好天考察

 天気予報のアプリを何度確認しても、明日、日曜日の予報は雨。

 場所によって良い運勢と悪い運勢が存在する占いサイトと違い、どのアプリやサイトを見ても、明日の天気は雨。100%の降雨。


 まあ、梅雨時期だから仕方ないのだけれど、せっかく広斗くんの部活が休みで、久しぶりのお出かけなんだから、天気も少しくらい融通を利かせてくれてもいいんじゃない?


 私は窓越しの青空を見上げながら、今頃部活で頑張ってる広斗くんを思い、確かにサッカーするには今日の天気はいい天気なんだろうけど、今日の晴れと明日の雨を足して割って曇りになってと祈っても、バチは当たらないよね?


 夜、明日の予定を確認したりする電話越しの雑談の中で、昼間に感じたことを話す。


『つまり凪海なみは、明日が悪い天気だと?』


 いかん、誤解を与えてしまったか。


「あのね、雨だからお出かけが嫌ってことじゃなくて、せっかくの、デ、デートなのにちょっと残念っていうか」


 デートって単語、ホント慣れない。


『デートは楽しみだけど、天気が悪いのが残念ってこと?』


「そう言ってるつもり…なんだけど」


『それは雨だから?』


「う、うん」


 この気配は…自分が何か間違っていることを言っている気がして焦る。

 ひょっとして広斗くんは誰よりも雨が好きだとか?


「ひ、広斗くんは雨が好き?」


『あ、いや別に好きってわけじゃないよ。サッカーの時は正直困るし、泥で汚れたシャツなんかの洗濯も大変だしね』そう言って電話の向こうで苦笑する。


「私も、雨の日は髪もまとまらないし、靴下も濡れるし、この時期は少し憂鬱になるかな」


『…そっか、なるほど。じゃあさ、僕が明日「いい天気」にしてあげるよ』


「まさか、天気を変えるとか、あれ?晴れ男だっけ?」気象魔法でも習得したのだろうか?


『それは明日のお楽しみ』


●○●○


 予報通り雨。

 テレビのニュースでも、スマホのアプリでも一日中雨。


「凪海、あんた今日デートだよね?」


 朝食時、ニヤニヤ顔の母に声をかけられる。

 父は休日出勤とのことで、すでに出勤した後だ。


「…うん、まあ、そうだけど?」


 昨日の夜、今日の予定について、どこ行くか、何するか、何時ごろ帰って来るかまで報告してたつもりなんだけど、何故また聞くのかこの母は。あれか?面白いからか?

 クールになれ、私。


「駅前のショッピングモールでお買い物、お昼は適当に、それから映画だっけ?」


「なんで確認?」


「いや、雨だから駅までの行き帰り送ってあげようかな、と」


 駅までは、通学にも使っている路線バスで移動する予定で、確かに足元は気になるが…。


「大丈夫だよ」


「ちぇっ、生ひろと君を見たかったのに」


 そんなことだと思った。


「ちゃんと、後で紹介します」


「あんた、お父さんに話すのが嫌なだけでしょ?どんどん言いづらくなるよ?」


 図星を突かれる。

 

「今の関係で、どこまで報告する必要があるのかなって疑問があるだけ」


「それはなに、別れる可能性も視野に入れてるから?」


 母は、ずっとニヤニヤ顔のままだ。


「そ、そんなこと考えてない!」


 いや、捨てられる可能性なんか四六時中、視野に入っているけどさ。

 そうならないように頑張ってるつもりだし。

 でも、私が何を望んだって、二人の気持ちが変わらなくったって、それこそ何があるかわからないんだ。


「確かにさ、彼氏の紹介なんてイベント、別に義務でもなんでもないけどさ、お父さんには、あんたの口から言っておいたほうがいいんじゃない?」


 言いたいことはわかる。

 でも、私が中学に入ってから、または、思春期ってやつに突入してから、両親、特に父とは疎遠になった。

 別に嫌いになったとか、生理的にどうとかじゃなく、何かを聞かれる、それに対して答えるって、そんな簡単だった、当たり前だったやりとりが、急にできなくなったんだ。


「考えとく」


 私は冷めてしまったトーストの欠片を口に放り込む。


●○●○


 待ち合わせは駅前だったけど、私が乗っている路線バスに、広斗くんが乗り込んできた。

 傘をたたみながら、私を見つけた広斗くんが笑顔で近づく。


「おはよ、たぶんこのバスだと思った」


「おはよ。まだ時間早いのに」


 言ってから、それこそ私自身が待ち合わせ時間に早乗りしようとしてることに気付く。


「待ちきれなかったからね」彼はそう言いながら隣の席に座った。


 相変わらず思ったことをストレートに言ってくれる。

 それは私も同じ思いだけど、思ってもなかなか言えない。


「私も」


 少し照れながらこぼれた言葉は、同意につながる一言くらいだ。


 駅までの15分間、部活の話や、結月ちゃんの話で盛り上がった。


「あ、そうだ。母さんに、凪海にお礼をしなさいって言われてたんだ」


「お礼?」


「お弁当、いつもありがとう」広斗くんは頭を下げる。


「い、いつも言ってもらってるし、私がお願いして作ってるんだし」


「うん。今の感謝は母さんから。すごく助かってるんだってさ」


「…それなら、嬉しいな」


 お弁当を作り続けて一か月以上。大変だけど、へたくそだけど、時々母に手伝ってもらってるけど、冷食も使ってるけど…あれ?なんかごめん。


「でさ、何か感謝を贈りたいっていうことで、母さん出資、僕が選ぶってことでよろしくね」


「いやいやいやいや、いいよそんな、申し訳ない!」


「はいそこ、キミに選択権はありません。それとも、ポストにお金の入った封筒が入ってる方がいい?」広斗くんはクスクスと笑う。


 物言いはソフト、当たりも控えめ、物腰も低い、そのくせ頑固。

 真綿で首を絞めるっていうか、ゆでガエルのお話っていうか、心地よさに包まれたまま、いつでも私は広斗くんの包囲網に捕まる、否応なしに。

 この人は生粋の人たらしなんだと思う。

 願わくば、その力を振るうのは私だけにしてもらいたいなぁ…。


●○●○


 駅前の、ビル型ショッピングモールから散策を初め、一つのお店の前で広斗くんが足を止める。

 靴屋さんだ。


「今日の午前中のミッションを説明します」


 彼は私に向き直って話し出す。


「凪海には、自分でいいなと思う「靴」を選んでもらいます。条件は三つ。防水であること、普段履きできること、そして制限時間が一時間」


「え?っと、さっき言ってたお礼の話?」


「うん」


「制限時間はともかく、条件というのは?」


「凪海のことだから遠慮やらなんやらであちこち迷って後でいいや、なんて言いそうだから、あえて条件を付けた強制ミッションね。あ、これクリアしないとお昼抜きになります」


 それは困る。行ってみたいねって言ってたカフェのランチ、私のお腹はそれを求めているんだから。


「…がんばります」


 いろいろと思うところはあるけど、好意に甘えようと思った。

 それに、他でもない広斗くんのお母さんからの気持ちなんだ。ここは固辞するべきではない。

 幸い、最初のお店で気に入ったデザインの靴が見つかった。

 ミッドカットのレインスニーカー。

 今日のコーデでも学校の制服でも違和感は無いと、思う。

 お値段も、自分で買おうと思えば買えるし、我ながら満足できるチョイスだ。


「どうする?雨だけどさっそく履いていく?」


 会計を済ませた広斗くんが聞いてくる。


「あっと、ウチね、新しい靴は、良い日の朝におろすってのがあってね、すぐにでも履きたい気持ちでいっぱいなんだけど、その、ゴメンね」


 ウチの両親はそういうところを重んじるところがあって、自然にそういうもんだと思っていたけど、友達には不思議がられた経験があった。


「あ、うちもそうだよ。吉日はともかく午前中におろすんだ。地に着けるものだから、大地への感謝って教わった。うちの親と、凪海のご両親、気が合うかも知れないね」


「…家の相性って、やっぱ、気になる?」


「え?特に気にしてないよ?…ひょっとして、交際相手に何か条件でもあるのかな?ツバメの子安貝でも持ってくるとか?」


 どこのかぐや姫か。


「そんな条件無いよ。ん、なんかね、もらってくれるならそれでいいんだって」


「…ふうん。僕としては、もらうつもりは無いんだけどな」


 心臓が早鐘を打つ。


「…え?」


「あぁゴメンゴメン、誤解させた。慣習や風習はともかく、凪海をモノとして扱いたくないってこと。正確には、一緒にいることを許してもらう、かな?」


 この人は、本当にずっと変わらないのだ。

 恋人は得るものでは無く成るものだと、揺るぎなく、思い続けているのだろう。


「…私も、認めてほしい」


 本当はそんな必要だって無い。

 でも不安だから、自分に自信が無いから、この人の隣にいてもいいよ。そんな確証を、友人への説明や、家族の同意として形にしたいんだ。


「ま、ダメって言われたらさ、攫って逃げちゃうだけなんだけど」


 この人はそんな楽しそうに笑うが、いざとなったら本当に実行しちゃうんだろうなと、嬉しく感じた。


●○●○


 楽しい時間はあっという間に過ぎ、もうすぐ広斗くんが降りるバス停だ。

 雨は降り続いていたけれど、悪い天気だとは思っていなかった。


「広斗くんの言う通り、悪い天気じゃなかったよ。ありがとうね」


 広斗くんと一緒の時間は、雨で悩んでいた昨日の私をあざ笑う。

 

「え~と、じゃあ今日はいい天気だった?」


 あれ、悪い天気とは思わなくなれたけど、いい天気とは、またちょっと違う?


「雨でも…広斗くんのおかげで楽しかったよ。だから、いい一日だったよ」


 でも、私のそんな言葉を聞いて、広斗くんはニヤリと笑った。

 気が付けば、広斗くんの降りるバス停が目前となった。


「あ、広斗くん、降車ボタン」


 乗り慣れてないから、知らないのかと代わりにボタンを押そうとする手を、キュッと握られ動きを止める。


「まだ、降りないよ」


 楽しそうに笑う広斗くんは、私の降りるバス停まで、私の手を離さない。

 どうやら送ってくれる。そういうことらしい。

 まだ「いい一日」は終わらなかった。


●○●○


 バスを降りて傘を差そうとした私は、広斗くんに止められる。


「言ったろ?「いい天気」にするって」


 彼はそう言って傘を広げた。


「おいで」


 彼はそう続けて私に左手を差し出す。

 …なるほど。

 なるほど!理解した。雨だからこそ成り立つ行為。やったことないから想像すらしなかった場面。

 それ故に、サラリと簡単に相合傘を誘う広斗くんに疑念も浮かぶ。


「…なんか、すっごく慣れてる」照れを隠すようにしたら、拗ねたようになった。


 でも、その手を取ると、少し汗ばんでいる気がした。


「…慣れてるもんか。ずっと機会をうかがってただけ」


 傘の下、彼の横に寄り添う時には、彼も余裕のない声を返す。

 右腕に感じる体温が、こんなに心地よい温かさがあることを教えてくれる。

 ぎこちない二人、やがて歩き出す。

 言葉も無いけれど、身長の違い、歩幅の違い、自然に調和が取れる。


「雨がいい天気なんて、思いもしなかった」


「干ばつが続いたり、砂漠で遭難していれば、雨は恵みの雨だろ?そもそも天気なんてさ、僕たちになんとかできるようなものじゃないだろ?」


「そうだね…晴れを願っても雨は降るし、雨を願っても晴れが続くこともある」


 まるで人生だ。

 どうしようもないことなんて、きっとたくさんある。


「晴れを願ったり、雨に祈ったりっていう気持ちはいいと思うんだ。でもさ、自分の力でなんともならないなら、受け取り方を変えるしかないって思ったんだ」


「…心の持ちよう?」


「うん。昨日の凪海はさ、雨で憂鬱って言って、ホントに憂鬱そうな声だったんだ。僕はさ、凪海が憂鬱な気分になっているのが悲しかった」


「ごめん、そんなつもりじゃ…」


「わかってる。せっかくの楽しいデートに水を差される気分ってのはわかった」


 誰が上手い事を言えと…。


「だから、こうして雨だからこその楽しいことを教えてくれたんだよね」


 私は、彼とのスキマをほんの数ミリ近づける。


「うん。雨だからこそ楽しめる何かがあれば、たとえ雨でも、凪海は幸せになれるかなってさ。だって、せっかく生きてるんだ。寿命ってやつが均等にあるならさ、絶対笑ってる時間が多い方が幸せだと思わない?」


「…どんな時でも楽しくなれるように…」


「まあ、そりゃあさ、洪水とか、地震とか、大災害はともかく、日常を暮らす時は、どんな天気であっても楽しくありたいって思うんだ」


 気象魔法でも習得したのかと思ったけど…それは違ったけど。


「広斗くんはやっぱり魔法使いみたいだ」


「…なんだよ、それ」


「私のココロの霧が、きれいさっぱり消えたから」


 自分の中の霧、それは誰かの理かもしれないし、固定概念かも知れない。

 いつの間にか「雨=悪い天気」って思いこんだ霧は、もうどこにも無かった。

 だから、雨の下だって、私は晴れやかな顔で笑う事ができた。


●○●○


 夕飯の前、リビングで雨の音を聞く。

 雨だれの音を聞く。


「なに感傷に耽ってんのよ…ひょっとして、まさか!」


 リビングにやってきた母が開口一番失礼だ。


「なにもないってば…」


 どうあっても、娘にドラマティックな展開を強要しようとするのはやめてほしい。


「あんたがここでテレビも見ないでじっとしてれば、なにかあったかって心配になるでしょうが」


「雨の音、いろんな音があるんだなぁって」


 そんなことも忘れていた。


「ねえ、覚えてる?昔はさ、あんた、いっつも外で遊んでて、お父さんと公園にばっかり行ってたでしょ?」


「…そうだっけ?」


「そうよ。で、この時期になるとずっと雨でしょ?最初はアニメとか絵本でごまかしてたけど、それも利かなくって困ったわ」


「人を禁断症状持ちみたいなふうに言わないでよ…」


「でね、ある時、雨だれのリズムでお父さんがお腹を叩いたの。あんたはそれが面白くて、何度もせがんで、お父さんのお腹、真っ赤になってね」


 母は楽しそうに笑うが、覚えていない…でも。


「…ピアノ」


「そうね、お腹太鼓が使い物にならなくて、あんたはおもちゃのピアノで、雨音に合わせてでたらめな曲を弾いてた」


 そうだ。それが楽しくて、雨が降らなくなって、雨が降らないことで泣いたんだ。


「…なんか、いろいろ忘れてるね、私」


「それでいいのよ。それに自然に思い出すわよ。自分が親の立場になったらね」


 ふと、幼いころの、記憶の中の両親の笑顔が、私と広斗くんの笑顔と重なった。


「私、お父さんやお母さんみたいになれるのかな?」


「ここを目指さなくていいでしょうよ。あんたたちは、あんたたちのやり方でいいの。お父さんとお母さんもそれに気付いてから、あんたの相手に条件をつけるのやめたんだから」


「もらってくれさえすればいいってやつ?」


「あんたを選んでくれるんだから、あんたが選ぶ人なんだから、それを尊重するよって話だよ」


 母は笑いながら台所へ歩く。


●○●○


 就寝前、私は思いついた疑問を広斗くん宛にメッセージで送った。


「ところで、なんで防水って条件だったの?」


 私はいつでも履ける準備を整えたレインシューズを眺めながら返事を待つ。


『保険』たった二文字の言葉がすぐに返ってくる。


「保険?」私は三文字で返す。


『相合傘を誘えなかったとき、凪海が雨を待ち遠しく思えるように』

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考察する二人 K-enterprise @wanmoo

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