6【第三話 終】

 大きく深呼吸する。


 鏡を見れば、きっとあたしは満面の笑みを浮かべていることだろう。もうあの顔に一喜一憂しなくていい。


 それにしても……、


 こんなにもうまくいくなんて思わなかった。霊能者に依頼するのはこれで何人目だったか、もうはっきりとは覚えていない。いままで頼んできた奴らが総じて三流だとすれば、先生は二流程度だろう。偉そうな雰囲気だったけれど、一流にはほど遠いな。だって……。


 まぁあたしのとってはこれ以上ないほど、好都合な相手なわけだし、文句はひとつもない。そう……、あの二流の先生こそ、あたしが求め続けてきた相手だ。


 何が、ひとの嘘だって見抜きます、だ。あぁ駄目だ、本当に笑いが止まらない。まぁ、すこしは疑っていたみたいだけど、真相に辿り着けなれば、一緒だ。残念だったね、先生。


 あんたは一流の皮を被った二流でしかなかった、ってことだよ。本当に感謝はしているんだけど、それでもやっぱり見ていて滑稽だったね。


 あぁ、先生にもし一流なところがあるとしたら、まぁ……、あたしの役に立つ、って意味じゃ、どこまでも一流だ。


 手のひらにはまだ、真っ赤に染められた血の記憶が残っている。


 あいつは自殺なんかしていない。自殺するような人間なんかじゃない。あいつはあたしが殺した。でもあたしは悪くない。悪くない悪くない悪くない。絶対に悪くない。


『大丈夫。もう終わりだから。もうすこしだけ我慢して』


 あの日、オートロックのドア先に逃げ込もうとしたあたしの手を掴んで、あいつはそう言った。あたしを自分の身体のそばに強く引き寄せて、あいつの震える手で揺れるナイフが青白くきらめいていた。首筋に当てられた時の、あのひんやりとした感覚はいまも残っている。騒がないでね、と穏やかな口調であたしの耳もとに囁いて、凶器と狂気に脅されたあたしは、部屋に入ろうとするあいつを拒絶できなかった。


 心中しよう。


 と言われた時、あたしは絶対に嫌だと思い、その場で必死にもがき……。


 揉み合いになって、最後に血塗られたナイフを手にしていたのは、あたしだった。


 死ぬなら勝手にひとりで死ねよ。こっちを巻き込むな。


 もちろん殺す気があっての行動じゃなかった。殺意はひとつもなかった、と誓って言える。だけど事実としてあたしの殺した死体が目の前にあり、それが正当防衛だと信じてもらえる保証は何ひとつなく、こんな時に多少付けた半端な法律知識は役に立たない。自首したら状況が状況だけに、仮に正当防衛が認められなかったとしても、情けをかけてもらえるだろうか。


 ……嫌だ。


 こんな奴のために、欠片でも罰は受けたくない。


 ナイフの柄とか、揉み合った時に付着しただろう指紋で気づいた部分は拭き取り、ナイフや死体の位置を変え、可能な限り自殺に見えるように心掛けたけれど、あたしが死体に対して持っている知識はミステリ小説やドラマ程度で、細工は本当に簡単なものでしかなかった。


 誤魔化せる自信はなく、諦めの気持ちも大きかったけれど、あいつの死は自殺と判断された。


 あいつがストーカーであたしが被害者、という事実に加えて、あいつの自宅から自殺をほのめかす内容の日記が出てきたことも大きい。


 すべてがあたしに運の向く形だったわけだけど、そもそも、殺されそうになった時点でひどく不運なのだから、それを思い出すと、何とも言えないような気持ちになってしまう。さらに死んだあとも、幽霊となって憑き纏われ続けるのだから。


 あの赤黒いしみとなった顔を見るたびに、あたしは何も言わないその顔から声なき声を聞く。幻聴ではないだろう。表情はときに声よりもおしゃべりになる。


『人殺し。俺は絶対にお前を許さない……』


 先生は怨嗟の声まで聞き取れるなんて言っていたけれど、本当にあいつの声を聞いたのなら教えて欲しいものだ。


 ありがとう、最高だよ。二流の先生。


 どこまでもあたしは相手選びに慎重だった。万が一にもあたしの罪が露見してしまうことがあってはいけない。絶対にばれたくない。本当に能力のあるひと、勘の良いひと、鋭いひとならば、あたしの嘘にもしかしたら気付くかもしれない。だから自然と選ぶ霊能者は名が知れつつも、人格的に難のよく見える人間ばかりになった。金にがめつい、なんて、まさにそうだ。そういう相手ならば仮に犯罪の事実に気付いてしまったとしても、向こうにも後ろ暗いところがあるだろうから、正義感から警察に、とはならない可能性が高いからだ。


 だけど、これまでの奴らは、本当に能力のない三流ばかりだった。


 今回こそあたしがこれまで求め続けてきた、


 理想の、二流のひと。


 あたしの歓喜に水を差すように、スマホの着信音が鳴り、表示された番号を見ると、知らない番号だった。


「はい――」


『あなたごときが、調子に乗らないでね』


 もしもし、と続けようとした言葉は、相手の言葉によってさえぎられる。


 低めの男性の声だ。誰……?


「何を……」


『この一言は、先生からの伝言です。嘘はいけません。先生なら、いえ助手の自分でさえ、あなた程度の嘘なら見抜けます。あなたの良心を試したくて、もう一度、確認させてもらったのですが、残念ながらまた嘘をついた。それもひどく信頼を裏切るような嘘を。最初に会った時、言いましたよね。依頼人との間に信頼関係をきちんと築けているか、というのは、この業界、そして先生にとって、何よりも大切なことですから。もちろん正義感なんて我々には欠片もありませんよ。そんなものより、真摯さや誠実さを見たかったのです。初めて会った時点で、あなたの嘘には気付きました。それでも……、もともとあなたは被害者ですから、真実を話してくれたら、ちゃんと除霊してあげよう、って先生が言ってくれたんです。あなたの口から真実が聞けることを祈っていたんですが、残念です……個人的にも……本当に残念です……』


 これがあのコウさんだろうか、と思うほど、饒舌な語りだった。口を挟む隙もない。でも話の途中からその言葉をさえぎる気持ちを失っていた。彼の言葉がどうでもよくなるほど、別のことに気を取られていたからだ。


 ちゃんと除霊してあげよう……?


 あぁ……、いる……。だけど、いままでとは違う……。


 赤黒いあいつの顔は際限なく広がっていき、あたしの影を、そしてあたしを呑み込んでいく。

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