記念日

常畑 優次郎

記念日

 目が覚めると林の中に居た。


 全身が痛むが外傷は無い。


 それよりもひどく頭痛が襲ってくる。


 どうして林の中に居るのかを思い出せない。最後の記憶では彼女と二人でドライブをしていたはずだ。


 だが、周囲には彼女どころか人の影も無く、月明りだけが辺りを照らしていた。


 すぐに電話をしなければと思い、スマホを取り出そうとするが、いつも入れているはずのズボンのポケットにない。全身をまさぐってみるが、結局電話どころか財布も鍵も普段持ち歩いているはずの物を何一つ持っていなかった。


 とはいえいつまでも立ち尽くしているわけにもいかず、俺は目の前の獣道を歩き始める。ここがどこかはわからなくとも、人にさえ出会う事が出来れば電話を貸してもらう事も出来るだろう。


 見たことの無い林の中を歩き続けるとほどなく林道に出る。


 やはりここも記憶に無い場所だ。


 一体どうなっているのだろうか。


 夢遊病にでもなってしまったかのようで胸の内に不安が広がる。


 もう初夏を過ぎているというのになぜか肌寒く。薄着で出かけた自分を恨めしく思う。せめて上着でも持ってくれば良かった。そんな後悔をしながら道を歩くがいっこうに人に出会わない。


 時間はわからないが、相当夜も更けているのだろう。


 何時間歩いただろうか、林道を降りに向かって延々と歩いていると、ほのかに街の明かりが視界に映った。


 明かりが見えるとすぐに広い駐車場に辿り着く。


 どうやらハイキングコースのある山なのか、駐車場には『ようこそーー山へ』と書いてある。--の部分がすれて読めなくなっているが、ここまでくればすぐに人のいる場所に着くことだろう。


 街に着いたら交番に向かおう。それでーーに電話して……。


 ーーって誰だ?


 俺の彼女のーー。一年前から付き合っていて今日は彼女の誕生日だったはずだ。それでしばらく前から用意していたプレゼントを車に乗せて、二人で……。


 頭が割れるように痛む。思い出そうとすると、どんどんひどくなるようだ。


 どこかで頭をぶつけたのか? 


 だから記憶が飛んでいるのかもしれない。


 それよりも早く電話をしなくては……。


 不意にエンジンの音が耳に届く。誰かが駐車場に入ってきたのだ。


「おーーーいっ!」


 これで連絡が取れる。


 ほっと息を吐き出し、両手を上げてヘッドライトの光の前に躍り出た。ぶんぶんと力強く手を振るが、車は慌てたように速度を上げると俺の横をすり抜けるようにして行ってしまう。


「なんだよ……」


 深夜帯にいきなり飛び出したから変質者と間違えられたのかもしれない。落胆の溜息をつき、仕方なく俺は道路を降り始める。


 悪寒は続いているが熱があるようには感じず、ただただ頭痛が襲い掛かっていた。それでも足を動かさねば野宿になってしまう。それだけはどうにも嫌だった。


 --はどうしたのだろう。俺がこうしてここで歩いているとなれば彼女はどこに行ったのか? 夕方までは間違いなく一緒に居たはず。


 失った記憶を考えると不安を通り越して恐怖になる。もし変な奴らに絡まれていたとしたら、彼女が危険な目に合ってないとも限らない。


 俺は疲労の溜まる足に力を入れさらに歩く速度を上げた。


 街に入る前にも民家が何件かあったが、こんな深夜に飛び込むのも申し訳なく思い、街に入れば交番があると先を急ぐ事にした。


 何か大事な事を忘れている気がする。


 それを思い出さなければならないと思うのだが頭痛が邪魔だ。


「どうしたんですか?」 


 話しかけてきたのはパトカーに乗った警察官だった。並走するパトカーにも気づかないなんて余程疲れているのだろうか。


 それでもこれで助かったと顔をあげる。


「良かった電話を借りれませんかっ?」


「電話? 君はどうしてこんな時間にこんなところを出歩いているんだい?」


「それは……」


 疑問に疑問を重ねてくる警官に若干の苛立ちを覚えながらも俺は現状を説明した。それよりも早く電話をかけなければ……。


「そうかい。じゃあ君はどこに電話をするんだ?」


「えっ……」


 警官の質問に言葉が詰まる。--に電話をしなければならないはずなのに番号が思い出せない。それどころか電話をして何を伝えるのかもわからなくなっていた。


「じゃあ君を安全な場所に連れて行けば良いのかな?」


「あっ!」


 不意に記憶が甦る。なぜ林の中に居たのかは思い出せないが、車をあの駐車場に止めたことは思い出せた。


「もしよければなんですけど……車のあるところまで送ってもらう事って出来ますか?」


「別に構わないよ」


 ダメ元で聞いてみたお願いを二つ返事で了承してくれた警官は後部座席のドアを開けてくれた。さすがは警察官だ。困っている人がいれば助けてくれる。


 車の中には彼女の為に買ったプレゼントもあるのだ。


 取りに戻らなければならないが、何時間もかけて降りてきた道を戻るのはさすがにつらい。体調もあまり良くないのだ。


 パトカーに乗り込んだ俺はドアを閉める。


「助かりました。ありがとうございます」


「いえいえこれも仕事ですから……」


 歩いて来た道のりは何時間もかかったが、車で戻れば数十分。すぐに駐車場に辿り着く。


「ここですかね……でも見たところ車は全然止まってないみたいですけど?」


「たしか……ここに……」


 記憶を辿るが、未だぼんやりとしか思い出せない。どうして車がここに無いのだろう……。


 今日は彼女の誕生日だった。ドライブをしてこの駐車場に止め山を登り、夜景を二人で見たあと車に戻り……。


 駄目だっ。頭が割れるようだ。


「もう時間が無いですよ」


「時間……?」


「ええ時間です。もう行かないと……」


 行く? どこに行くというのだろう? 仕事の最中だからだろうか?


 車内なはずなのにひどく寒い。身体が凍り付いてしまいそうだ。


「じゃあ俺をここに降ろしてもらっていいです」


「いえいえ貴方も行かなければなりません。それにもうすぐもう一人……」


「え? 何を言って……」


 何かがおかしい。警官の言葉が理解できない。嫌な予感が全身を包む。


 車の中に居ては駄目だ。なぜかはわからないがこのままでは取り返しがつかなくなってしまう気がする。


 後部座席のドアを開け俺は外へと飛び出す。


 ちょうど別の車が駐車場に入ってきたのが視界に映る。震える身体を引きづるようにして止められた車へと足を動かした。


「あ、あのっ!」


「どうかしたんですか?」


 出てきたのは男女二人。なんとか近づき声を上げる。だが身体を起こしている事が出来ない。蹲るようにしている俺に男の方が近づいてきた。


 不意に記憶が戻る。


 伝えなくてはならない。これが最後のチャンスなんだ。


「あそこに……あの柵の向こうに車が……救急車を……」


 途切れ途切れで話す俺は、駆け寄る二人に駐車場の端を指差す。


「大丈夫ですかっ?!」


「俺は大、丈夫で、す。それより、早く救急、車を……彼女が、まだあそこに……」


 切迫した気配を察したのか女性がすぐにスマホを取り出し電話をかける。男性の方は俺を気にしながらも駐車場の端へと確認に行ったようだった。


「よかったですね」


「うぅ、うぅ。かはっ……」


 頭上から声が届く。先ほどの警察官だ。


 全てを思い出した。思い出したからか俺の身体は全身が傷に塗れている。これが今の俺の状態なのだろう。両腕は曲がり、足は片方が千切れ、呼吸もまともに出来ない。


 それもそのはず、胴体に何かが突き刺さったように穴が開いていた。


 この駐車場の端に車を止め。プレゼントを取り出しだそうと身を後ろに乗り出した瞬間。サイドブレーキをかけていなかった俺の車に背後から別の車が突っ込み、そのまま崖下へと落ちたのだ。


 シートベルトを外していた俺はそのまま……。


「そのままでは支障をきたしますね……はい」


「……? なんで……」


 警官が両手を叩くと身体の傷が嘘のように無くなる。痛みも感じず息苦しさも無い。理解が追い付かないでいる俺に頭上からまた声が降ってきた。


「これから貴方が行くところには傷という概念は存在しませんから」


「……俺は死んだんだな」


「ええ死にましたよ。ですが貴方の最後の足掻きで彼女は助かるでしょう。良かったですね」


 死んで良かったと言われるとは思わなかったが、それでもこの男のおかげでーーを助ける事が出来た。それだけは感謝しなくてはならない。


「何かあればもう一つだけ特別に聞いてあげてもいいですよ」


 まるで俺の心を読んだかのような提案。そんなに腑に落ちない顔をしていただろうか。


「……じゃあひとつだけ」


 身体が薄くなっていく、もう時間なのだろう。この後どこに行くのかはわからないが心残りが一つ、


 目の前の警官が、死神かなにかわからないが彼女に届くように願う。


 車にある指輪の入った箱を処分して。彼女にプレゼントは買い忘れていたと……。


「わかりました。確かにお伝えいたします」


 その言葉が耳に届き、俺は穏やかな気持ちで天へと昇るのだった。


 


 ◆    ◆    ◆




 とある病院のとあるベッドの上で彼女は身体を起こす。


 先日事故にあい車ごと崖から転落したというのに、なんとか命を落とさずにすんだ。だが、運転していた恋人は帰らぬ人になってしまい。身体の傷よりも心の傷の方が深かった。


 不意に開いていた窓から室内に強い風が吹く。


 いきなりの事に目を瞑った彼女が目を開けると、机の上に箱が置いてあった。


 先ほどまではなかったはず、不思議に思い手を伸ばすとその箱には手紙が添えてある。


 宛名の無いそれを開くと、短く一行だけ書かれ最後に恋人の名前が描いてあった。


 愛してる。


 そこには失った恋人からの最後の言葉が記されていた。箱を開けると指輪が一つ。


 他に誰もいない病室で、彼女は手紙を抱きしめ声を上げずに涙を流し続けるのだった。


 


 

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