第9話 支度②

(とりあえず、次の休みに買い物へ行こう)


 楓は買ってきたメンズ雑誌を放り出すとベッドへと倒れこんだ。その拍子に目元に前髪がかかる。その束をひとつまみして眺めながら、


(髪も、切っておくか……)


 そんなことを考えながら、楓はうとうととしていくのだった。

 そうして翌週の水曜日を迎えた。楓は朝から精力的に活動していた。溜まっていた家事を終えると時刻は昼に差し掛かろうとしている。

 楓は家で昼食を摂ると出かける準備を始めた。まずは以前足を運んだ床屋へと向かった。


「いらっしゃい」


 楓を無骨な声で迎えた店主は、その顔を見て思い出したように手を叩く。


「お、この前の綺麗な兄ちゃんじゃないか」


 店内には楓以外の客の姿は見当たらない。店主は読んでいた雑誌をカウンターに置くと、楓を席まで案内する。今日はどうするのか、と聞かれ、


「あの、前髪が伸びてきたので……」


 楓が皆まで言う前に、店主はケープをかけて散髪の準備に取り掛かった。そして前髪と前回同様に襟足も整えていく。そして楓の顔にクリームを塗ると、髭も処理していく。あっという間の手際の良さで、


「よし、今回も男前に仕上がったな!」


 店主は満足そうだ。楓はそんな店主にお代を払うと店を後にする。

 さっぱりした顔と頭で次に楓が向かったのは服屋だった。普段スーツで活動することが多い楓は、今日は新しくジーンズを購入するつもりでいた。


「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」


 店員の言葉をやんわりと断り、楓は店内を見回った。


(色々、あるんだな)


 普段服には無頓着な楓にとっては、メンズ服のショップは物珍しかった。色々と目移りしながらも、楓は目当てのジーンズを1本購入した。


 こうして楓は金曜日に向けた身の回りの準備を進めていく。女性と一緒に出掛けることをここまで意識したことは今までなかった楓だった。


 木曜日の業務は翌日のことをどうしても考えてしまい、どこか上の空になってしまった。早く今日と言う日が終わり明日がやってこないか。そんなことばかりを考えていると1日が過ぎるのが長く感じるのだった。

 ようやく長い1日が過ぎた。楓は業務が終わるとともに真っ直ぐに家へと帰ると、翌日の準備へと取り掛かる。とはいうものの、ここまで女性との外出を意識したことがない楓は、何を準備したらよいのかが分からなかった。そこで、渋々と言ったように先日購入したメンズ雑誌を手に取る。


 中にある『モテる男の持ち物』と言うページを、前回は流し読みしていたが今回再度目を通す。

 ハンカチは普段持ち歩いているものだったが、リップクリームはなんだか綾乃を意識しすぎているようで恥ずかしい。そもそもそんなものは持っていなかった。臭い対策のアイテムとして、口臭を消すスプレーを用意する。そしてグルメ情報アプリだが、楓はスマホを持ってはいたもののあまりアプリの類を使ったことがなかった。きっと使うことはないだろうと思いつつも、雑誌に載っていたおススメのアプリを何となくダウンロードする。


(結局、この雑誌に頼ってしまったな)


 楓は少し複雑な気持ちになりながら就寝準備に取り掛かる。明日の寝坊だけは絶対に避けたい楓は、目覚まし時計を2つセットする。

 明日になれば、綾乃に会える。どんな会話をしようか。楓は高鳴る鼓動と共に眠りにつくのだった。


 そして待ちに待った金曜日を迎えた。楓は目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。もぞもぞとベッドから出た楓は2つセットしていた目覚まし時計を止めると、シャワーを浴びるために風呂場へと向かった。


(とにかく、清潔感が大事だよな)


 そんなことを考えながらシャワーを浴びる。普段そこまで体臭がきついわけではないのだが、それでも今朝ばかりは入念に身体を洗っていく。風呂場を出た楓は普段は自然乾燥の髪を、ドライヤーで乾かしながら整えていく。

 着替えを済ませた楓は朝食の準備に取り掛かる。とは言っても、綾乃と2人で出かけられることで胸がいっぱいで、いつもの量の半分ほどしか喉を通らなかった。

 家を出る時間まではまだ少し余裕がある。しかし準備を終えた楓はソワソワしてしまい落ち着かなかった。結局早めに家を出て、待ち合わせ場所に指定した映画館へと向かうのだった。

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