画くらい。女の子なんだし、普通だろ」
とりあえず慌ててフォローを入れる。
絃羽は何か言おうとしたが口を噤んだ。じぃっと浅葱色の瞳で責める様に見てから、『僕らのヒーロー研究所』のコミックを手に取って、ベッドに戻っていく。
そういえば僕ヒロも俺が奨めた漫画だ。あの当時は連載開始直後でダークホース的な存在だったけど、今はアニメ化してヒット作の仲間入りを果たしている。
「俺もここで読んでいい?」
絃羽は顔を赤くしたまま、こくりと頷いた。どうやら部屋に滞在する事は許されたらしい。
そのまま少女漫画棚の方から何冊か手に取ると──
「何で少女漫画なの⁉」
いきなり怒られた。
「いや、だって……少年漫画の方俺全部読んだ事あるし。少女漫画なんてほとんど読んだ事ないからさ」
「男の子が読んでも面白くないよ!」
「そうか? その発想でいくと僕ヒロも女の子が読んでもつまらなくならないか?」
「うぅ……」
至極当然な反論に、思わず言葉を詰まらせる絃羽。可愛いなぁ、ほんと。
「それに……絃羽がどういうのを面白いって感じるのか、俺も知りたいし」
これは本音だった。
確かに絃羽とは昔遊んでいたけれど、彼女が何を面白いと感じて、楽しいと思うのか等、俺は何一つ知らなかったのだ。そういったものを少しずつ紐解いていけば、空を飛びたがる理由も、それを防ぐ方法も見えてくるかもしれない。
絃羽がムスッとしたまま僕ヒロの漫画をベッドに置いて、もう一度本棚の方まで来ると、何冊か少女漫画を取った。そして、その漫画を俺に手渡す。
「多分……それよりこっちの方が、面白いと思う」
絃羽が俺の手元の漫画を見て、恥ずかしそうに言った。
さっき取った漫画は如何にも少女漫画な絵柄で、ちょっと男の俺には読むのに抵抗があった。一方、絃羽が選んでくれた漫画は俺でも親しみやすい絵柄だった。
「これが絃羽のお勧め?」
「うん」
絃羽は小さく頷いてから、照れ臭そうに微笑んだ。
胸がきゅんと締め付けられた気がしたけれど、それを慌てて振り払う。美紀子さんの思うがままになっているのが何だか腹立たしかった。
そのまま彼女の部屋で、彼女のお勧め漫画を読む。時折質問すれば解説もしてくれるし、その解釈から絃羽の考え方が垣間見える時もあった。何だかそれが嬉しかった。全然夏っぽい遊びではないけれど、まずはこういうところから始めるくらいでちょうど良いのかもしれない。
そのまま俺達は夜更けまで漫画を読んでいて、美紀子さんに早くお風呂に入れと叱られたのは言うまでもない。
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