心に反して

「…お前は何も理解していない…

この体に流れる血が、容姿こそが… 奴の存在を反映している、その意味をな」


紫苑の、稔譲りの美しい銀髪が、音もなく揺れる。


「…“梁”、お前は知らぬだろうが…」


そう言いかけて、ふとその眉間に皺を寄せた紫苑は、そのままその瞳を見開いた。


「いや、それも詮無いことだな…

さあ、どうする梁牙。あくまで俺に楯突いてみるか?

お前が俺に敵わないのは、お前自身が一番よく分かっているはずだろう。

それともお前は、母親を人質に取られるだけでは飽き足らず、父親をもその手で殺めたいのか?」


「!…」


これを聞いた梁の体は、今までの驚愕など、到底比べ物にならない程の早さで反応を示した。


ショックのあまり反射的に口元を押さえた梁は、呼吸困難になってしまったのかと思うほど、目を愕然と見開いたまま、息を止めている。


その体がやがて本能に従い、呼吸するという動作を無意識に再び起こした時、梁の顔色は、もはや死人のそれに近いものへと変貌していた。


「分かるだろう、煌牙はそれ程、甘くはない…」


…紫苑の低くも、よく響くはずの声も、今の梁の心の奥底までは届かない。



…そうだ。

あの男ならやる。

息子である自分を…伴侶と認めた彩花を手に入れる為なら、何でも。


人を傷つけることも、殺めることも、自らの欲望のままに行う。

…その能力故、一方的に。



「あいつが甘くないことなんて…

多分、俺が一番分かってる…!」


梁は悲痛に眉根を寄せた。



敵わないことも

恐れていることも

逃げられはしないことも

よく、理解しているはずなのに。


抑えつけられて、服従させられて…

挙げ句、守りたかったはずの、稔を殺めるための餌とされる。


…分かっている。

自分は利用されているだけだ。

現在と未来、二人の紫苑にも…そして煌牙にも。



「!…っ」


梁は我知らず声を洩らした。


それでもまだ、ただ利用されているだけの人形であるなら、そう…割り切れる。

感情を殺すことも、恐らくは…出来ないこともない。


だが。

紫苑と煌牙が見せる、自分への異様なまでの拘り。

執着。

それはまさしく狂信的で、逃れられない程に…縛られる。


「…、だけど…」


梁は更に考えを巡らせる。

…自分がここで負けてしまったら

退いてしまったりしたら…



…他に一体、誰が稔の側に居てやれるのだろう?



「…父さん…」


梁は、静かにも…そっと呟く。

縋りたい気持ちと、憧憬と…

切なげな心境がない交ぜになって。



…どうして許されないのだろう。

自分は、ただ…両親と共に居たいだけなのに。


例え父親が仮初めのものでも…

自分が親だと思い、慕う相手と一緒に居たいだけなのに。



そんな簡単なことが何故…

“どうしてそこまで、赦されない?”



「…ねえ、紫苑。話の意味は分からないけど、早く梁牙を休ませてあげた方がいいんじゃない?

何だか、さっきよりも顔色が悪いみたいだし…」


彩花が紫苑から離れ、梁の側に付き添いながら問う。

それに、成長した方の紫苑は、ゆっくりと瞬かせた瞳を梁へと落とした。


…そして、笑う。


「やはり母親だな、彩花。梁牙のことが、それほど気になるか?」


しかし、この明らかな挑発を秘めた言葉に、極めて敏感に反応したのは、彩花ではなく、幼い紫苑の方だった。


「…何が言いたいの? 未来の僕」

「そうあからさまに嫉妬するな」


紫苑はまた、軽く含み笑うと、視線を向けたままの、梁の様子を探る。

その脳内で策を巡らせているのか、梁は、徐々にではあるが以前の様子を取り戻しつつあった。


梁は、彩花の心配を余所に呟く。


「…母さん、俺の体調は、別に何ともないから気にしなくていい。

それよりも紫苑、お前がそうまで言うなら…ひとつだけ、頼みたいことがある」


先程まで強いショックを受けていたはずの梁は、一転して、それが失せたかのように真剣に紫苑の目を捉えている。

その異質な様子が、紫苑の心に鋭利な警戒を抱かせた。


「それまでの態度を一変させるか…面白い。お前のことだ、また何か奇策でも思い付いたのだろうが…

まあいい。言ってみろ」


紫苑は余裕が示すままに腕を組む。

その様子は、自らが意識せずともそのカリスマを、そして持ち得る強大な力を周囲に知らしめる。


そんな紫苑が実の兄であることに、梁は以前から、言いようのない焦燥を覚えていた。

しかしそれと同時に、だからといって、ここで退く訳にはいかないことも、梁は充分に理解していた。


…梁は自らの今の心情を、その言葉に強く込めて願い出る。


「紫苑… 頼む、俺を父さんの元へ連れて行ってくれ」

「…行きたければ勝手に行けば良いだろう」


紫苑は、わざと梁を試すように、そして挑発するかのように素っ気なく言い捨てる。

しかし、以前の状態なら明らかにそれに呑まれてもおかしくなかったはずの梁は、一度だけ左右に首を振った。


「こんな時に俺を試そうとするな、紫苑。…お前の、俺の件に対しての腹は読めているつもりだ」


逆に煽るような言葉をぶつけることで、梁は逆に紫苑の反応を引き出そうと画策する。


…紫苑の考えはいつもながら、その量すらも規模すらも未知数で…

当然ながらその全てを把握し、読める訳ではない。

だとすれば、そんな彼から物事に対しての先手を取るには、ひとつひとつの紫苑本人の考え方を意識し、捉え、それを元にしてこちらも動く必要がある。


兄である紫苑を出し抜き、先手を取り、その行動を少しでも抑える為には…

まずは、相手の物事への捉え方を把握しておかなければならない。


そんな心中を、つとめて表情には出さないままに、梁は紫苑に話を続けた。


「お前は、俺が自らの意志で“氷藤梁牙”でいなければ…

お前の弟として当然で在らなければ、父さんを殺すつもりでいるんだろう?

…だったら、俺は自分の意志で父さんと決別する。それまで母さんは、昔のお前の人質状態のままで構わない」


「……」


この梁の申し出に、紫苑はわずかに瞳を尖らせた。

単純に事を捉えれば、それは表面的には、あたかも美談のようだ。


押しつけではない、“自らの意志での決別”という視点。

確かに、梁の方から稔を突き放すというのであれば、稔の側からは表面上、こちらの思惑を読み取ることは不可能だ。

故に、稔の側から見れば、傷つくのは己と梁のみ。

そこに第三者からの介入は、そしてその存在は…

まさしく、微塵も窺わせない。


だが、問題は…

あの稔が、そう易々と梁を手放すとは思えないということだ。

例え梁自身が己を犠牲にし、自らを投げ出そうとも、その裏を稔に読まれた挙げ句に阻まれるようでは意味がない。


だとすれば、梁は相当の苦言を強いられるはずだ。

と同時に、演技力も試される。

…あの稔に。

あの、緋藤の後継者を相手に──



「…お前に稔を拒絶出来るとは思えんが」



結果としてその整った唇から漏れいでるのは、否定の言葉。

だがそれに、梁ははっきりとした反の意志を示した。


「やるさ。それで父さんを助けてくれるのならな。

あの父さんのことだ、俺がこんなことをお前に願っていると知ったら、激昂するじゃ済まないだろう…

でも、それでも構わないんだ。

…あの人が…生きていてくれるなら」


「……」


紫苑は相も変わらず測るように梁を見ていたが、やがてその申し出が真剣なものであると認めたのか、つと、扉の方に向かって歩き出した。


その場に置かれた梁の方を振り返ることもなく、ただ、扉、その一点を見つめながら、梁へと問う。


「…その言葉に偽りはないな?」

「ない」


梁は間髪入れず、きっぱりと答えた。

紫苑は扉の前で歩みを止めると、一度ゆっくりと瞬きをした後、振り返る。


「いいだろう。ならば連れて行ってやろう…

お前に真に、その覚悟があるのであればな…!」

「…? 何を今更…」


梁は、いつになく諄くも念を押す紫苑に対して、眉を顰める。

それを、その美貌に似合う冷笑と共に流した紫苑は、静かな視線のみで梁を促した。


頷いて紫苑の後に続く梁に、母親である彩花の、不安げな声がかかる。


「二人とも…、何処へ行くの?」

「…煌牙の元だ」


紫苑は簡潔にそう答える。

そして自らの傍に寄る梁を再び促すと、二人はそのまま、その場を後にした。


…結果、残ったのは、幼い紫苑と彩花の二人。


幼い紫苑は、母親にその瞳を落とすと、二人きりであることがさも嬉しいかのように、満面の笑みを浮かべて抱きついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る