第32話 天秤の鉄拳

「では、証言と証拠はお持ちですか?」


 弁護士の男は、男も含め全員にそう告げた。

 喪服にも似たスーツ姿は、弁護士の感情を一切感じさせない。情も無ければ意思もない。証拠だけを元に、全てを判断するのだろう。

「申し遅れました。私、久保法律事務所所属の久保正義と申します」

 律義に自己紹介をした久保弁護士は、胸ポケットのメモ帳を取り出し、ロボットのように動き出した。

「おや、あなたは……」

 私の方を見て、そう言った。あちらも覚えていたようだ。

「以前も暴力事件として挙がった少女では……? 名前は確か、猪川さんでしたよね?」

「あぁ、そうだ。まさかあんたが、そのクソ野郎の親だったなんてな」

 すでに勝ち誇ったような顔をしているあいつが憎らしくて堪らない。


 おかしいとは思ったんだ。たかが不良の喧嘩みたいな問題に、弁護士を使うようなことをするか、なんて。

 親が弁護士。それがあの男の強みだった。

 物的証拠だけ確立させ、あとからそれをネタに法的処置を仕掛ける。そういうやり方か。そりゃ財力も権力もお持ちなわけだ。

「猪川さん。あなたは特に事件になったわけではないので前科持ちというわけではありませんが、問題のある人物として証言の正当性は低いものになります。宜しいですね?」

「私の証言もだが、この状況を見てどっちが悪いかなんて、分からないのか?」


 私は天音を隠す形で、前に立った。服装が乱れている状況で、あまり人前にはいたくないだろう。

「こっちは誘拐、監禁までされてんだ。状況証拠が十分すぎるだろうが」

「状況証拠なんて、人の観点でそれぞれ変わるから何の意味も持ちやしないさ」

 男は自慢げに、自分のスマホを弁護士に見せた。

「これは、さっきあそこにいる女から直接聞いた声を録音したものだ。確認してよ」

 弁護士は黙ってスマホを受け取り、再生する。

『あなたがしたいこと、全てします。満足させます……私を好きにしてください』

「…………」

 再び再生される汚点を、天音は黙って聞いていた。

「傍から見れば、たしかに僕が悪いことをしているように見えるかもしれない。でも、これは同意の上での行為に過ぎないんだ。まぁ、僕も親に自分の性癖みたいなものを露呈するのは恥ずかしいが、両者が納得して行っている行為さ。学校だったのも、雰囲気を出すため。僕は、彼女が拒否したことは一切していないよ」

「ふざけんな! お前、何もかもが悪意に満ちた行動だったろうが!!」

「そう喚くな。なら、僕が悪いっていう証拠写真とかはあるのかい?」

 嘲笑いながら、私を指さした。

「それに君が持っているのは、竹刀だね。これは不思議だ……半年前と同じ凶器を使っている。前回の事件から、何も反省をしていないみたいだ。これは、法的判断には大きく関係してくるだろうね。なぁ、父さん」

「……私はいくつもの事件を扱ってきました。正常な判断には、冷静な思考が必要です。思考のためには、その場を理解することが必要なのです」

 心の無い言葉がつらつらと並び、今度は高梨や津田、加奈の方へ向いた。

「あなた達からは、何かありませんか?」

「じゃあ、私から良いですか?」

 高梨が、授業さながら手を挙げて質問した。

「どうぞ」

「もし、ここであなたが彼を被害者だと判断して法的処理を行う場合、私たちは罪に問われるのでしょうか?」

「そうですね。今の言動を全て正しいと判断するのであれば、集団での暴行、しかも凶器を用いた犯行なので、前科になるでしょうね」

「では、その時は警察に捕まる前に、本気であの人を攻撃します」

 高梨は真剣に、そう告げた。

「バカかお前。そういう発言こそ、自分の立場を危ぶむことになるんだ。聞いた? 父さん。この人たち、根っからの狂暴性を秘めてるんだよ。今回はそれが露呈したに過ぎない。むしろ、犯罪を未然に防げたんだ」

 男が喚くのを他所に、弁護士は真っすぐに高梨を見つめ続けた。

「たしかにあなたの発言は攻撃的過ぎます。私は中立な立場として、ここに来ました。あなたの発言は、息子が言うようにそちらの立場を悪くするだけです。一度だけ訂正を認めますが」

「訂正は要りません。実行します」

 毅然とした態度だった。

「猪川さんも、みんなも、何をそんなに身構えてるの?」

 心底不思議そうに首を傾げた高梨は、さも当然かのように言った。


「友達が酷い目にあったのは事実だよ。法がどうしようが、知ったことじゃないね」


「高梨……お前……」

 ただの馬鹿だと思っていたが、きっと友達になっていたら、本当に良い奴だったのかもしれない。こんな人間もいるんだ。噂に流されず、自分の信じた人を信じれる人間が。

「天音……あれ、お前の友達だぞ」

「……うん……うん」

 背中から、鼻をすする音がした。一人で戦ってきた女の戦歴だ。素敵なものじゃないか。

「えっと、何か勘違いしてると思うけど、猪川さんもだからね。友達って」

「なんでお前と私が友達なんだよ」

「え、なんで友達じゃないの? コミュ障なの?」

 まるで私の方がおかしいかのように、小首を傾げてみせた。

「一緒にパフェも食べたじゃん。一緒に友達を救いに来たじゃん。一緒にここまで来たじゃん。十分だと思うけどな~」

 違う? そう聞かれて、私は何も言い返せなかった。

「ここにいるみんな、友達だよ」

 満面の笑みだった。こんな風に人から信用されたのは、久しぶりな気がする。

「お前の友達が何か言ってるぞ、天音」

「あなたの友達でしょ? あんな風に恥ずかしげもなく言ってるの」

 小さく笑う天音は、敬語を使わずにそう言った。

「あ! でもあなたは違うからね! 小さい人! あなたは嫌いだよ!」

 しっかりと釘を刺した高梨は、勝鬨をあげるかのように拳を突き上げた。

「……あなた方は、そういう人たちなのですね」

「うん。そうだよ。これが私。そして、私達」

「分かりました」

 そこまで聞いて、弁護士はメモ帳を胸ポケットに戻してしまった。


「バカだよ、本当にさ」

 男は全てを聞いた後、鼻で笑った。

「君らが如何に友情ごっこをしようが、僕に対する暴力の反論になる物的証拠は無い。みんなまとめて、堕落しなよ」

「……そういえば、なぜお前は今日、私を学校に呼んだのですか?」

 男の言葉を遮るように、弁護士が聞いた。

「どうしても何も、こんなことになる気がしたんだ。僕はこの間、学校でその金髪女に暴力を振るわれていたからね! 転ばぬ先の杖だったけど、運良く馬鹿が餌にかかったってだけのことさ」

「なるほど、では、事前に危険を察知して、このような犯行をしたと」

「うん、そうなんだよ。そうそ……」

 大きく頷いていた男が、固まった。


「今……犯行って言った?」

「……えぇ」

 弁護士は、少しだけ言葉に感情を込めた。

 凄く、残念そうに聞こえた。

「待ってよ。僕は被害者だ! 犯行は、あいつらだよ!」

「私は、感情を無視して正当に判断する立場です」

「だったら証拠の有無で、俺の言葉が正しいってなるだろ!」

「息子よ……今からは弁護士としてではなく、大人としてお前に話そう」

 目の前で喚く男に、弁護士は静かに言い放った。

「私は、沢山の証拠、事件、そして……人間を見てきた」

「だから何だよ……」

「罪というものは、どんなに雪いでも残るものだ。証拠だったり、言動だったり、性格だったり、目の色だったり、声だったり。償いなんて出来ない。消えないんだ」

「わけの分かんないこと言ってないで、僕を助けてよ! 僕は被害者だ! そんなことも分からないのかよ!!」


 その言葉が、男の最後の言葉だった。

 弁護士は、腰を落とした重い正拳を男の鼻頭に打ち込み、一撃で教室の壁まで殴り飛ばしてしまった。乱雑に並べられた机を巻き込んで転がった男は、声を一つもあげることなく失神した。

「え……弁護士さん?」

 高梨が目を丸くさせている中、スーツの上着を脱ぎ、私に渡してきた。

「……何だよ」

「これを、後ろの彼女に。そのままでは、彼女の尊厳が傷つく」

 少し迷ったが、受け取って天音に掛けてやった。

「縛られてる部分を見せていただきますね」

 天音の後ろに回った弁護士は、その結び目をみて頷きました。

「やはり、この結び方は両者納得のものでは無かったようですね」

 そして、どこから取り出したのか小型のカッターを取り出し、紐を切ってくれた。

「弁護士ってのは、物騒なものを持ってるんだな」

「安全な仕事ではありませんから」

 カッターを戻しながら、天音の手首の縛られた跡を観察していた。

「この縛り方は、純粋に拘束を目的としたものです。趣味でするやり方は、こんなに痛みを伴ったりはしないものなので、この手首の跡が、息子の悪意を証明する物的証拠になりうるでしょう」

 天音が自分の力で立ち上がれるのをみて、弁護士は敬礼のように私達の前で姿勢を正した。


 そして、私達に向けて腰を九十度も曲げて、頭を下げるのだった。

「この度は、愚息が大変ご迷惑をおかけしました」

「…………」

 全てが突然の展開で、誰も何も言えなかった。

 ただ、天音だけがしっかりと答えていた。

「あなたに罪はありません。ただ、彼の罪は見過ごせるものではないと思います」

 借りたスーツを返し、ボタンが外れた服を手で押さえながら弁護士に言った。

「はい、それほど、愚息の行為は違法なものだったと理解しました……」

「待てよ、おい」

 真摯に謝罪している。そう見える。

 だが、こいつだって白じゃない。

「お前、半年前にもあいつに頼まれてうちに来ただろ。暴力事件の加害者だって言ってよ」

「はい、伺いました」

「その時、何も疑問に思わなかったのか? 自分の息子がイカれてるって感じなかったのか? 物的証拠だけじゃなくて人間も見ているのなら、その時すでに疑問に思うべきなんじゃないのかよ!」

 弁護士は頭を下げたまま黙ってしまった。

「お前が無能なせいで……こっちは色んなもんを失ってんだよ。加奈も……みんなも無駄に危険な目に遭ったんだよ! お前、自分の息子が人にここまで危害を加えておいて、謝って済むなんて思ってないだろうな……!」

「何も反論できません。気が済むまで、私を殴っても構いません」

「よし、歯を食いしばれや」

 拳を握った。


 その拳を、天音が優しく握って制した。

「猪川さん、その拳を抑えてください」

「なんでだよ。こいつも殴っていいって言ったぞ。それとも、こんなことになってまで、暴力は辞めろというつもりか?」

「そうです。暴力は辞めてください」

 天音の目が、私の目を見つめてきた。睨んだりしてこない。

 何も言わず、私をただじっと見つめてくる。

「……お前は、仕返したいとは思わないのか」

「思いますよ。何なら、二度と女と話せなくなるくらいに体にも心にも傷をつけてやりたいって」

 私の手を握る力が強まった。

「でもね、それより何倍も、大事な人に暴力を振るってほしくない」

 そして、天音の瞳から一筋だけ涙が流れた。

「あなたは、人を殴りながら自分の心を殴る人だから」

「……知った口を聞くな。何も知らないだろ、ただの短気な乱暴者だ。私は」

「ううん。初めてあなたに会った時、猪川さんは私のハンカチを受け入れたじゃん」

 あぁ、そういえばそういう事もあった。顔に付いた血を、拭いてくれたんだ。


「あなたは加奈に……妹にそっくりだったんだ。寂しさで苦しくて、悪い子になっていた加奈に……だから、私はあなたには特に、暴力をしてほしくなかったんだ」

「…………」

「まぁ、途中は普通に悪い人かなって思ったりもしたけどね」

「一言余計だわ」

 優しく微笑んだ天音は、私から手を離して、弁護士の前に立った。

「あなたの気持ちも分かります……どんな形であれ、家族は大切。信じたかったのでしょう」


 そして、弁護士と同じくらい、深く頭を下げた。

「家族を叱ってくれて、ありがとうございます」

「……すみませんでした」

「私は、親の気持ちは分かりません。でも、私の親もあなたみたいに、私達子供を大事に考えてくれる、親バカでしたよ」

「ご両親にも、大変迷惑をおかけしたことを謝罪させていただきます……」

「両親は、もういません。ただ、あなたの今の姿勢を、見てくれてると思います」

 窓の外に視線をやった。

「いつでも一緒に居たがるような人たちでしたから」


 天音は、今度は高梨らの方を振り返った。

「みんな、ありがとう……加奈を守ってくれたみたいだね」

「うわ……天音さん、顔が二回りくらい腫れてて凄いよ」

 心配そうに腫れた頬を撫でる高梨は、その熱に驚いていた。

「帰ったら、私が作った軟膏を貸してあげる! それを付けたら一晩で治るから!」

「ありがとう……自作の薬はちょっと怖いけど」

 明らかに引きつった笑顔で返し、津田にも頭を下げた。

「ありがとう、津田さん。男の子が来てくれて、凄く心強かったよ」

「ううん……僕は何も出来なかったよ。居ただけみたいになっちゃった……」

「来てくれただけで、私は凄く救われたんだ。感謝してる、いっぱい」


 そして、最後に天音は加奈に微笑みかけた。

「加奈」

「うん……」

 加奈は、心配と安心で泣きそうな顔を、必死に我慢していた。

「まず、私は怒ってるぞ。何で前に怖い人に襲われたって教えれくれなかったの」

「心配させたくなくて……あの時のお姉ちゃん、ずっと我慢ばかりしてたから……」

「まったく、だからって加奈も我慢してちゃダメでしょうが」

「お姉ちゃんの負担になりたくなかったんだもん……あの時のお姉ちゃんは、私のこと好きじゃなかったでしょ?」

「え、何で? ずっと大好きだよ。当然でしょ?」

「だって、勉強と家事ばっかりして私と遊んでくれなかったし」

「あー……あの頃はまだ要領が掴めてなかったから余裕なかったんだよなぁ」

「アニメも一緒に観てくれなかったし」

「……もしかして、急に加奈がアニメを観始めたのって、一緒の時間を作るためだったの? 邪魔しないように我慢してたよ、私……」

 天音は小さく笑った。

「すれ違ってたみたいだね~。あの頃の私たち」

 やれやれ、と肩をすくめ、両手を広げて微笑みかけるのだった。

「おいで、加奈」

「……うぅぅぅぅ、お姉ちゃん!」

 堰を切ったように泣き出した加奈を抱きしめ、母親のようにその背中を優しく撫でてあげていた。あれが、加奈が大切にしていた姉の姿なのだろう。


「やっと叶ったな。加奈」

 小さく呟く。誰にも聞かれなくて良い。ただ、私は嬉しかったんだ。可愛い後輩が心から大切な人と泣けるようになったのが。


「さて、弁護士さんよ」

 私は再び弁護士に話しかけた。

「もうこっちはこんな感じだ。そっちの馬鹿の行く末は任せる。息子が可愛いなら、精々しっかり教育するんだな」

「はい……肝に銘じておきます……」

「……殴るのは、手が痛い。程々にしろよ」

「息子共々、身体にも教え込むつもりです」

「まぁ、今回に関してはしっかり教えろ、マジで。それでこの話は終わりだ」

 

 帰ろう。もう夜も深くなる。

 そう思ったが、もう一つだけ言いたいことがあった。

「おい。あいつのスマホはどこだ」

「息子のなら、これです」

「嫌な写真を撮られた。消すから渡せ」

 弁護士は、素直に渡してくれた。

 それを床に落とし、一思いにスマホごと踏み砕いてやった。

「お、綺麗に粉々だわ」

 最後に踏みにじって、破片を蹴り飛ばした。

「データは消せたわ。サンキュ」

 

 みんなの元へ戻ると、天音が加奈を抱きしめたまま、また私に向き直った。

「ごめんね、加奈が離れたがらないの」

「当分はそのままにしといてやれ。足りないくらいだ」

 二人で笑い、私も加奈の頭を撫でてあげた。

「猪川さん、私さ。あなたに言いたいことあるの」

「何だよ」

「こんな時に言うのも、おかしいんだけどね」

 そんな前振りの後、満面の笑みでこう言った。


「あなた、本当に退学になりかねない成績らしいから、本気で回避してね」

「本当に今言うのもアレだよな、それ」

「私が徹底的に勉強を教えてあげるから、安心していいよ」

「お前みたいな勉強の仕方はごめんだね。私がそれをやったら死ぬ」

 こいつほどの努力は、どんなに頼まれてもやれない。体が先に根をあげる。

「……ただ、安心しろ」

 私のやり方で、学校には残れるようにするさ。

「お前、私がいなくなったら寂しいもんな」

「うん、寂しいよ」

 半ば冷やかしのように聞いたのに、真顔で答えられた。

「だって私達、友達なんだもんね。ね、高梨さん?」

「そうそう! 猪川さんだって寂しいくせに~!」

 そのままバカみたいな勢いで高梨が飛びついてきた。それを見て、津田も苦笑いを浮かべていた。


 あぁ、懐かしい感覚だ。

 今夜は、夢も見ないくらい寝れるだろうな。

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