【KACPRO20213】かみさまはうそつきや(両サイド版)【第3回お題:直観】

なみかわ

かみさまはうそつきや


 松井まつい はじめという少年は、この小さな町にただひとつある学校の4年生だ。家は市役所のある別の町で、市の特認校の制度でここで学んでいる。

 それには二つの理由があった。

 ひとつは、『はじめ』がとても利口で利発で、--一般的な5歳6歳の考えや、大人ですら思い付かない物事ものことを話し、体験したがる。最初は近所のの名札をつけて、ピカピカの紺のランドセルで駆け出していたが、ひとクラス何十人という、失礼かもしれないが画一的な教育が、はじめにとってとてもつらく、ゴールデンウイークの前の頃には、理科で植えたヒマワリの鉢を持って帰ってきて、もう行かない、と泣き出してしまった。

 もうひとつは、はじめの家族のことだった。

 はじめの父親は、はじめの生後まもなく不慮の事故で亡くなっている。残された母親は、それよりも前--両親が結婚するより前から--躁鬱そううつがひどく、愛した夫が突然消えたことから、寛解していた体調は一気にバランスを崩した。は母親のことも『薬を飲んで体調を整えなければならない』とか、『将来は僕が医者になっておかんやおかんとおなじ病気の人をみんな治す』と周りに言っていた。しかし病状は残酷に、気分の振れ幅が大きいときは、母親ははじめに手をあげることもあったり、家事や食事も放棄する、といったことが増え、いずれ母親が入院することをふまえて、両親の実家への転校という心理的負担をおさえるため、「特認校の制度を使ってはどうか?」と『市役所からの提案』に、(落ち着いている状態の)母親や祖父母が同意した。


 3年後の初夏。


 の3年・4年にいるは、元気に、快活に、町の人たちにも受け入れられ、成長していた。しかし一方で、それだけ新しい考え方がひろがり、母親のことを、より深く、心配するようにもなっていた。

 小学生にとっては、悩みがあったときに頼るものは、どちらかといえば友達よりも父母や保護者で--一中学生になれば「友達」のほうを頼りにする者が増えるが--、自分のちょっとしたことを相談する相手であるべき母親が、体調が悪いというところで、あまり甘えるということをしなくなっていた。


 日頃のを気にかけていた一人に、通学路--市バスの町役場停留所から小学校までにある駄菓子屋の店主、美園みその あきらがいた。彰もまた、両親の介護のため、10年前に東京の一流メーカーを辞め実家に戻り、両親に尽くした。いまは、父が亡くなり、母は施設にいる。見慣れないランドセルを背負って停留所でバスを待っているのことが気になり、かつて同級生だった、町立小学校教諭に話をきくと、そういう理由でな、と説明された。 

 彰ははじめに話しかけるようになり、はじめが転校してきた1年の夏には、彰の店先にはじめの、まっすぐきれいに咲いたヒマワリの鉢があった。--家に置いていると、母親が調子の悪いときに、うっかり捨ててしまうかもしれない、とつぶやいたからだった。毎年種を植え、立派な花を咲かせたが、4年生の春になると、今度こそは『楽しみにしていると言ってくれた』からと、はじめは鉢といっしょにバスに乗って帰った。




 *************


 日めくりカレンダーがくっついてなかなか取れない。梅雨時にしても今年はかなりじっとりとしているな、乾物の置き場所を変えた方がいいかな、と彰は店のシャッターを開けた。まだ、はじめのヒマワリの置いてあったところは、くっきり跡になっていた。もうすぐバスから降りたはじめがここを通る。


「おはよう」

「……おはよう」

「どした?」

 すぐに返事が無い時、たいてい母親のゆきと何かあったのだと、彰は知っていた。

「ヒマワリ」「ん?」彰ははじめと視線を合わせる。

「きのう、、おかんにヒマワリ、た」

「そっか」「いちおう」

 はじめは否定するように頭をふり、

「朝はな、ごめんなっていうてくれたんやけど」

 とつづけた。彰ははじめの帽子を撫でた。


 このところ、帰りのバスを何本か遅らせることもあった。はじめの家に電話しても、「いつもお世話になってすみません」と明るい幸の声が返ってくる。松井母子おやこを担当している、民生委員の早川にも電話で探りを入れたが、「あまり込み入ったことまでは貴方にはお話しできませんが」という前置きを入れられたうえで、「最近はお母さんも体調がよく、また、ご自身で、別の病院を探したりしていて」順調だという。しかし、はじめは何冊も図書室から借りてきた分厚い本を、店のパイプ椅子にかけてだいぶ長く読み続けるようになっていた。

 バス停まで彰が付き添ったあと、歩道の縁石に、雨粒がいくつかついていた。



「アキラ」

 はじめは、彰をアキラと呼ぶ。

「ん?」

 時計は17時を過ぎていた。彰は薄い小さな帳簿をつける手を止めて、はじめを見た。はじめの手には、大きく分厚い、難しい哲学の本があった。

「ほんまに」

 ぱらぱらと軒先に雨粒がついた音に反応しながら、はじめは息を吐いた。

「ほんまに、ぼく、毎日ちゃんと、きちんと、悪いことしてへんかったら、おかんは治るやろか?」

「……しんどいか」

 彰は両親をていた、文字通り忙しかった--自分の心を亡くしていたころを思い出した。その瞬間ときに周りに一番かけてほしかった言葉を返す、「心配かもしれんけど、がんばれ」などとは決して言わず。

「……しんどいな」

 はじめは雨の音を聞くように、古びた自動ドアのガラス越しに、外を見た。


 翌日になっても、雨は止まず、朝には警報になって、学校は休校になった。すこし雨あしが弱まったら、車ではじめの家に様子を見に行こうかと、彰は臨時休業の貼り紙を用意した。はじめが置いて行った4冊の本も、紙袋に入れて持っていくことにした。そんな用意をしていたら、電話が鳴った。幸--ではなく、早川からだった。


「申し訳ないです。ご自身で病院に行くとおっしゃっていたから」




「まさか今日、こんな日に、はじめ君が朝に飛び出して行ってしまうとは思っていなかった」

 早川の焦る声が何度も彰の後悔を増幅させる。たまに強く降る雨は、運転席の視界を遮り、AMラジオの音をかき消す。じっとりとハンドルに汗がにじむ。--はじめと幸は喧嘩けんかをして、げんみつには幸が、感情を抑えられず暴れたのだろう--はじめは出て行ってしまったのだという。息が落ち着き、気が付いたらはじめはいなかった、と泣いて早川に電話をよこしたそうだ。


 彰は町立小学校に向かった。はじめが、はじめの話を信じるなら、立ち寄る場所は、小学校の裏山か、彰の店か、そのくらいだったから。

 らんぼうに車を止めて、すでに連絡をもらっていた町立小学校の担任たちとも話をした。裏山のことはそうで、彰は「店は開けてある、もしはじめがきたらと思って。誰か行ってもらえないか」と車のカギを投げ渡し、裏山へ走った。



 あれは数か月前か。

 店で話をしたことを思い返しながら、ぬかるんだ山道をすすむ。

「この前な。夢に、かみさまが出てきたんや。ぱあっと光ってて、ぜんぜん見えへんかったけど、『おまえの願いを3つ叶えてやろう』と言われたから、あれはかみさまやと思う」

「そうか」

「そんでな、だいたいみんな『無限に願いを叶えてくれ』とか『一億円くれ』とか言うやん」

「せやな」

「でもぼくは」

 はじめは彰にもらったシャープペンシルをカチカチと押しながら、断言した。

「かみさま、ぼく、ひとつでええわ。本に書いててん、とか、とか--まじめに、きちんとしとったら、おかんの病気を治してほしいって言うた。かみさまは、『わかった』、て言うてくれたで」

 はじめは子供らしくなく、なかなか他人よそに、つらいともくるしいとももらさなかったから。そういう気持ちをわかってやれるはずだったのに。彰はくそっ、と久しぶりに汚い言葉を土に落とした。


 山道を少し上ると、東屋あずまやがあって--はたしてはじめはそこのベンチに、ランドセルを前に抱えて、じっと座っていた。途中で強風にやられたのだろう、傘は木の床の上に転がっていたけれど、頭から水をかぶったように濡れていた。

「はじめ」

 彰ははじめにそっと、胸に入れていたタオルを渡した。はじめはそっぽを向く。

「しんどかったんやな」「……」

 彰ははじめが、自分からどうこうと口を開くまで、いつまでも見守ろう、と隣に座った。--止むはずの雨は、またひどくなってきた。東屋の屋根はあまり頑丈ではないので、はもちろん手を引いて帰るつもりだ。しばらく、雨の音だけが続いた。


「アキラ」

 はじめは立ち上がった。ランドセルが落ちる。座っている彰を、まっすぐ見た。

「なんで……なんで? 毎日、ぼく、ちゃんと手伝いして、宿題して、きちんとして、悪いことしてへんかったら、かみさまはお願いを叶えてくれるんと違うんかったんか」

「はじめ……」

「かみさまは、うそつきやな」

「はじめ!」

 子供に絶望の言葉を言わせたくない、彰は思わずはじめの肩をつかんでいた。大人の力で揺さぶってしまう。はじめの髪から、雨粒が落ちる。


「かみさまは、うそつきや」


 雨に加えて、ごうごうと風も聞こえた。はじめは唇を青くふるわせて、彰をじっとにらみながら、大粒の涙をこぼした。


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