第20話

「今日はいつもと様子が違うと思ったら鬼瓦おにがわらくんがいないのね」


「へへへ。それでもこうしてノコノコ追ってくるんだからおめぐる(まわり)りの鑑ってやつだよね」


「褒めてくれてありがと。だったら鑑らしくあなたたちを補導して正しい人生を送らせたいんだけど、どうかな?」


「それはできない相談ってやつだ!」


「んぐっ!」


 暴隠栖ぼういんずの構成員がめぐる(めぐり)に殴りかかるも、それを華麗に回避され他のメンバーに当たってしまう。めぐる自身は一切手を出さず、その小柄かつ薄い胸を活かした回避術で同士討ちを狙い数多くの抗争を治めてきた。


 偶然、こぶしや足が当たった事故という処理をして罪を負わせず、新たな人生をスタートさせる。そんな実績を数多く積んだめぐるは暴走族事件を任される存在だった。


「くそっ! すばしっこい女だぜ」


「ここでやらなきゃ、どのみち鬼瓦おにがわらさんにやられるんだ!」


「くそーっ!」


 彼らはめぐるへの敵対心というよりも鬼瓦おにがわらに対する恐怖で動いていた。


「ねえ、そんなに鬼瓦おにがわらくんが恐いなら暴隠栖ぼういんずを抜けましょう? まだ若いんだし全然やり直せるよ」


「そういうことじゃねーんだ! あの人は……いや、あの悪魔は……」


「俺らの気持ちも知らないで勝手抜かすな!」


「お前がさっさと鬼瓦おにがわらさんを捕まえてればこんなことには」


 この場に鬼瓦おにがわらがいないのを良い事にめぐるへ不満をぶつける暴隠栖ぼういんずの面々。しかし、そんな怒りを込めた攻撃は一切当たらず少しずつ彼らにダメージが蓄積されていった。それと同時にめぐるの体力も削られていく。いくら訓練を受けているとは言え無尽蔵に動けるわけではない。少しずつ攻撃への反応に遅れが生じていた。


「くっ!」


 今まで当たる気配が全くなかった攻撃が腕をかすめた。


「おい! 今、パンチが町尾まちおの腕に当たりかけたぞ!」


「さすがに体力の限界か?」


「ここで町尾まちおとしたら待遇良くなるんじゃね?」


「悪く思うなよ。鬼瓦おにがわらさんを野放しにしたお前が悪いんだから」


 好き勝手言いながら攻撃の波をさらに強める暴隠栖ぼういんず


「あなた達、本当にそれでいいの? ここで私を倒しても人生は悪い方に流れるだけ」


「おいおい。そんなこと言って自分を守ってるだけだろ」


「どうせ人生詰んでるんだ。それなら地獄までちてやる」


 普段よりも人数が多いのが気がかりとは言え、いつも通り一人で対応しようとしたのは失敗だったと後悔しても遅かった。万事休すと思われたその時、暴隠栖ぼういんずのヘッドである鬼瓦おにがわらが現れた。


「やあやあ、全滅してなくてよかったよ。これだけ大人数でも町尾まちおさん一人に任せるなんて警察ってブラック企業なの?」


「警察は企業じゃないわ」


「うーわ。ブラックは否定しないんだ」


 鬼瓦おにがわらの登場によって攻撃の手が一斉に止まった。その間に息を整えて次に供える。


「そんなブラック労働を強いられている町尾まちおさんにスペシャルプレゼントを用意したよ。豪拳ごうけんくーん」


「……」


「なんで? どうして早乙女さおとめくんがここに?」


「それはね。豪拳ごうけんくんは僕らの仲間になったからでーす」


「……」


 オレはただうつむいて黙っていることしかできなかった。


町尾まちおさんが余計なことをするからこんに話がこじれちゃったんだよ。でも安心して。しばらくはベッドの上でゆっくり休めるから」


「どういうこと?」


 町尾まちおさんは鬼瓦おにがわらをキッと睨みつける。その小柄な身体と童顔に似合わないほどの迫力があり、この人数を相手にできる能力も含め訓練を受けた警察官であることを実感した。


豪拳ごうけんくんは口では仲間になるって言ってくれたけど、やっぱり行動で示してくれないと信用できないわけ。だからさ、町尾まちおさんには豪拳ごうけんくんのサンドバッグになってもらうね」


早乙女さおとめくん、どうして? もう戻ってくるんじゃないって約束したばかりなのに」


「…………」


「何か事情があるんでしょう? 話してくれないとわからないよ」


 冷静に考えればひとまず町尾まちおさんに暴隠栖ぼういんずを任せて警察に助けを求める方が利巧だった。でも、この時のオレは正常な判断力を失っていた。


 町尾まちおさんが暴隠栖ぼういんずにリンチされる前に、オレが一撃で気絶させればこの場は丸くおさまる。オレは町尾まちおさんに軽蔑されるかもしれないけど、恩人である町尾まちおさんを守れると思っていた。


「さあさあ豪拳ごうけんくん、一発と言わず何発でもやっちゃって」


「……はい」


 こんなにも心と言葉が真逆だったことがあっただろうか。ただ町尾まちおさんを助けたいだけなのに、実際の行動は町尾まちおさんを傷付けるというもの。


 町尾まちおさんの方に進む足取りの一歩一歩が重い。どんな奇跡でもいいから町尾まちおさんを無事にこの場から逃がしてほしい。そう願いながらも近付くのは絶望だった。


早乙女さおとめくん、考え直して。負わなくてもいい罪を背負わないで」


「……っ!」


 町尾まちおさんは本当に優しい。自分の身ではなくオレの将来を心配してくれている。オレが町尾まちおさんを殴りたくないのは単なる申し訳なさや、人を殴る恐怖ではなく……。


「好きです」


 誰にも聞こえないような小さな声でつぶやくと、オレは自分の拳を目いっぱいの力を込めて振るった。


「がはぁ!」


 直前まで冷徹で不気味な笑みを浮かべていた鬼瓦おにがわらは苦悶の表情を浮かべている。


 だが、膝を付いていない。確実に相手を倒すつもりで放った一撃にも関わらず耐え抜かれてしまったのだ。


 周りにいる暴隠栖ぼういんずのメンバー達は状況が飲み込めないのか、鬼瓦おにがわらの指示がなければ動けないのか、ただザワザワするばかりで誰も動こうとはしなかった。


「……はぁ……はぁ……豪拳ごうけんくん、どういうつもり……かなぁ?」


「やっぱりオレ、暴隠栖ぼういんずには入れません。鬼瓦おにがわらさんを殴った罪をちゃんと償って、自分が本当にすべきことを考えたいと思います」


「ふ……ふふふ。なに言ってんの? こんだけいいパンチが打てるのに使わないなんてもったいないよ。その力でさ、天下取ろうよ?」


 不意打ちをくらって、それでもなおオレを勧誘する鬼瓦おにがわらに対してより一層不信感が強くなる。


「こんな裏切り者みたいなやつを入れたら、またいつ殴られるかわかりませんよ?」


「だからいいんじゃん。今や僕に逆らうやつがいなくて退屈してるんだ。いつ潰されるかわからない恐怖を楽しみたいのよ」


 ニタァっと笑うその姿は恍惚こうこつでとてもじゃないが理解できる感情ではなかった。


「あああああああ! 久しぶりに暴れちゃおおおおおおお!」


 突然叫び出したかと思うとなんの躊躇ちゅうちょもなく殴りかかってきた。急なことだったので反応が遅れてしまい、鬼瓦おにがわらの拳が肩をかすめる。


「こんなことをして何になる!」


 オレの反撃の一撃を鬼瓦おにがわらは胸で受けた。先程と違い、むしろこちらがダメージを受けるほど胸筋が固く、只者でないことを再認識する。


「だってさ、こんなに強いのに弱いおっさんに頭下げるのとかバカバカしくない? 自分より強いやつはみんなでボコって潰して、僕が王様になるんだ」


 ヘラヘラと笑いながら放たれるとは思えないほど一撃一撃の圧が重い。


「あー、そうだ。豪拳ごうけんくんの弱点ってこっちだよね。ここを刺激したら本気を出してくれる?」


「や、やめろ!」


 鬼瓦おにがわらから受けたダメージが想像以上に身体に響いて駆け出すのが遅れた。


早乙女さおとめくん逃げて! こんなやつらともう関わらないで!」


「こんなやつらなんて酷いなー。そっちが勝手に絡んできたくせにさ」


 振り下ろされた鬼瓦おにがわらの拳を町尾まちおさんはなんとか避けた。正確にはよろけて狙いが外れたといったところか。小柄なのがさいわいしたようだ。


「ちっちゃくて命拾いしたね。でも、これでおしまい」


 鬼瓦おにがわらが再び拳を振り上げる。もう逃げ場はない。


「うおおおおおおおおお!」


 今出せる力を全てしぼり出して町尾まちおさんの元へと走る。

 

 バキッ!!!


 左腕から変な音がしたような気がするけど不思議と痛みはない。今はただ、町尾まちおさんを鬼瓦おにがわらの拳から守れたことが嬉しかった。


「ケガはないですか?」


「う、うん。それよりも早乙女さおとめくんの腕が……」


「腕はまあ、どうにかなります。それよりも町尾まちおさんが傷付かなくてよかった」


 安心すると同時にジワジワと、それでいて一瞬のうちに激痛が全身を駆け抜けていく。

 だが、ここで倒れるわけにはいかない。ひとまず町尾まちおさんを守れたが、まだ鬼瓦おにがわら暴隠栖ぼういんずに囲まれている状況は変わらない。


「さっきの音の感じだと左腕折れたよね? でもさっすがー。骨折しても堂々と立ってられるなんてやっぱ強いよ」


 鬼瓦おにがわらは全く悪びれる様子もなく、むしろオレがこうして立っていることに喜びを覚えている様子だった。


「まだ右腕は生きてるでしょ? どうする? 最後まで抵抗してみる? それとも、諦めて二人仲良くボコられちゃう?」


「……ふぅ……ふぅ……」


 鬼瓦おにがわらの言葉にオレは一切の答えを返さず、心と呼吸を落ち着ける。


「どうしたの? 返事がないならこっちで勝手に決めちゃうよ」


 先程までの体格に身を任せた攻撃と違い、鬼瓦おにがわらは構えに入る。集団でリンチするのではなくその拳で自ら終わらせる気なのだろう。

 次の一撃で全てが決まる。オレも鬼瓦おにがわらもそういう気概きがいで身構える。


早乙女さおとめくん、ダメ! 武道の心得がある早乙女さおとめくんが本気で殴ったら正当防衛じゃなくなっちゃう。私でもかばいきれない!」


 こんな状況でもまずオレの未来を心配してくれるなんて、やっぱりこの人は良い人だ。オレみたいな自分で自分を守れないやつじゃなくて、もっとちゃんとした大人がこの人を幸せにしてほしい。


町尾まちおさん、ありがとうございました」


 感謝の言葉と共にオレは全身全霊を乗せた正拳突きを放つ。

 これまで試合で打ってきたどの正拳突きよりも速く、力強い一撃になった自信がある。


 あまりの勢いに自分でも一瞬だけ気を失う程だった。

 ほんの一瞬だけ目の前が真っ白になり、視界が開けると、そこには仰向けに倒れる鬼瓦おにがわらの姿があった。


 だが、オレも町尾まちおさんも勝利を喜ぶような雰囲気はなく、ただ二人で黙り込んでしまう。きっと町尾まちおさんはオレを含めてこの場にいる全員を補導しなければならないだろう。


 暴隠栖ぼういんずのメンバーは抵抗するかもしれないが、オレは素直に従おう。


町尾まちおさん、すみませんでした。オレのせいでこんなことに巻き込んでしまって」


「……」


 町尾まちおさんは黙り込んでうつむいている。これ以上どんな言葉をかけていいかオレにはわからなかった。


 このどうにもならない悲しみを表すように雨が降り出すと同時に、暴隠栖ぼういんずのメンバーが声を上げた。

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