聖女は王子に物申す。

江戸菊華

聖女は王子に物申す。

「サフィーリア・J・オリビエ辺境伯令嬢、貴女との婚約は解消とさせて頂きたい」



 そう、仰るのは。

 我が国の王太子であり、わたくしことサフィーリアの婚約者でもある、アルトゥサード殿下。

 王家特有の金髪翠眼に甘い顔、すらりとした長身の見目麗しいその姿を、わたくしはヴェール越しに眺めながら、さてどうしたものか──等と心の中で首を傾げながら独り言つ。

 解消とはいうものの、当たり前だが諸々の柵もあって個人の一存では簡単に破棄できるものでもないし、してはいけない、という大層面倒臭いものが婚約というモノだ。

 それを無くしたいと仰っているけれど、よくよく彼の表情を見てみると、端整な顔立ちには微かにしかめられた眉があり、微妙に複雑な感情をお持ちのようだった。

 まあ、その原因は彼の斜め後ろにいる某令嬢の言動ゆえも、あるのだろうけれども──。


「わたくしとの婚約を解消、ですか」


 何故、この状況──全校生徒が会する卒業パーティーで、私に対する糾弾劇を開催する事を決断したのか、その思考心理を深くとことん問い詰めたい。というか追い詰めたい。

 等々と、薄く微笑みを浮かべながら、わたくしは彼女等を見つめつつ、切欠となる過去に思いを馳せるのであった──……・・・。




 *


 *


 *





「少々、お時間を頂いても?

 ───えぇ、ありがとうございます。

 わたくしはオリビエ家が娘、サフィーリアと申します。

 貴女様のお名前は?

 ───そう、フィザリンド様、とおっしゃるのですね。

 ではフィザリンド様、僭越ながらお伝えしたい事がございます。

 王太子殿下の御名を、軽々しくお呼びする事はお控え下さいませ。

 この場は“学び舎”とは銘打っているものの、一種の社交の場でもございます。

 場合によっては不敬、と捉えられてしまう可能性も有り得ますので、ご注意下さいませ」




 某令嬢こと彼女との初めての邂逅は、そんなやりとりを行ったと記憶している。

 彼女──フィザリンド様は、自分よりも一学年上に在籍していたが、入学のタイミングは自分とほぼ同時期というのは、その後の調査で知った。

 入学の遅れに関しては、療養の為──というのは表向きの話で、実際は市井で過ごしていた等の複雑な事情があり、勉学諸々の遅れを取り戻す時間が必要だったとの事だ。


 この国では基本的に、貴族は爵位に拘わらず十五歳になる年から三年間、王都にある学園に通うという決まりがある。

 また一般市民でも、魔力や学力が高い者、貴族や神殿等から推薦を受けた者で、試験を突破した者に関しては、国の補助を受けた上で学園に通う事が可能である。

 それ故に爵位や身分に拘わらずに、という事を踏まえて、学園内では身分平等を謳ってはいるものの、そこはそれ、学業の対応以外はそれなりに差異は出る。

 そして王太子殿下や側近候補の方々も在籍していた学年では、ピリピリとした緊張感も水面下では漂っていて。

 そのような状況で一年を過ごし、環境に慣れ、若干落ち着いたと思っていたら、彼女──フィザリンド様の編入である。

 緩やかに波打つレディッシュブロンドは歩く度にフワフワと揺れ、可憐な顔立ちに似合わない意思の強そうな浅葱色の瞳は、人目を惹き付けてやまないというのに。市井育ちの気安さを持ちつつも、爵位もそれなりにある彼女の存在は、ちょっとした異端だったようで。

 そのような存在の彼女が、王太子に纏わりつく──もとい、オチカヅキになろうとしている姿が学園内でよく見かけられるようになると、それはもう色々な噂が駆け巡った。

 ありがた(くもな)い事に、注進という感じで、婚約者であるわたくしにその話は伝わってくる。学舎に通う度にそのような話を持ち込まれる事にウンザリしたわたくしは、傍観するのを諦めて、渋々フィザリンド様に声をかけたのだった。


「王太子殿下への態度を、見直すべきでございます」


 ──と。

 そして彼女の反応は、ビクッと一瞬怯えられたのち、硬い笑顔で「ご忠告ありがとうございます」等と言いながらソソクサと早足で去って行かれましたがね。

 まあ、前は顎が隠れる位、後ろは腰までの長さのヴェールをすっぽりと被った見知らぬ人間に声をかけられたら、そういう反応になりますよね、等と久々のリアクションに心の中で笑っておりましたけれども。

 外からは視覚等の認識を阻害するのものを、内側は視界明瞭、というような魔術紋を縁取りに刺繍したヴェールは、色々と便利なのですが。


 ただ、それ以降も度々、王太子殿下(や、+α)に付き纏う姿が散見されました事から、片っ端からフィザリンド様の行動について、何が問題であるかをアルトゥサード様にこんこんとご指摘し、彼女へとご説明頂くよう、お願いしておりました。


「アルトゥサード様。

 おのお方──フィザリンド様への対応につきましては、編入時にご説明されて以降は、必要ないはずです。

 彼女の態度については、方々から忠告がされておりますものの、改善が見受けられません。

 わたくしからも一度、お伝えしたのですが、わたくし自身の身分の言葉では効果が無いのではないか、と考えに至りました。

 これ以降は王太子殿下から、お伝えしてもらう方が効果的だと思います」

「ああ、私の方にもその件については報告を受けている。

 ──検討はしているから、暫くは様子を見てくれると嬉しい」


 そうお答え頂けたものの、若干心在らずのような──何か別の事を考えられているような雰囲気でしたが、わたくしは薄く笑みを浮かべながら、その言葉に頷きました。

 毎度ビクつかれるのも面倒ですし、ついでに王太子殿下ご本人から説明されれば、大問題だと理解できるだろう、等と一石二鳥を考えたりもしましたので。

 ───あまり意味はなかったのですけれど。


 それまではお互いに公務等で忙しく、婚約者としての交流は月に二回程のお茶会位でしたが、ここ一年半程は学園内で顔を合わせると、彼女の件についてお伝えしていた事もあって。

 途中からアルトゥサード様は、わたくしの姿を視認する度にほんの一瞬、苦笑を浮かべるようになっていきました。


「……また、あの令嬢の件についてかな?」

「一言目がそれとは、どういう事ですか」


 解せぬ。


 貴族あるあると、家の事情で古狸共を相手にすることが多い為、基本的に表情が固定されていると定評のあるわたくしではありますが。

 同じく、空気を読む事に長けている彼は、わたくしの心を読み取ったのか、溜め息混じりに軽く笑いながら、言葉を続ける。


「以前は、貴女は目が合ってもその場で礼をするだけで、直接の会話をする機会はそう多くなかっただろう?

 言葉を交わす頻度が増えたのは、理由が限定されるからだよ」


 そう指摘するアルトゥサード様は、柔らかな表情を浮かべているものの、何かを探るような視線を向けてきます。


「私としては、婚約者殿との交流の機会が増える事は、悪いものではないと考えているけどね」

「そのように、思って頂けているのですね。

 ありがとうございます、アルトゥサード様」

「あぁ」


 悪くもない、けれど、良いとも言わない。

 何かを探すような素振りをし、公務や学業を言い訳に、交流を自ら増やそうともしない彼の事を、指摘することは止めておく事にしました。

 わたくし自身、実家関連の事があるとはいえ、やぶ蛇でもありましたので。




 *


 *


 *




 そして月日は流れて幾星霜、とまではいかずに約一年と半年ほど。本日は王太子殿下がいらっしゃる学年の、卒業の日。

 卒業式は無事に終了し、今はそのお祝いと、来るべき社交界への参戦の練習を兼ねた、卒業パーティーが開催されていた。

 諸事情により参加が遅れたわたくしは、護衛も兼ねた従者を一人引き連れて、会場へと続く廊下を足早に歩いていく。

 パーティーへの参加ゆえ、普段から身に付けているヴェールはそのままに、式典用として刺繍等で飾り付けられた神官服に着替えたわたくしは、衣装の重さにそっと溜め息を吐いた。


「お嬢、お綺麗ですよ。

 ヴェールを取って、ひっつめた髪を下ろしゃ誰も彼もがイチコロでしょうに、勿体無い」


 斜め後ろに付き従う男が、そんな軽口をたたく。その言葉に振り返りもせずに、ヴェールの縁の刺繍に指を這わせ、軽く肩を竦めながら答えた。


「それはそれで面倒だから、このままよ。

 とりあえずあと一年は、現状維持でしょうし──二足のわらじも楽ではないわね」

「アンタ、二足どころじゃねーでしょうに。

 ま、オレとしては学園ではやること無いんで、今のままの方が楽しいですけどね」

「わたくしは面倒臭くてしょうがないのだけれど」


 出来るならばローブの長い裾をバッサバッサと蹴りあげたいところだけれど、王太子の婚約者として、また貴族としての立場がある限り、そんなことは無理だ。

 ただ、従者の男とは生まれた時からの付き合いだからか、小声ではあるものの、お互いポンポンと言葉が飛び交う。

 そのままお互いに笑みを浮かべつつ、幾つかの言葉を交わしながら、廊下を進んでいったが、会場まで後少しというところで───


「お嬢」


 少し緊張感を漂わせた従者に腕をとられ、立ち止まらされた。

 ちらりと振り向き、従者の視線を確認すると、同じように目を向ける。

 そこには柱があったのだが、その影から、一つの──いや、二つの人影が出てきたのだった。


「…………サフィーリア様」

「フィザリンド様に……アルトゥサード殿下。

 ご機嫌、麗しく──また、ご卒業おめとうございます」

「ありがとう、サフィーリア嬢」


 わたくしが恭しく一礼すると、アルトゥサード様は少し翳りのある笑みを浮かべました。イケメンに色気が追加されましたね。眼福でございます。

 それに対してフィザリンド様の方は、ふん、と軽く鼻を鳴らした後、何かを決意したかのように、こちらを睨み付けて参りました。令嬢として相応しく無い行為ですわね……


「仮にもアルト様の婚約者ともあろう方が、遅刻なんてみっともないのではないのでしょうか。

 そのままでは、家名も泣いておりますよ」


 喧嘩を吹っ掛けてきやがりますわね、このお嬢さん。

 貴族としてお過ごしになられたのはここ数年、この学園に途中編入が可能な位にはとても優秀であるはずなのに、感覚はまだまだ市井に近いといったところでしょうか。

 一応、わたくしは、オリビエ辺境伯の血族を顕す[搗色の髪に瑠璃色の瞳]を身に纏っているにも拘わらずのその発言。

 まだまだ、貴族間のキマリゴトを押さえてはいない──ひいては狙っている王太子の婚約者、という立場には程遠いというのは、気付いていらしゃらないようですね。

 本当は溜め息を吐きたいところですが、にっこりと笑ってお答えさせて頂きました。


「所用がある為、パーティーへの参加は短いものとなる、というのはお伝えしておりますし、許可も頂いておりますわ。

 そうでなければこれは公式に近い場、エスコートが必要となりますもの」


 ね? と小首を傾げながらアルトゥサード様に視線を向けると、こくりと頷かれます。


「フィザリンド様、ご用件はそれだけでしょうか?

 わたくし、この後も外せぬ用事がありまして、長居はできませんの。

 仰りたい事がそれだけでしたら──」

「っ、ま、待ちなさいっ!」


 そそくさと、アルトゥサード様達を迂回するように会場へと足を進めようとした瞬間、抑止の声が。

 ちっ、抜けられませんか、残念。


「あなたには、幾つか問いたい事があるの」

「質問……でございますか?」

「えぇ、アルト様もそうですよね?」


 さぁ、と声をかけながら、アルトゥサード様の腕をとって、自分の前へとたたせるフィザリンド様。

 またというべきか、まだというべきか。許可無く愛称を呼ぶとは、馴れ馴れしい。

 捕まれた箇所を若干煩わしそうに見つめた彼は、軽く手を振ってそれを払い除けると、わたくしの方にひたと視線を合わせてきた。


「アルトゥサード様も、わたくしへの質問があるという事でしょうか?」

「あぁ、少々訊きたい事がある」

「──わかりました」


 侍従にちらりと目を向けると、頷き返される。まだ時間は大丈夫なようだ。

 視線を二人に向けると、続きを促すように微笑みを向けた。


「サフィーリア様は、この学園に通われているにも拘わらず、あまり授業に出席なされていない──休まれている事が多いようですね?

 申し訳ありませんが調べさせて頂きましたところ、公務で休まれている、という訳でもありませんし。

 ──お身体が弱い為、休まれる事が多いという噂も聞きます。

 王太子殿下の婚約者として、未来の王太子妃として、相応しくないのではないでしょうか?」


 身体的な面で問題があるだろう、という指摘から入ってきましたが、可愛いものですね。

 クスリと笑みを溢すと、フィザリンド様に向けて首を傾げました。


「わたくしとアルトゥサード様との婚約は、成立してから既に8年が経っております。

 ここまで長い期間、肉体的に問題があるならば、既に婚約が解消されているとは考えられませんか?」


 さあ、お返事をくださいな、とばかりに見つめ続けるも、フィザリンド様は睨み返すばかりです。

 まぁ怖い、とコロコロと笑うわたくしのその後ろ、従者の男は「むしろ肉体面では殺しても死なないどころか返り討ちで全殺しにしそうだよな」とボソリと呟きました。五月蝿いですね。

 アルトゥサード様の方は、まだ、様子見というか──無言のままです。


「それに、休みの件に関していえば、王太子妃候補としての教育もございますし。

 詳しくはお伝えできませんが…………家の事情も、ございます」


 “神官服”の裾を摘まみながら、くるりと回って一礼をして見せました。ふぅわりとローブが広がり、そのまま静かに裾が落ちます。

 我が家は通常とは異なる、特殊な事情ゆえに《辺境伯》と名乗っております。

 将来の王妃を目指すならば、その件についても知っているべき事なのですが、彼女は教えられて、調べられていないのか──はたまた、軽視し、覚えていないのか。

 可能性としては後者の方だと予測されますし、ますます目指す地位が遠ざかりますね、等とツラツラと考えておりました。

 見た目からいうと、垂れ目気味の大きな眼や、平均より少々低い身長(と体型)の為、親しくない方々からは大人しいという印象を持たれるわたくしですが。

 王妃教育の賜物で、牽制を受けたら倍返しとばかりに口撃しますので、皆さん、すぐ落ち込まれるのですよね。つまりません。


「フィザリンド様、お話が以上でしたら、わたくしはこの辺で──」


 いくら廊下とはいえ、会場はすぐ近く。

 そろそろ、野次馬が集まり始めてるのではないかとチラリと奥の方を見てみたところ、誰かが牽制しているのか、集まった様子はなかった。

 その誰か、は遠目なので確定ではないが、どうやらこの集まりの関係者っぽい一人のようで、そのうちこちらに来るような雰囲気を見せていた。

 心の中で安堵の息を溢しながら、お二人に一礼をしましたところ。


「私にも、貴女に対して疑問があるんだ」

「……、アルトゥサード、様?」


 ポツリ、と溢れた言葉は、珍しく硬かった。


「貴女が王太子の婚約者として、公務を行ってくれたり、他貴族との交流目的でお茶会等を開いてくれていることは、把握しているよ。

 その為に通常通り、王家からも予算が割かれているのだが──」


 彼はジャケットの内ポケットから、畳まれた状態の、一枚の紙を取り出した。


「──この、経費報告書について。

 “遊興費:◯◯◯万リーズル”というのは、どういう事かな?」

「………………それ、は」


 淑女らしからぬ勢いで、慌てて背後を振り返ると、従者が可愛らしく舌を出しながら、肩を竦めて見せてきた。


「──……・・・」

「サフィーリア嬢?」

「申し訳ありません、この馬鹿が提出先を間違えました」


 ウフフと笑いながら、アルトゥサード様に向けて手を出しました。勿論、手の平は上でございます。

 その紙をくださいな。にっーこり。

 そんなわたくしの顔と手の平を何度か見比べながら、アルトゥサード様は紙を懐に仕舞われました。


「…………」

「………………」


 こほん、と咳が一つ響きます。


「とりあえず、貴女の行動が、不明なんだ。

 この私にでさえ、把握しきれていないと言っていい。

 貴女の事がわからない、信用しきれないんだ」


 一度、視線を下に向け。

 再びわたくしとの視線が交わる頃には、アルトゥサード様は一つの決断をしたようでした。

 そのまま、言葉を続けられます。



「サフィーリア・J・オリビエ辺境伯令嬢、貴女との婚約は解消とさせて頂きたい」




 しん、と辺りは静まり返りました。

 その中でわたくしは、薄く笑みを浮かべながら、何故このタイミングで、等と心の中で悪態をつくばかりです。


「わたくしとの婚約を解消、ですか」

「そうだ」


 彼は実直に肯くも、その目は若干、意思の揺らぎが見え隠れしておりました。

 悩みながらもアルトゥサード様の人柄を思えば、仕方の無い事なのかもな、と思いました。そしていつの日も、何かを探されているお姿を思い浮かべ、頷きます。


「承まる事は、可能です。

 ただ、確認ではございますが────わたくしとの婚約の解消は、王太子としての地位を辞退される、という事で……お間違い、ないでしょうか?」

「あぁ、間違いない」


 わたくしからの質問に、アルトゥサード様は強く頷かれました。

 その背後では、えっ、と小さな驚きの声が、聞こえてきましたけれど。

 彼はそのまま、答え続けます。


「サフィーリア嬢、貴女との婚約──結婚が、私が王位につく為の条件だという事は、理解している。

 その上で、この結論になった。

 ──どうしても、探し求めてしまうから」


 最後の言葉はとても小さく、聞き取り切れませんでしたが、今までの彼を見続けてきたわたくしは、簡単に予想ができました。

 何かを探し、追い求めてしまう事を諦めきれないのも、仕方ありませんから。

 ふう、と聞こえるように溜め息を吐くと、アルトゥサード殿下に向けて、カーテシーを行います。


「アルトゥサード・L・レミーライド殿下。

 わたくし、サフィーリア・J・オリビエは、殿下との婚約解消を、承りました。

 ただ、不躾なお願いではございますが、一つ、宜しいでしょうか」

「かまわない、聞こう」

「ありがとうございます。

 大変申し訳ございませんが、解消に関しての手続きにつきましては、殿下の方で進めて頂けますでしょうか。

 わたくし、そろそろお暇をしなくては───」

『やっと見つけた。

 リーフ、こんなとこで何やってんの?』

「……っ、りー、ふ……?」


 背後からの声、突然の第三者の乱入で、ビクりと一つ、身動ぎをしてしまった。

 わたくし(と従者)にとっては馴染み深い声だが、アルトゥサード殿下やフィザリンド様には誰のものかわからないものだろう。

 むしろ──普通なら全て、解らないはずだが。


『時間なのに来ないから態々探しに来てみたら──』


 お前かよ、と舌打ちをしながら、アルトゥサード殿下を睨みつけている声の主。

 内心で慌てながらも、新たに加わった声の主に視線を向け、更に殿下の方にも視線を向けると、彼らしくもなく、とても驚いた表情を浮かべていた。

 つい、つられて体を起こしてしまう。


「……アルトゥサード、殿下?」

「君の事を、“リーフ”と、呼んでいた、か?」


 そんな声と共に、(殿下にとって)正体不明の声の主に視線を向けている。

 やはり聞こえて──いいや、見えていらっしゃるのか、と驚きを隠せないでいると、ドスン、と物が落ちるような音がした。

 そちらに視線を向けると、フィザリンド様が腰を抜かしたらしく、床に座り込んでいた。


「ヒッ…………」


 彼女の方は、怯えたようにキョロキョロと周囲を見渡している。


「いきなりっ、声が──っ、何っ? イヤッ?!」

『あぁ~……声だけでも、オレの事を認識できるのか』

「えぇ、彼女は聖女の資質をお持ちですから」

『ふぅん……。

 で、こっちは当たり前だが、オレの姿も見えている、と』


 アルトゥサード殿下を見て、忌々しそうに舌打ちをしながら、声の主はズカズカとわたくしに近寄ってきた。

 それまで呆然とされていたアルトゥサード殿下だったが、わたくしの方に近付く声主に気付くと、慌てて庇うような仕草を見せてきたので、わたくしは小さく首を横に振りながら、それを牽制する。

 問いかけるような、心配するような視線に、一つ、頷きを返した。


『リーフ、そろそろ時間だ、行くぞ。

 あと、いつまでソレ被ってんだ。オレの前ではヤメろ、鬱陶しい』


 そう言いながら、声の主はわたくしが被っていたヴェールを奪い取る。

 そしてついでとばかりに、グシャグシャと纏めていた髪をほどいていった。


「やめっ──ああぁ、もう本気で怒るんだけど!?」

『ははっ、やはりこっちの方が好ましい』


 ふぅわりと溢れ落ちて広がる“白金髪”を手櫛で整えながら、溜め息を一つ。

 そしてグダグダな状況に諦観を抱きながら、改めて辞去の礼をとろうとアルトゥサード殿下に向き合おうとすると、いつの間にかすぐ傍に立っていた彼にビックリした。


「あっ……アルトゥサード、殿、下……?」

「君の、この髪や──瞳の色、……は……」

「? 自前ですが……。

 今までは、少々細工を」


 首を傾げながらも、そう答える。細工とは認識を阻害する、ヴェールの事だ。

 我がオリビエ家は、王家同様に血脈にはある種の呪が存在し、生まれる者は必ず“搗色系統の色の髪に、青系統の色の瞳”を持って生まれてくる。

 ただ、極稀に例外が存在し、[金髪翠眼]の“欠片持ち”と呼ばれる者が生まれる事があった。

 色が固定されているにも拘らず、極稀に違う色の者が生まれる。血族であることは明白ゆえ、混乱を招かぬよう、幼い頃から一定の年齢・条件が揃うまでは、男女関係なくヴェールを被って隠すよう、決まりがある。

 それがわたくしという事なのだけれど──。

 アルトゥサード殿下にしては意外なことに、おずおずと手を伸ばすと、無言でわたくしの髪を一房、指にとった。

 心、ここに在らずといった風ではあるが、まじまじと白金髪の束を指で弄びながら、見つめている。


「………………」


 これはあれだろうか。

 オリビエ家うちの話、聞いてないな?


『…………』


 そして横からの視線がウザイ。痛い。

 小さいながらも更なる悲鳴をあげたフィザリンド様は、「若葉の聖女様……」等と怯えたような呟きを繰り返している。

 ついでに背後の従者は、見えてなくてもわかる、ニヤニヤしてやがる。

 はぁ、と溜め息をまた一つ。

 [王太子の婚約者]は役目を終えるはずだから、これ以降は演じる必要もなしと判断した。


「アルトゥサード殿下、申し訳ありませんが、我らが神に呼ばれておりますので、ここでお暇させて頂きます。

 髪の毛の色等については、陛下あたりの王族の方に、“欠片持ち”についてお伺い頂ければと」


 そう、“欠片持ち”は好むと好まざるとにかかわらず、神に好かれるのだ。だから、連れていかれてしまう。

 わたくしは一歩前に出て、彼に近付く。

 お行儀は悪いけれども、クラバットをグイッと引っ張って、アルトゥサードにも近付いてもらいつつ、わたくし自身は精一杯背伸びをしながら、彼の耳元で囁いた。


「そっちの自業自得とはいえ、わたしにも原因はあったから、婚約者になったけど。

 王様として、国を治める姿を見てみたくはあったんだ。でも、それは無理なようだから。

 これからはお互いに、補佐の方で頑張っていこうか、───アーサー」


 そう、昔の呼び方で彼の名を呼ぶ。


「リー、フ…………」


 呆然とした表情に思わず、犬のような扱いをしてしまった。

 つまりはぐじゃぐじゃと──頭を両手で撫でまくった訳だが。

 そろそろ横にいる『神』と、背後の従者からの視線が突き刺さるので、改めてアーサーに一礼をし、踵を返す。

 そんなわたしの後を、従者と『神』はついてくる。


「お嬢、やっぱこっちの方が綺麗ですぜ」

『リーフはこの色を隠す必要はないと、いつも言ってる』

「面倒事しかないから、嫌」


 とられたヴェールを奪い返し、改めてすっぽりと被り直すと、見た目はいつもの[オリビエ辺境伯家の人間]になる。

 グダグダと見た目についてブーイングを行う二人を無視しながら、当初の予定通り、“欠片持ち”の聖女として、わたしはこれから向かう地方の状況について、思いを馳せるのであった。




 *


 *


 *



 鼻唄を歌って回る、ある意味簡単なお仕事。

 我が国の神は、慈愛を司る神だ。

 交流あれ、と宣っている。交流は、詞から生まれる。だから、聖女は歌う。

 聖女が歌うのは、豊穣の歌だ。

 各地に足を運んで、豊穣の歌を歌い続ける。


 “欠片持ち”は神々に好かれる存在だから、それなりに引っ張りだこで。色んな場所に、連れ回されるのがある意味運命だ。

 だから、基本的には大神官、という最高の肩書きを押し付けられながら、各地を彷徨させられると思っていたのだけれど。


「アーサーと共にいるのも悪くはなかっただろうけども……うん」


 過ぎてしまったことには、しょうがない。





 *


 *


 *





 その後、半月ほどして(春休み終了間近ゆえに)お土産片手に王都に戻ってくると。

 アルトゥサード殿下との婚約は何故か解消されておらず、解消されてない理由について問い詰めに行ったら、逆に殿下から“アーサー”の件について問い詰められたりとか。


 フィザリンド様の行動に対して厳重に注意しなかったのは、“アーサー”の恋の件が原因だったりとか。

 ほんと諸々、昔の幼く可愛かった頃の自分のやらかしが切欠だと発覚し、遠い目をしてしまいましたとさ。

 幼い頃って、無邪気ですよね、ほんと。


 ついでに言うと、パーティーの日の最後の方のフィザリンド様の反応は、実は彼女が貴族であると発覚させたのが、わたしだからデス。

 いつものように僻地を放浪させられていたら、何度目かの訪問時に、彼女が某家の関係(血縁)者であることが、たまたま見えた紋章で気付いたからだった。

 その件について彼女は家族から話を聞き、その際に「若葉の聖女が教えてくれた」等と説明したものと思われる。

 何度かその町を訪れていたため、実際に私を見たこともあるのだろう。

 「若葉の聖女」とは、わたしの本来の目の色が由来らしいけれど、詳しくはないし、知りたいとも思いません。

 とりあえず彼女は、次期王太子妃候補にはなれなかったらしい事を、付け加えておきます。



 その後のわたしやアルトゥサード殿下、周囲がどうなったかは、今のところ秘密デス。

 とりあえず、神々にいつまでも振り回されつつ、振り回したりしつつ。

 メデタシメデタシで、終わりそうだなとは言っておく。

 “欠片持ち”の聖女は、恋、されましたから。






 

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