生きる目的

 武道場から出て時計を確認すると、時間は十時半を迎えた頃だった。補習は一五時までらしいので、五時間も持て余すことになる。

 さっき話して知ったのだが、絃羽いとはは成績が悪くて補習を受けているわけではなく、ただの暇潰しで受けているそうだ。午前中は園芸部──と言っても、昨年に廃部して、その後は絃羽が一人で花壇の手入れをしているそうだ──の仕事で、午後は補習。

 その理由は聞かずとも明白で、昼は家に帆夏ほのか武史たけしが来るからだ。彼女は二人と顔を合わせない為に学校で時間を潰しているのだろう。そして、夕方までふらふらと歩いて、夕飯前に帰ってそこから来客が帰るまで部屋に閉じ籠る──美紀子みきこさんから聞いた話とも照らし合わせると、きっとこんな感じだ。

 どうして絃羽はそんなに孤独に生きようとするのだろうか。ただでさえ、両親がいなくなって孤独だと言うのに。


『私がいると、迷惑だから』


 絃羽はこう言っていた。

 一体誰にとっての迷惑なのだろうか。美紀子さん、帆夏、武史……或いは、それを含めての全て。


 ──そんな事ないと思うんだけどなぁ。


 大きな溜め息を吐いた時、金属バットの球を打つ音がグラウンドから聞こえてきた。

 そういえば武史は野球部だったことを思い出し、ついでにグラウンドのほうを覗きにいってみた。

 グラウンドでは、ノック練習をしていた。武史はサードの守備位置についており、コーチの激しいノックを受けている。高校野球には縁がなかった俺だが、こうして一生懸命に練習している姿は、それだけでかっこよかった。

 途中、武史が俺に気付いてこっちに手を振ってくれた。


 ──武史、か。あいつが一番、絃羽と帆夏の間を取り持ってくれそうだよな。今度話してみようか。


 何となくそんな事を考えながら、ノック練習をしばらく眺めていた。

 それから暫く練習を眺めていたが、武史の意識がこちらに向いている気がしたので──何だか俺に良いところを見せようとアピールしている──あまり長居しても迷惑になりそうだ。そろそろ帰ろうと思った時に野球ユニフォームを着た生徒二人とすれ違い、ふと嗅覚が違和感を覚える。


 ──タバコ?


 今一瞬、彼らからタバコの臭いがした、気がする。


 ──まあいいか。俺には関係ないし。


 それよりも暑いし眠い。一度家に帰って二度寝でもしよう。そう思ってふらふらと海沿いの道を戻っていると、ほどなくして絃羽が飛び込んだ〝旅立ちの岬〟が見えてきた。

 太陽が燦々と照り付け、海が綺麗に光っている。海と空が交わっていて、境界線の彼方まで飛んでいきたくなる気持ちが少しわかった。海鳥は上手く風に乗り、空高く羽ばたいて海の奥へと旅だっている。

 俺達は、彼らのように飛べない。岬の先で両手を広げていた絃羽の姿を思い出し、切なくなった。

 彼女はどこに飛んでいきたいのだろうか?


       *


 家に戻る最中で、農具を担いでいる美紀子さんに遭遇した。今から一度家に戻るとのことなので、農具を代わりに持ってみると、予想より重かった。農家の人達はこんなものを毎日担いで作業してるのか、と感心せざるを得ない。美紀子さんが昔と変わらず老けない理由が少しわかった気がした。

 同時に、田舎のお年寄りが元気な理由もわかった。きっとこうして働く理由があるからだ。生きる目的があると、きっと人は老けにくい。

 対して俺は?

 もう既に生きる目標を失いかけている。三十路になる頃にはぐっと老けこんでいるだろう。

 そんな事を考えながら美紀子さんとお昼を食べ、午後は美紀子さんの畑仕事を少し手伝った。手伝ったといっても、そんな大した事ではない。キュウリの収穫を一緒にやっただけだ。

 今までここに来た時でも、こうして畑作業を手伝ったことはなかったので、都会暮らしの俺からすれば新鮮だった。暑いけど、何も考えなくていい。それは俺にとって幸せなことだった。

 それから数時間は美紀子さんの手伝いをして、一度帰ってシャワーを浴びてから、再び学校に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る