第4話 ルーチェ

「……ぐすん」


 涙ぐむ女の子に、わたしはしばらく呆然とした。

 押さえつけているわたしのうでから、おびえたように震えているのが伝わってきた。


「な、泣かないで!」


 どうしていいのかわからず、つい大声で叫んでしまった。

 その声に女の子はびっくりして、おびえた目で私を見つめた。


「うっ……」


 悪い気がして、わたしは目をそらした。

 

「誰……なの……?」


 女の子がおずおずと聞いてきた。

 勇気をふりしぼったんだろう。

 震えていて、よわよわしい声だった。

 

 ……でも、誰ってきかれても答え方がわからなかった。

 だからって何もしゃべらないままだと、また泣いてしまうかもしれない。

 とりあえずこの子がだれなのかを聞いた。


「君は?」

 

「……私? ……わたしは、ルーチェ」


「ルーチェ……」


 きっと、この子の名前なのだろう。

 じゃあ、わたしの名前……。


 ――わたしの名前は、何なんだ?


「わたし、は……」


「名前、ないの?」


 女の子――ルーチェが不思議そうに聞いてきた。


「……うん」


「あなたは、あの家に住んでいるの?」


 わたしの家を指さして言った。


「そう。あそこに住んでるの」


 答えてあげると、ルーチェは、目を輝かせた。

 さっきおびえていたのがウソのようだった。


「じゃあさ、あの家に入ってもいい?」


 ――その様子はまるで、きのうの私のようだった。

 断わる理由もないし、わたしもルーチェに興味がわいた。


「うん、いいよ。案内してあげる」


 ルーチェは、一目でわかるほどうれしそうな表情をした。





「すごい……」

 

 わたしの家を見上げて、ルーチェはため息をついた。

 この家のどこがいいのだろうか。

 わたしにとってこの家は、雨から守ってくれる盾であり、わたしを閉じ込める箱庭のようなものだった。


「こんな家、絵本の中でしか見たことない」


「ルーチェの家は違うの?」


「わたしの家は木でできてるから。たぶんほとんどの家はそうだと思う。こういう家は、すごく昔の家なんだって」


 昔、か。 

 確かに、この家はかなりぼろくなっている。

 前はそれなりにきれいだったのに。


「昔って、どれくらい昔?」


「わからない。五百年か、千年か、それともさらに前なのか。とにかく、すっごく昔の家なの」


「そうなんだ……」


 わたしは、どれだけ時間がたっているのかわからないけど、そういわれてみればそれくらいの年月がたっている気がした。


「そんなに昔のことだと、誰も知ってないんだ。だから、わたしも本で読んだことしかわからないの。本物を見られるなんてすっごくうれしい」


 ――なるほど、ルーチェもニンゲンなのか。

 ニンゲンは50年しか生きられないらしいからね。


 もしかしたら、ルーチェは雨に耐えられる方法を何か知ってるかもしれない。


「ほんとうに、入ってもいいんだよね?」


「うん、いいよ」


 ルーチェは恐る恐る中に入った。

 わたしもそれに続いて入る。

 

 そして、中で立ち止まったルーチェにぶつかった。

 ルーチェはそれにも気づかないでただただ家の中に見とれていた。

 わたしは毎日見ているものだから、その良さがわからない。

 けれど、ルーチェにとってはそれほど良いものなのだろう。


「ねえ、もっとあんないしようか」


 ルーチェが目を輝かせてこちらを振り向いた。 

 分かりやすい……。


「こっち来て」


 わたしはまずいつもよくいる部屋に向かった。

 地下につながる階段の近くにある部屋だ。

 そこは図書室に次いで広いところだから、すこしは気分が楽になる。

 アミーカともよくこの部屋で遊んでいた。

 

 その部屋に入ったルーチェは、静かにかべに近づいてそっとさわった。


「ひんやりしてて気持ちいい……」


 うっとりした声でそう言って、壁にほおずりした。


「うわあ……」


 さすがにそれにはちょっと引く。

 わたしは気持ち後ずさった。


 そんな私を気にせず、ルーチェはつぎに大きな窓のほうへ歩みよる。

 そして、静かにまどをたたいて感触を確かめている様子だった。


「ガラスだ……」


 ルーチェは少し驚いたようにつぶやいた。


「ガラス、珍しいの?」


「うん。都会のほうにはあるらしいけど、私の村みたいに田舎にはないかな」

 

「そうなんだ……」


 なら、どうしてこんなところに建っているこの家は、たくさんガラスがあるのかな。

 それも何か関係があるのかもしれない。


「ガラスも、まだ作られ始めてからそんなに経ってないからね。都会にしかないんだよ」


「そういえば、しゃしんっていうのも最近できたんだよね。景色を抜き取ったみたいなやつ」


「写真もってるの!?」


 しゃしんの話をすると、ルーチェが食いついた。


「しゃしんがある本はもってるよ。見てみる?」


「いいの!?」


「うん。上においてあるから、見に行こう」


 わたしはルーチェをつれて部屋をでた。


 ルーチェは、すぐ近くの、近くにつながる階段を見て聞いた。


「ねえ、この先には、何があるの?」


「図書室と、あと物置きかな」


「図書室!?」


 ルーチェが驚いたように階段の先をのぞきこんだ。


「そう。たくさん本があるの。先にそっちを見てみる?」


 それを聞いたルーチェは、しばらく悩んだ。

 けれど、図書室に行くのはまた後にした。


 二階に続く階段を上っていると、まどから中庭が見えた。

 ルーチェはそれにも見とれている様子だった。


 わたしは、その横顔を見つめた。

 

 ――おもしろい子だった。

 さっきまでおびえていたかと思えば、いまは目を輝かせてあちこちを見まわしている。


 見ていて、たいくつしなかった。

 ひとりでぬいぐるみと遊んでいるよりは、ずっと。





「ここだよ」


 やがて、きのうもらった本が置いてある寝室についた。

 そういえば、きのうはろうかで寝ちゃったから今日ここに来るのは初めてだな。


 たしか、あの本は無くさないようにベッドの近くのたなに入れておいたんだっけ。


 そのたなを開くと、ちゃんと本が入れてあった。

 わたしはそれを取り出して、ルーチェに見せた。


「この本だよ」


 ルーチェはそれを受け取って、中を開いた。


「すごい……」


 ページをめくるたび、しゃしんをじっと見つめていた。

 たぶん、またルーチェの世界に入りこんだんだろう。

 ただただ、しゃしんにくぎ付けになっていた。

 

 しばらくそうして、ルーチェはふと言った。


「……私、いつかこの場所に行ってみたい」


 わたしは少し驚いた。

 わたしとまったく同じ感想を言ったから。


 ――もし叶うなら、わたしはルーチェと旅をしたい。

 わたしはそう思った。

 

 ……でも、それが叶うことはないだろう。


「……わたしも、そう思った。」


「ほんとに!? じゃあ――」


「だけど……ごめん。いっしょには行けないんだ」


「……そっか」

 

 ルーチェは悲しそうにうつむいた。

 わたしはそんなルーチェに心が痛んだ。

 

 でも、仕方ないんだ。

 ――だって、ルーチェはニンゲンなんだから。

 わたしが外に出られるころには、きっとルーチェは死んじゃっているだろうから。


「ルーチェが嫌いってことじゃないんだよ。ただ、わたしが……」


「……どうしたの?」


 もしかしたら、わたしがニンゲンじゃないと知ったら、ルーチェは私を嫌いになるかもしれない。

 わたしは言うべきかなやんだ。


 でも、ほんとうにルーチェが嫌いじゃないって伝えるためにも、言わなければいけない気がした。

 

 たとえ、ルーチェに嫌われてしまったとしても。




「……ルーチェ、言っておきたいことがあるの」


 


 

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