その名は紅サソリ

冷門 風之助 

ACT.1

 5~6メートルほどの距離を取って、彼女の後ろを歩いている。

 千駄木にあるホテルを出て、地下鉄を二度乗り換えた。

 その間俺は、かれこれ一時間ほど尾行をつづけているのだ。

 黒いストレートのロングヘア―。

 レイバンの男物のサングラス。

 おまけに白マスクに、いい加減季節は春になろうとしているのに、襟元にファーの着いた白のロングコート、耳には紅色をしたサンゴ玉のイヤリング。

 目立つ事この上ない。

”そんな近くで大丈夫なのか。気づかれやしないか”だって?

 心配ご無用。

 俺はストーカーでも、ましてや痴漢でもない。

 純然たる仕事なんだからな。

 私立探偵の仕事の中でも”尾行”ってのは基本中の基本。俺自身、自衛隊を退職し、大手の探偵社に入社した”タマゴ”の頃からこっち、尾行については張り込みやら聞き込みやらについては、警察官オマワリ並みに叩き込まれてきた。

 雨が降ろうが、槍が降ろうが、ターゲットが歩いている限りは付け回さなきゃならない。

 しかし、今回はいつもとは少し様子が違う。

 何しろ”付け回してくれ”と頼んできたのは、他ならぬ今付けられているターゲットなんだからな。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

”彼女”が新宿四丁目にある、通称三角ビルにあるところの、

この俺が経営する”乾宗十郎探偵事務所”にやってきたのは、先月の終わりかけの、まだ寒さの残る、週半ばの午後の事だった。


 その時の身なりも、やはり今日と同じ、襟にフェイクファーを付けた茶色いスゥエードのロングコート、それを脱ぐと下にはニットのワンピースを着ており、背丈は中背で細身、顔立ちは本当にどこにでもいる会社員といったところだ。

 俺がコーヒーを出してやり、

『砂糖とミルクはありませんから』と、俺がいつものセリフを告げると、

初芝文子はつしば・ふみこと申します”

 控えめな口調でやっと名を名乗った。

 歳は二十五歳、現在都内の某区立図書館で司書の仕事をしている、と続けた。

 この事務所の存在を何処で知ったか?

 俺が訊ねると、

”図書館にあった新聞のバックナンバーで”と答える。

 二年ほど前に、都内でちょっとした銃撃戦があり、俺が巻き込まれ、その時のことが社会面にデカく載ったことがあった。その時の記事を覚えていたのだという。

『で、依頼の趣は何です?私は法に背いておらず、筋が通っていて、尚且つ離婚と結婚に関係していなければ、大抵は引き受けることにしてますが、その前にまずお話を伺ってからでないと、その上で諾否を決めさせて頂きます』

 彼女は俺の言葉を聞き、そこでやっとカップを手に取り、コーヒーを一口、それから意を決したように口を開いた。

『私を追いかけて、そして逮捕して欲しいんです。いえ、私の仕事を阻止してほしいんです』

 妙なことを言う人間もいるものだ。その時の俺の偽らざる本音である。

 彼女はこう続けた。

『私・・・・殺し屋なんです』

『はあ?』

『ですから私殺し屋なんです』

 俺はカップに口を付けたところだったので、危うくコーヒーを吹き出しそうになった。

『どういう意味です?』

『人を殺す殺し屋・・・・言葉通りの意味ですわ』

 俺は目の前の彼女・・・・初芝文子をもう一度良く観察した。

 はばかりながら探偵稼業で飯を喰うようになってから、もう既に十年余を過ごしている。

 こう見えても人を見る目だって、十分過ぎるほど養えている、そう自負しているつもりだ。

 繰り返すようだが、この女性は本当にどこにでもいる平凡な身なり、平凡な顔立ちで、仮に町ですれ違っても、

”ああ、こんな女もいたな”という程度の認識しか持たないだろう。

 目つきも普通で、取り立てておかしな輝きはしていないし、言葉つきも全く普通人。というより、何か切羽詰まったような、そんな響きを感じたのは確かである。

『・・・・先を続けて下さい』

 俺はそう言って、二口目を飲み下し、カップを卓子テーブルの上に置いた。

『紅サソリっていう名前をご存じですか?あれが実はこの私なんです』

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