第14話 二階

 その二日後のこと。


「今まで、申し訳なかったわね。志乃しのさん」

 客を送り出し、千代の居室に戻ると、しょぼんとした顔で彼女は詫びる。


「なにをおっしゃいますやら」

 志乃は慌てて千代の側に座り込み、首を横に振った。


 盲目ではあるが、ここ数日、千代と一緒に暮らしてみて分かったのは、本当に彼女はなんでもよく『見えて』いる、と言うことだ。


「あんなにたくさん買っていただいて……。私の方こそ、申し訳なくて……」


 今日、『慶一郎けいいちろう様に呼ばれた』ということで、呉服商がやってきたのだ。


 やはりこの商人たちも志乃のことを使用人だと思っていて、千代への取次ぎを頼んだのだが、購入対象者が志乃だと気づいたときの仰天の仕方は、今思い返しても苦笑いしか浮かばない。


 失礼を詫び、以降は「瀧川の奥様」と自分を呼ぶから、非常に居心地の悪い思いをした。


 その後、採寸をされ、それからいくつも反物が畳に広げられる。


 まるで色の洪水のようなそれらを呆気に取られて志乃は眺めていた。


 千代は手でそれらをさわり、色や柄の配置。最近の流行などを熱心に尋ねた。

 呉服商は的確にそれにこたえ、目の悪い千代に代わり、志乃に似合いそうな色を勧めていく。


 矢絣柄、七宝柄、花束文様。


 千代は次々に決定していく。


 そうして、小紋、紬、訪問着に色無地を作るように伝え、それに合わせて、袋帯、帯揚げ、帯締めを指定した。


 正直、志乃だけでは決められなかったと思う。


 誰も、値段を言わないからだ。

 この中でどれが一番安いのかわからない。

 そもそも、全部が高価なのだ。


(……私が思っているより、瀧川家は裕福なのかしら……。誰よ、吝嗇家だ、なんて言ってたのは)


 冷や汗をかきながら、それでも「奥様もなにかご希望は」と、問われて決めたのは、半襟をいくつかだけだ。それだけでも、縮緬が使ってあったりと、卒倒しそうだった。


 ふと気づいた千代が、長襦袢と肌着、それに足袋も注文してくれて、恥ずかしい限りで志乃は小さくなった。


 留め袖については、後日、もっといいものを持って来て頂戴、と千代が言い、呉服商は恭しく頷いて、帰っていった。


「これで、当座のところはなんとかなるわね。夏が近づいたら、また浴衣なんかを新調しましょう」

 にっこりと千代は笑う。


「いろいろと、ありがとうございます」

 深々と畳に手をついて礼を言う。


「慶一郎さんも大人になったと思ったけれど……。こういうことは疎くてだめねぇ。もう少しわたしがしっかりしないと」


 はぁ、と千代はこのところ何度目かのため息をつき、脇息にもたれかかった。


 みしり、と不意に天井が鳴る。


 咄嗟に見上げ、それから千代に尋ねた。


「こちらの二階は物入ものいれか何かになっておるのですか?」


「慶一郎は、あなたに何か言った?」

 逆に尋ね返された。


「いえ……。ただ、二階には上がるな、と」


 千代は顎を上げ、天井を見上げる。

 盲目の目を開き、すがめる。白濁した瞳には、やはり何も映っていない。


「うちのご先祖はね、あそこに、大切なものを仕舞しまったのよ」


(仕舞った、ということは、やはり物置なのね)

 千代は目を閉じ、話を続ける。


「もう、何百年も昔の話。ご先祖はね、武勲を立てて、その褒美に、と高貴な姫君をいただいたの」


「そう、なのですか」

 降伏の条件として、妻子を敵方に引き渡す、ということを志乃も聞いたことがある。


「その姫君が瀧川に来てからというもの、うちは、栄に栄えて……」

「よいことですね」


「よいこと、なのかしら」

 ほう、とまた深く息を吐く。


「その姫君、うちに来た時はまだ十二歳の子どもだったと聞くわ。それが、むくつけき男のところに〝褒美〟としてもらわれるなんて……」

 千代の眉間には深いしわが刻まれた。


「なんと、哀れなことでしょう。おいたわしい……」


「で、でも……。瀧川が栄えたのでしたら、きっと幸せにお過ごしになったのでは?」

 なんとなく、そう声をかける。


 昔話では、普通そうだ。


 高貴な姫は、武勇にすぐれた男のところに嫁ぎ、そうして、「幸せにくらしましたとさ」としめられる。


「……そうかしら」

 だが、千代の声は沈痛だ。


「……ごめんなさい。もう、こんな話はよしましょうね」

 かぶりを振り、千代は苦笑いした。


「きっと、お疲れなのでしょう。あの……」

 お茶でも淹れましょうか、と続けるために開いた口に、千代が、「ねぇ、志乃さん」と呼びかける。


「はい」


「こんなことを聞くのは大変失礼だけど」


 あなた、本当にあの雪宮の家の人なのかしら。


 そんなことを聞かれるのかと、どきり、と心臓が高鳴る。


 妾腹の子なのだ、と。

 ただ、取引を有利にするために嫁がされたのだ、と知ったら、この上品な老婦人はどう思うだろう、と、指先まで凍り付く。


 疑われても仕方ない。

 結納金を渡されていないとはいえ、こんな粗末な格好で嫁に来てしまっているのだから。


「慶一郎は、夫としての務めをちゃんと果たしている?」


「……え……?」

 思わぬことを聞かれ、尋ね返してしまった。


「いえ、あなたがちゃんとこの家にいるということを考えたら、あの子、ちゃんとやっているんでしょうけど」

 眉間をもみほぐしながら、千代は吐息を漏らした。


「それでも、無理強いしたりとか、自分勝手なふるまいをしたりとか……。なんだか心配になってきたわ。だいたい、あなたの部屋はわたしの隣でしょう? あの子、来てる様子がないし」


「は、……はぁ」

「あなたがあの子の部屋に呼ばれて行っているのなら、それはそれで何様だ、と思うし」


「いえ……、あの」

「こんなこと聞いては失礼だと思うのだけど、それ以上に、あの子がふたりだけのとき、傲慢でぞんざいな態度をとっているのなら、妾の方からしっかりと叱っておくけど」

 薄く目を開いて問われる。叱る、と言う単語に志乃は飛び跳ねる。


「そんなことありません。旦那様は大変お優しく、無茶なことをおっしゃいませんし、私に無理もさせません」


 ようするに、初夜以降、部屋には来ていないし、同衾もしていない、ということを伝えたかったのだが。


(……え。これ、ちょっと……、誤解、する……?)

 ふと気づいた。


 自分が今口にしたのは、閨での慶一郎の態度を伝えているのでは、と。


「まぁ、そう。それはよかったわ」

 心底ほっとしたように微笑む千代を見て、顔が真っ赤になる。


(ご、誤解している……っ)

 ひい、と心の中で悲鳴を上げた。


「だったら、ひ孫に会える日も近いかしら」

 嬉しそうな顔をしている千代に、訂正しづらい。


「……あの。お茶でも……?」

 強引に話を切るために、志乃は提案する。


「そうね。今日のお菓子は何かしら」

「桜餅でした」


「あら、おいしそう」

 華やいだ声を上げる千代に一礼をし、志乃は部屋を出る。



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