T 天使が還った日

第33話 鐘が鳴らされた後に

 

 □


 十二時が鐘が鳴るとき、掛けられた魔法は泡の様に消えていく。


 世界に掛けられた物語の魔法も、少女に掛けられた祝福の魔法も。


 煌く御伽噺はありふれた日常へと変わるだろう。


 数奇な運命のお姫様達は一人の少女へと戻るのだろう。


 悲しい結末も、幸せな結末も、全て過ぎ去り昨日の出来事へと変わっていく。


 幻想的なお城は、清潔な校舎へと。


 美しい魔法の泉は、手入れのされた噴水へと。


 悪であることを望まれた王妃は、家族を愛する一人の姉へと…。



 ならば、運命を駆け抜けた天使はどうなるのだろうか?


 魔法のような小さな彼女は、一体何に変わるのだろうか?



 彼女に掛けられた魔法とは、何を指しているのだろうか…?



 最後のページが、静かに捲られる。


 □










 トン。


 浮遊感が訪れて、何かの力に無理やり押し出される。

 足は階段から離れていき、体は前のめりに倒れこむ。


 悪意の篭もった微かな笑い声が耳を掠めて、そういうことかと納得出来る。

 きっと、誰かの嫉妬か何かが膨れ上がって、私を害そうとしたのだろう。人気のある人物とも仲が良く、その癖に悪意を受けない私が目に付いたのだろう。寧ろ今まで問題が無かったのがおかしいくらいか…。


 引き伸ばされる意識の中で、ぼんやりと私は思考を回す。


 どうして今なのだろう。幸せはすぐ其処にまで迫っていて、伝えなければいけない言葉があるのに。明日でも明後日でも、不幸が降りかかるとしても今じゃなければいつでも良かったのに、全てが台無しになってしまう。


 魔法が解けてしまったのだろうか。ヒロインは結ばれ、悪役は断罪された。物語が終わりを迎えたから、私はこの世界に必要ないのだろうか。

 それとも強欲すぎたのか。皆が幸せな結末を求めて運命を捻じ曲げたから、罰が当たったのかもしれない。


 自然と伸ばされる手。その先にはお姉様が佇んでいて、笑顔が歪んで綻びを見せていく。

 驚愕と悲痛がありありとその目に浮かんで、私を受け止めようと手を伸ばす。高さも距離も足りないのに、関係無いとばかりに一歩を踏み出す。


 ごめんなさいお姉様、私の所為で泣かせてしまって。


 ごめんなさいお姉様、貴方に伝えたい言葉を言えなくて。


 きっと、落ちて行くのは一瞬の出来事だ。だから思考とは別に口にするのは、お姉様への感謝の言葉。

 ごめんなさい、迷惑ばかり掛ける妹で。いつも泣いてばかりで何も返せない、弱くて小さな頼ってばかりの姉不幸な妹で。


 だけど私は心の底から、お姉様を…白清水 凛后の事を……!




「ありがとうお姉様っ!鏡花は貴方の事を……」


 愛しています……っ!



 最後の言葉は口に出来ずに、私の意識は暗転した。










 鏡花は暗闇の中を一人歩く。

 どこまでも続く真っ暗闇を方角もわからずに、只管前にと進んでいく。勿論目的地なんてわからないし、ここがどこなのかも曖昧だ。けれど体は何処かを目指して、導かれるように歩みを進める。


「私は…死んだのかな…?」


 何処か懐かしい空間の中を歩いていると、そんな不吉な考えが頭をよぎる。

 でも仕方が無いだろう。記憶の無い懐かしさなんて十中八九前世の事だろうし、それを踏まえたうえでこんな非現実的な空間の正体を予想するなら死後の世界位しかない。


 見上げても闇、見回しても闇、全て真っ暗闇のこの場所が、もしも死後の世界だとするならば、どうして私が此処に居るのか理由がわからない。


 今の私に残る最後の記憶は、赤穂と睡ちゃんの背中を追って教室を出た所で途切れている。その後に何かがあったのだと思うが、学院祭で命を落とすような事故等起こるのだろうか?

 それとも私の記憶事態が間違っていて、今まで見てきたものは全て夢幻だったのだろうか…。


「お姉様ーっ!すーちゃーんっ!赤穂ーっ!誰でも良いから、返事をしてくださーいっ!」


 不安と恐怖をかき消したくて声を張り上げるも、暗闇の向こうからは木霊すら返ってこない。一人ぼっちの孤独と先の見えない不安が大きくなって、涙目になるのがわかる。

 誰かに会いたい、誰かの声が聞きたい、思わず足が止まりかけてしまうけれど、心を奮い立たせて再び足を動かしていく。


 進み続ければ何かが見つかると信じていなければ、本当に心が押しつぶされてしまいそうだから。


 漠然とした導きの感覚に身を任せて、私は先に進み続ける。

 皆との思い出を脳裏に浮かべながら、悪い予感が外れることを信じて、一歩一歩と只管真っ直ぐに。






 どれほど歩いただろうか、うっすらと明るくなっているのに気付く。微かに音まで聞こえだして、出口が近くなったのかと早足になる。胸騒ぎも同時に湧き上がるが、どちらにしろ止まってはいられない。

 寂しさが限界を迎えてきていた私はそれがなんであろうと、確かめずにはいられない。


 近付くにつれて光は強く音は大きく精細になっていき、とうとう謎めいた正体が見え始めた。


「…鏡?」


 出口では、無かった。そこにあるのは至って普通の姿見鏡で、光はその向こうから差し込んでいるようだ。肩透かしを食らった気分だが、他には何も無いのだし覗いてみようと鏡に近付く。

 聞こえてくるのは大人の女性の激しい声だ。それもどこか聞き覚えのある、恐ろしさを無意識に感じる声。


 この言い様の無い不快感はなんだろうか。

 疑問と恐怖に蓋をして覗き込めば、そこに映るのは忘れたくても忘れられない、過去の地獄だった。

 気が付けば、私は鏡の中に立っていた。



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