第17話 こちらの国では、知識のある女性が、美人とされる

(……はあ……。すごい)


 石と煉瓦でつくる建物の、なんと厳めしいことか、と志乃しのは目を見開いた。


 木と土で作られ、そして紙で部屋を仕切るこの国の建物が放つ柔らかさに、今更ながら気づいた。


 ポーチの上は露台になっているらしい。

 すでにグラスを片手に会話をしている金髪碧眼の外国人たちを見上げ、志乃は慶一郎けいいちろうに連れられて建物内部に入る。


 電気が放つ明るさに呆気にとられ、絨毯の歩き心地に、きょときょとしていると、幾人もの外国人に目礼をされた。


 もちろん、相手は自分ではなく、慶一郎だ。

 同じように挨拶をかわす慶一郎を、すごいなぁ、と見ていると、自分にも視線を向けられていることに気づいた。


(な、なんだろう。なんか、変なのかな。……居心地が悪い……)

 頬を染めて俯くと、慶一郎が耳に口を寄せる。


「やはり、着物で正解だった。見ろ、あいつらを。この国の女の美しさを思い知れ」

 くくく、と喉元で笑いを押し殺す。


(いえ、それ、絶対この振袖が美しいだけで、私じゃないです……)

 耳まで真っ赤になって志乃は更にうつむいた。


 そんな彼女を連れ、慶一郎が使用人に名前を告げて、ホールに入る。


 そこはまた、きらびやかなシャンデリアが吊り下げられた会場だった。

 聞きなれない音楽は、あちらの国の物だろう。ピアノとヴァイオリンによって奏でられる音楽は、今まで志乃が聞いたどの旋律とも違っていた。


 ただただ、物珍し気に周囲を見回す。

 慶一郎が言うように、外国人だけではなかった。

 三分の二が実はこの国の人間のようで、志乃はほっとする。


「慶一郎!」

 低い男声と、聞きなれない発音に顔を向けると、外国人の夫婦が幾組もやってきて、ぎょっとした。


 思わず身を引きかけたが、慶一郎が、がっつりと脇を締める。これでは逃れられない。


 慶一郎は外国の男性たちと、やはり異国の言葉でやり取りを始める。


 外国の女性は、というと、興味深げに志乃を見ていた。


 どうしようか、と思ったものの、ぎこちなく微笑むと、ぱっ、と花がほころぶように笑みを浮かべてくれた。


(アメリアさんと同じ……)


 どうやら、あちらの国の人と言うのは喜怒哀楽を表情で示すらしい。ほ、と息をつく。


「こちらの国の言葉でいい。挨拶を」


 同時に、慶一郎が志乃に告げた。


 だが、志乃は、アメリアに教えられた通り、彼らに向かって、自分の名前と、外国語は勉強中なのだ、ということを話す。

 なので、まだ、聞き取れないし話せないが許してくれ、と。


 誰より驚いたのは、慶一郎のようだ。


 まさか自分がアメリアから教えられているとは思っていなかったらしい。


 ただ、一生懸命話してはみたが。

 慶一郎が口にする発音よりもたどたどしいのは否めない。だが、外国人達は熱心に聞きとろうと耳を傾け、それから、満足そうにうなずいてくれる。


(よ、よかった……)

 とりあえず、成功だろうか、と肩の力を抜くと、慶一郎が耳元で囁いた。


「あちらは移民が多い。必死で話そうとする人間には好意的だ。よくやった」


 褒められ、志乃は嬉しくなった。


 こういう時、きっとアメリアなら彼に抱き着いただろうが、志乃は彼に対して笑みを浮かべることで精いっぱいだ。


 慶一郎も目を合わせ、にこりとほほ笑んでくれた。


(……は、はじめてかも……)


 茫然と、彼の端正な顔に浮かぶ笑みを見て、立ち尽くす。

 彼が自然に笑うのを、初めて見た気がした。


「まあ! 慶一郎。志乃! ようこそ!」


 聞きなれた声に顔を向けると、アメリアだ。


 緋色のドレスを着た彼女は、颯爽と歩み寄る。

 おや、と思ったのは、彼女も男性に腕を取られていたからだ。


(お父様、というわけではなさそう……)


 年はアメリアと同じぐらいだ。

 こちらもタキシードを見事に着こなした、精悍な体躯をした男性だ。


 アメリアに向ける柔らかな視線に、きっと彼女の夫なのだろう、と思った。

 彼女は口早に外国人たちと話をし、それから大笑いをする。


 慶一郎だけが、さっきとは打って変わって憮然としていた。


「あのね。みんな、慶一郎が結婚したことに驚いたのと、あなたが美人だ、ということに驚いてる、って。きっと、自分だけのものにしたくて、彼は隠していたんだろう、って」


 くすくすとアメリアが笑いながら言い、その内容に志乃は顔を赤くする。途端にまた、何か言われた。どうやら冷やかされたらしい。


 にぎやかに話しているからだろう。

 気づけばかなりの数の外国人に志乃は囲まれていた。


 慶一郎やアメリアが通訳してくれるところによると、「その帯はどうなっているのだ」「ちょっと、ぐるっと回ってみてくれ」「美しい着物だが、どこに手配すれば手に入るのか」「その柄には意味があるのか」「なぜ、そんなに袂が長いのだ」など、着物に関わることや、着付けに関することだった。


 志乃が知る限りの知識を伝えると、誰もが感心し、「美しいだけではなく、賢い」とほめてくれる。慶一郎がそれに対して何か言うと、男性よりも女性が感心した。


 なんだろう、と慶一郎を見上げると、彼は淡々と告げる。


「こちらの国の美人の基準に、『歌がうまいこと』というのがある、と言ったんだ。歌、といっても歌うことではなく、『和歌』のことだ、と。

 男性が和歌を送り、それに対して気の利いた和歌が読めないと、いくら外見的に美しくても、中身がない人間だと思われる。こちらの国では、知識のある女性が、美人とされる、と」


 どうやら、志乃のことをほめてくれているらしいと気づき、志乃の目に涙がにじむ。


 ぎゅ、と慶一郎の腕にさらに身を寄せると、アメリアが、「あら」と気づかわし気な声を上げた。


「さっきから質問攻めで疲れたわね。あちらでしばらく休む? あなた、仕事の話があるならここにいなさいな。わたくしと志乃は、あそこに座っているから」


 言うなり、自分のパートナーらしき男性に何やら話しかける。彼は鷹揚に頷き、志乃に対しても微笑みかけてくれた。


「そう……だな。わかった。休んでいろ」

 慶一郎が頷くので、志乃は彼から腕を解き、アメリアに連れられて壁際の椅子へと移動した。


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