第18話 わたしの妻に、勝手に飲ませるな

 ほう、と息をつき、ようやく会場全体をのんびりと眺めた。


 広い会場には、いろんな年代の人間がいる。


 外国人たちは、主に慶一郎たちと一緒にいるが、この国の人間は、同じ年代で固まっているように見えた。


 しかも、性別がきっちりと別れている。

 男性は男性。女性は女性。

 それぞれが数人ずつ集まり、グラスを片手に談笑をしていた。


(みんな、洋装なのね……)

 そういえば、振袖を着ているのは志乃しのだけのようだ。


 物珍しげに、ずっと見ていたからだろう。

 ひとつの集団の女性たちが、一斉に志乃を見返してきて、びくりと肩を震わせた。しまった、失礼だったろうか、と視線をそらしかけたとき。


 視界の隅に、見覚えのある顔を捕らえる。


郁代いくよ様……?)


 咄嗟に顔を戻す。

 やはりそうだ。


 雪宮での異母妹。


 彼女も今日は洋装に身を包み、志乃の方を見ながら、周囲の女性になにか耳打ちをしていた。


(お父様の仕事の関係でいらしたのね)

 自分と同じなのか、となんだか感慨深い。


 雪宮の家に居る時は、同じ空間に居ながらも、「あんたと私は違う」という圧力を感じて暮らしていた。


 だが、ここではそんな息苦しさはない。


「ねぇ、志乃。あなたお酒は飲める?」

 不意に話しかけられ、慌てて声の主を探した。

 アメリアが給仕の男性を呼び止め、グラスをひょいと摘まみ上げているところだった。


「飲んだことはないのですが……」

 細かい気泡が沸き上がる黄金色の液体は、非常に美しかった。


「じゃあ」

 にっこり笑ってシャンパンをひとつ志乃に手渡そうとしたのだが。


 アメリアは、ぶるり、と身を震わせて振り返る。


 なんだろう、と志乃も視線をたどると。

 会場の反対側では、慶一郎けいいちろうが鬼の形相でアメリアに何か訴えている。


「……過保護ねぇ。じゃあ、はい」

 どうやら、『酒を飲ませるな』と言っているらしい。


 口を尖らせたアメリアが、別のグラスを持ち上げ、志乃に差し出した。こちらも淡く黄色い色をした液体だ。


「レモネードにして差し上げたわ」

 アメリアは言い、べー、とばかりに慶一郎に舌を出すから、その子供っぽい仕草に志乃は仰天した。


「はああ。わたくしも疲れちゃった」

 言うなり、志乃の隣の椅子にどすん、と腰をかける。ふわりと鼻腔をかすめたのは、甘い香り。


(外国の匂いだなぁ……)

 この国にも〝匂い袋〟はあるが、こんな香りのものはない。


「きれいな着物ね。おばあさまの?」

「はい。貸していただきました」


「素敵だわ」

 にこにこ笑うアメリアに、志乃は目をぱちぱちとさせる。


「さっきも思ったのですが……。アメリアさんの国の方は、本当に褒めるのがお上手ですねぇ」


「この国の人間が褒めなさすぎるのよ。まるで、褒めたらだめになる、とでも思っているみたい」


 大仰に口をへの字に曲げるから、ぷ、と志乃は噴き出す。その様子を見てアメリアは笑い、シャンパンを口に運んだ。


 志乃も、彼女に倣ってグラスを唇に寄せる。ひやり、と冷たく硬質な感触の後、喉に流れ込んだのは、なんとも甘酸っぱい味だった。


「アメリアさんと一緒にいらっしゃったのは、旦那様ですか?」

 なんだか、口がしぱしぱするが、後口は良い。志乃は不思議そうにグラスを見つめてから尋ねる。


「まさか。恋人よ。結婚はまだしないの」

 くすり、と笑うアメリアに志乃は目を丸くする。


 二十歳の志乃は、この国では行き遅れの方だ。その自分より年上の彼女が「まだ結婚はしない」ということは、あちらの国には適齢期というものがないのだろうか。


「わたくし、ゆくゆくはパパの会社を継ぎたいと思っているし、多分、一生こうやって世界を飛び回っていると思うの。だから、そういうことに理解のある人でないと、夫にはなれないと思っているのよね」


 アメリアはグラスを掲げて見せる。どうやら、会場のどこかで彼女の恋人がグラスを掲げたらしい。


「彼が、わたくしに相応しいのかどうか。まだ、見極めが必要だわ」

「お父様のお仕事をアメリアさんが継がれるのですか」

 はあ、と志乃は素直に感心する。


「でも、わたくし、探検家にもなりたいの」

「探検家!」


「秘境とか僻地に行って、見聞録を書いて出版したいわ」

 優雅に微笑むアメリアに、言葉も出ない。自分にとって、本とは、読むものであって、書くものではなかった。


「志乃は?」

 不意に尋ねられ、志乃は目をまたたかせる。


「あなたの夢は何?」

「夢……」


 呟き、グラスの中のレモネードを見つめる。

 まるで月光を溶かして入れたような液体。


 母と死に別れ、雪宮の家に連れて来られてからは、「家から出る」ことが夢だった。


 それは「新たな家に入る」ということであり、志乃にとって、〝こっちの容器〟から〝あっちの容器〟に入れ替えられるだけの気持ちがしていた。


 そして、実際に瀧川家に来てみたのだけど。


 そこは、居心地がよく、とても柔らかな空気が存在する〝容器〟だった。

 以前のように閉じ込められるわけでもなく、役に立つために育てられるわけでもない。


 自分には役割があり、そしてそれを全うすることで、生活が循環する。


「……千代さまが末永くお元気で、そして旦那様と幸せに暮らせることでしょうか。いつか、子どもが出来て……。みんなで、幸せに」


 口にしてから、なんだか妙に落ち込んだ。


 アメリアのように、壮大なことを言いたかったが、自分が夢見て、かつ、かなえたい世界というのは、それだった。


「すいません。つまらなくて……」

 つい詫びると、アメリアは笑顔で首を横に振る。


「いいえ。子を産むのは女性にしかできないことよ。素晴らしく、そして未来のあることだわ」

 にっこりと微笑まれると、ほんの少し、自分に自信が持てた。


「夢って、変化するものよ。泡みたいに、ひとつ潰えたら、つぎが生まれるの。志乃も、子どもに手がかからなくなったら、別の夢に挑戦するときが来ると思うわ」

 アメリアはにっこりと微笑んだ。


「あなただけがかなえられる素敵な夢に、ぜひ、挑戦してみて」

「はい」

 なんだか、素直に頷けた。


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