第5話

 陛下がやってきた事に周りが気付くと、僕はベッドが見える位置まで下がった。僕が来た事を咎める者はいなかった。


 皆、今にも消えてしまいそうな命を目の前に、ただ祈りを捧げているのだ。僕ごときの来訪などをいちいち気にしていられないのだろう。

 しかし残酷にも、医者は深刻な顔を崩さず、ただ一言だけ伝える。


「最期に会話をなされたいと、マルゼッタ様が申されております」


 ベッドの脇に膝を着き、手を握る陛下。その目には涙が溢れ、響く嗚咽につられて何人かの鼻をすする音が聞こえる。


「あなた様、泣かないで下さい。私は、私はテレジーナを産めただけで、それだけで幸せでございます」


 話すだけでも辛そうなマルゼッタ様の一言は、陛下だけでなく周りに集まる者たちにも影響を与えた。

 我慢できずに嗚咽を漏らす者、ただ呆然とその様を見守る者……。


 僕は後者だった。医者みたいに、なにか出来る訳ではない。かといって涙を流す事もできず、ただ目を見開いて最期の声を聞いていた。


「私は、幸せにございました。あなた様と、テレジーナのこれからに、加護があらんことを……」


 絹が擦れる音が響く。白いシーツの上に、力の抜けた手が落ちた。

 目を閉じていてもなお美しく、しかし永久にその声を聞く事は許されない。その手を掴もうと必死に空を切った拳を、陛下は固く握りしめて、そして立ち上がった。

 この部屋は今、涙で洪水が起こりそうだった。



 次の日、マルゼッタ女王陛下の死が、国民全員に知れ渡った。歓喜の祭りが遠い昔に行われたように、ヴェルデは悲しみに包まれた。

 民たちはテレジーナ姫の成長を見守る事で、なんとか女王様の死を乗り越えようとした。


 白い肌。青い瞳。漆黒の髪。まだ赤子だというのに、容姿の一つ一つが彼女とそっくりだった。それは民たちの心の拠り所となり、一層慈しまれて育てられた。


 しかし、国王は違った。テレジーナ様に目もくれず、悲しみに身を投げ、死を請うようになった。マルゼッタの元へ行かせてくれ、と。

 玉座の間で謁見しても、快活な笑顔はない。ただ虚空を見つめて、僕なんて見向きもしない。

 痛ましい姿を晒し続ける陛下に、下々の者は不安を隠し切れなかった。


 その間に、僕はラオと結婚した。日々の移ろいで、僕たちの間にはいつしか愛が芽生えていた。

 生前の僕の両親ラオの両親とが仲が良かったこともあってか、僕たちの縁談は走るように決まった。その後も僕たちは城に仕える者として働き続けた。


 ようやく国王に変化が見られたのは、五年もの歳月が経った時だった。


 門兵にプレートを見せる。屈強そうな男のその顔に、以前のような精力は無く、ただ仕事をこなすのみ。

 いつもの通り会釈を交わし、複雑な顔を浮かべながら、帽子を脱いで部屋へと入る。


 すると、陛下の傍に見知らぬ女性が立っていた。大変美しい方なのはわかる。

 だが心を見透かされているような、そんな目に僕は玉座に近付く足が止まった。

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