母乳祭前日 -プロローグ-




【文化祭前日】






「あ……ぜ、くん……?」




 閑散とした夜の校舎。

 調理室の扉の前。大好きな女の子がうずくまっている。大量の血が、白い制服を染めていた。


「か、夏菜子!?夏菜子!だ、誰がこんなこと」

「ごめんなさい、私……もうダメかもしれません……」

「い、いやだ!なんで!また笑ってくれよ夏菜子!なぁ、なんでもいいから!母乳母乳ってアホみたいなこと言って笑ってくれよ!」

「えへへ……あ、あ……ぜくん、が……母乳、好きになって……くれたら、私……」


 わかった!母乳好き!ていうかおっぱいは好きだから母乳も別に嫌いじゃないし、いや、母乳好きだ!だから戻ってきてくれよ!


 母乳好きだから!ほんと!な?ほんとなんだよ……


「……み、がみ」


 なぁ……


「畔上!!!!」


 ハッとして顔をあげたら、スカートのチェックと、白い制服の上着があった。次に、額に小さくて硬いものが当たって、バチッと静電気のような痛みで、目の前の女にデコピンされたことと、変な夢から覚めたことが分かった。


 目の前の女は、クラスメイトの秋町楓だった。


「あたしら日直やろ、いつまで寝とるん!……それに、変な寝言いうし。……すごい性癖持ってるんやね」

「まじか……すまん。何の夢見てたっけな……忘れちまったけど、嫌な夢を見てたような……てか性癖って?」

「そ、それはいいけん早く黒板消して!あたし机は並べたけんね!」


 秋町にデコピンされた額をさすりながら「へいへい」とのろのろ席を立ち上がる。「……ったく〜」と言う秋町のおでこは、汗で前髪が張り付いていた。


「今日そんなに暑いっけ?秋町汗やばいぞ」

「は?あ、暑いやろ!てか机並べるっちいう労働をこっちをしたわけよ、そりゃあ汗もかく」


 机を並べるくらいでそんなに汗をかくものなのか。まあ結構綺麗に並んでるし、時間をかけてやったのかもしれん。その証拠に俺ら以外のクラスメイトはもう帰っている。

 黒板の粉が目に入らないよう、細目で黙々と黒板を消していたら、「畔上さ、」と秋町が話しかけてくる。気を遣わず帰ってもいいのに。

「なに?」

「あのー、この前……さ、例の子に屋上で告白したの、どうなったん?」


 例の子とは、夏菜子のことだろう。クラスメイトの前(主に男子の前)で告ってくる!と息巻いて教室を飛び出したからな。女子もさすがに聞いてたか。


「あー……告白してない。なんつーか、まあ、できてない」


「やっぱりねー!」と後ろでニヤニヤしながら馬鹿にしているのが分かる。俺は背中に目がついているから。


 窓際で、消えかかる西日を見ながら黒板消しをはたいていたら、ぽこっと、頭に柔らかい感触が当たった。がさりと地面に落ちたそれを拾い上げる。


「かわいそうな畔上に、慰めのプレゼントあげる」

「えっこれ!メロンパンじゃん!夏菜子とよく行く店の」

「好きなんやろ?」


 パンが!とやけに大きな声で言う。


「まじ好きなやつだよこれ、話したっけ」

「話したやんか!ちなみにあたしも好き。あとあんたの嬉しそうな……」

「てか、このパンできたてじゃね?」

「勘違いせんでよ!わざわざ買ってきたんじゃなくてゆっこちゃんにさっき貰ったやつやけん!」

「へいへい」

 一々、言い方が鋭いやつだ。

 福岡の方言らしいけど、なんか言葉が強くて圧倒される感覚がある。だから余計に気の強い女っていうイメージがつくけど、秋町は意外と優しいところもあったりする。こんな風に急にメロンパンくれたりとか、一応、日直のペアだからか一緒に残ってくれたりとか。一回二回の話じゃない。

 しかも成績トップ、運動神経抜群、容姿端麗、ショートの赤髪と八重歯がトレードマークの方言美少女。おまけに学級委員長。属性モリモリだ。

 俺みたいなノーマル層とは格が違うやつなのだ、こいつは。


「ていうか、秋町、結構長い時間待ってもらってるけど、テニス部いいの?」

「や、だいじょう……ぶ……やないけど、まあ今日は遅れたい気分なだけ」

「天才の考えることはよく分からんな」

「天才やないし。ま、今日から3日間ゆっこちゃんの家に泊まるから浮かれとるのは認める。それに……」

「それに?」

「明日から文化祭やん。浮かれるやろ」


 確かに浮かれる。と、同時に緊張もしている。


 なんせ文化祭の2日目の夜、キャンプファイヤーで夏菜子に告白をする予定だからだ。さすがにいつもよりは雰囲気も出る。というかここを逃したら次はないかもしれない。


 でも、なんて告白しよう?夏菜子のことが好き。とか?理由とかって言ったほうがいいのか?好きな理由ってなんだ?いっぱいありすぎて、よくわからない。なんで好きかなんて、わからないな。


「じゃ、あたしそろそろ行くけん。……明日さ、もっと好きそうなもん持ってきちゃる」

「もっと好きそうなもの?」

「そ。慰めの品」


 どっちかというと、励ましの品だな。


「なんやと思う?」


 ……カレーパンとか?




 ☆☆☆☆☆




【文化祭1日目 夜】





 秋町と話す直前に見た夢をうっすら思い出したのは、次の日の夜ーー文化祭1日目の夜のことだった。


 俺は、秋町の慰めの品。もとい、励ましの品を貰うため、体育館横に向かって静かな夜の学校を、歩いていた。というか朝にも変なものを貰ったが……多分、こちらが本命のはずだ。


 真後ろから、聞き覚えのある声が、うっすら聞こえて振り向く。


 夏菜子だ。


 危ないから、明るいところで待てって言ったのにあいつ……。

 と説教をする気も失せるくらい、恐怖に怯えた顔で、夏菜子は俺に飛びついてきた。唇を震わせながら、夏菜子は言った。


「た、たすけて、あぜくん、やだ、怖い、」

「え、は?どうした?何があった?」


「調理室に、血に濡れたカッターナイフ持った女がいたんです……」


 瞬間に、あの夢が脳裏をよぎった。背中で、下から上に鳥肌が立っていくのがわかる。

 秋町にコールする。一発で出て、安心している暇はない。


「秋町!なんか不審者がいるらしい!二人で話したいところ悪いんだが、とりあえず逃げてくれ!体育館横の方が、門から近いからすぐ逃げられるはずだ!」

「え?え、わ、わかった。まだ体育館横に着いてないけん、ダッシュで向かう……」

「急いで!なるべく校舎から出た方がいい!」


 夏菜子の右手をぎゅっと握って、走り出す。あれを予知夢になんかさせてたまるかって気持ちで。


 思い返せば楽しい文化祭の1日目は、こんな形で幕を下ろすことになった。


 でも夜までは、なんだかんだで楽しい文化祭だったのだ。

 

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