今すぐ全部食べたい

「え、勉強教えてって言われたん? それって、もしかせんでも結構いい感じちゃう?」


 お弁当の卵焼きをつまみあげながら、香苗が言った。私は緩む頰を押さえながら、声をひそめて「やっぱりそう思う?」と尋ねる。

 お昼休みはだいたいクラスの女子グループ数人でごはんを食べることが多いけど、週に一回くらいは香苗と二人きりになる。今日は他のみんなは学食に行くと言うので、私たちは教室に残ってお弁当を広げていた。

 私は香苗以外の女の子とも仲良くしているけれど、二年になってから同じクラスになった子たちとは完全に馴染めているわけではない。一緒にいてもなんとなく、お互いにまだ猫をかぶっているような感じがする。私の高梨くんへの片想いを知っているのも香苗だけだ。みんなと一緒にいるのが嫌なわけではないけれど、香苗と二人でいると肩の力が抜けてほっとした。


「二人で放課後勉強するとか、これはもうほぼ付き合ってるんちゃうかな? って……」

「何を言うとんねん。現実を見なさい」


 香苗が私の額をぴしりと叩いて、強めのツッコミを入れた。こういう思い込みが激しいストーカー気質なところも、香苗にだけ見せられる一面だ。私は額を押さえながら、タッパーに入ったオムライスを口に運ぶ。昨日の晩ごはんの残り物だ。


「でも、わざわざ璃子にお願いするってことは、多少下心あるやろな」

「し、下心……」


 下心、と言われるとなんだか妙にいやらしく感じる。それを言うなら、毎晩彼とイチャイチャする夢を見ている私なんて下心の塊だ。

 ――おれ、自分の気持ちが整理できるまで、璃子に手ー出さへんから。

 ハルくんは数日前の宣言をきちんと守り、ハグやキスはしても、それ以上のことはしてこなくなった。彼の発言の意図はよくわからなかったけれど、結局私自身がまだ彼を受け入れる勇気がないんだろうな、と解釈した。所詮は私の夢なのだから、そんな深層心理の不安が反映されていてもおかしくはない。いつか私の心の準備ができたときに、うんと優しく抱いてくれればいいな、と思うのだ。


「璃子たしかに賢いけどさ、頭良い奴やったら他にもいるやん。高梨くん男友達多そうやし、わざわざ璃子に頼まんでもよくない?」


 私の成績はクラスでは上の下程度だ。英語と国語は上位数名に食い込めるけれど、それ以外は平均点の少し上ぐらい。胸を張って他人に教えられるほど、頭が良いわけではない。


「そ、それってやっぱり下心なんかな?」

「そんな嬉しそうな顔して言うことちゃうやろ」

「……高梨くんやったら普通に嬉しいもん」


 私は更に声のトーンを落として、廊下側の自席に座っている高梨くんにチラリと視線をやった。とっくにお昼ごはんを食べ終えた高梨くんは、綿貫くんと二人でスマホ画面を見ながら爆笑している。面白い動画でも見つけたのかもしれない。おなかを抱えてヒーヒー笑っている姿を見て、私の胸はきゅんと高鳴った。高梨くんの顔はちょっと怖いけれど、笑っているところは本当に無邪気でかわいい。


「……頑張ってもうちょっと距離縮めたいな」


 私がぽつりと呟くと、香苗が嬉しそうに身を乗り出してくる。


「お、珍しくやる気出してるやん」

「せめて、目を見て喋れるくらいにはなりたい!」

「ハードル低っ」


 オムライスを食べ終えた私は、鞄からタッパーに入ったマドレーヌを取り出した。昨日の夜、試験勉強の気分転換に作ってみたのだ。香苗に向かって「ちょっとしかないけど、二人で食べよ」と差し出す。


「やった。璃子の作ったお菓子めっちゃ好き」


 香苗は目を細めて笑うと、嬉しそうにマドレーヌに手を伸ばす。お菓子作りは私の隠れた趣味である。とはいえ自慢できるような腕ではないので、ひっそりと香苗や部活の友達に振る舞う程度だ。もぐもぐとマドレーヌを頬張っていた香苗が「あ、そうや」と思いついたように口を開いた。


「璃子、高梨くんにもお菓子あげてみたら?」

「え!?」


 私は思わず大声をあげてから、しまったと口を押さえる。市販のものより甘さが足りないマドレーヌをお茶で流し込みながら、私は答える。


「いや、さすがに無理……そんなに美味しいわけでもないし」


 一度作りすぎたカップケーキを翔ちゃんにあげたとき、いつもの無表情のまま「なんかめっちゃ喉渇くな」と言われたことがある。それ以来、私は仲の良い友達以外にお菓子をあげるのをやめた。


「そうかな? うちは好きやけど」

「それ、友達補正やろ。でもありがとう……」

「今度作って持ってきてみたら?」

「でも、手作りとかあかんタイプかも」

「そんな繊細な奴には見えへんけどなー……訊いてみたら?」


 そう簡単に訊けたら苦労しない。未だに現実の高梨くんとは、挨拶と天気の話と世間話程度しかできないのだ。夢の中のハルくんにやったらいくらでも訊けるんやけどな、と思いながら、私はマドレーヌにぱくりとかぶりついた。




「え、女子の手作り? そんなんめっちゃ嬉しいに決まってるやん。みんなそうちゃう?」


 私の髪をくるくると弄りながら、ハルくんが言った。私はベッドの上であぐらをかいたハルくんの脚のあいだに座っていて、彼は手持ち無沙汰にずっと私の髪を触っている。


「でも、手作りあかん子とかもおるやん?」

「まあそういう奴もいるやろけど。少なくともおれは気にせーへんし、欲しいけどな」

「好きな子じゃなくても?」


 私の問いに、ハルくんはうーんと考え込む様子を見せる。好きではない女の子から手作りお菓子を貰う場面を想像しているみたいだ。ハルくんは熟慮したのち、口を開いた。


「……もともとそんなに好きじゃなくても、うっかり好きになってしまうかも」


 それはちょっと耳よりな情報だ。現実の高梨くんがそんなに単純だとはあんまり思えないけれど、私のメーターはかなりやる気の方に振れた。


「璃子、お菓子作るん?」

「え、うんたまに……」

「いいなー。めっちゃ食いたい」

「たぶん、そんなに美味しくないで。昔翔ちゃんにあげたときも、微妙なリアクションされたし……」

「……は? 翔真は璃子の手作り食ったことあんの?」


 ハルくんは眉間に皺を寄せて、あからさまに不機嫌そうな顔をした。そうすると、もともと良くない人相が余計に悪くなってしまう。背後から漂ってくる不穏な空気に、私は慌ててフォローを入れた。


「余ったから適当にあげただけ! もう二度と食べさせへんもん」

「うん、そうしてほしい」


 ハルくんは私の髪を撫でながら言った。もしかして今の、ヤキモチかな。これは私の夢だから完全な自作自演なのだけれど、どうしようもなく嬉しくなってしまう。ハルくんが私の作ったお菓子を食べているところを想像してみて、私の心は浮き立った。


「あーあ。夢の中に持ってこられたらいいのになー……そしたら、ハルくんにいっぱい食べてもらうのに」

「ほんま融通利かんよな、この夢。あーなんか腹減ってきた」

「ハルくんは何のお菓子が好き?」


 夢の中だから信憑性はイマイチだけれど、少しでも今後の参考にしておきたい。ハルくんは私の肩に顎をぐりぐりしながら「なんでもいい」と答えた。うーん、参考にならない。


「甘いもんは大体なんでも好き。チョコでもケーキでもクッキーでも」

「あ、クッキーならちょっと自信あるかも……」

「ほんならそれで。璃子が得意なやつがいい」

「……でもほんまに、そんなに美味しくないよ?」

「……好きな子が作ったやつなら絶対美味いし、なんでも食べたい」


 ハルくんが私を見ながら「好きな子」と言ったので、それだけで私は盛大ににやけてしまった。「えへへー」と笑って胸にもたれかかると、後ろからすっぽりと抱きしめられる。おなかのあたりに巻きついた腕の力が強くて、身動きが取れない。私の肩に顔を埋めたハルくんが、唸るように言った。


「……あー、めっちゃ美味そう」

「う、うん……」

「今すぐ全部食べたい……」

「お、お菓子の話やんな?」


 振り向いて確認をしてみたけれど、ハルくんは答えない。返事の代わりに私の頰に軽いキスをして、「……腹減った」と小さく呻いた。

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