第6話

 ちくビーム事件(世間ではこう呼ばれている)から一週間。めぐるは自宅療養を終えて仕事復帰の日を迎えていた。


「大きいサイズのブラって本当にデザインが少ないわね。通販で買ったらちょっと苦しいし」


 ノーブラでは仕事に支障が出る上に、この魔王おっぱいを封じるためサイズを下に見積もって注文したのが失敗だった。魔王はおとなしくなるが、それと同時に息苦しさを感じていた。


「貴様、苦しそうではないか。自分の体を大事にするのだ」


「そう言って自分が派手に動き回るつもりでしょ? さすが魔王、汚い」


「フハハハ! それは余にとっては褒め言葉である」


 魔王おっぱいは身動きこそ取れないものの新たな呼吸法を身に付けたらしく普通に話し掛けてくる。


「お願いだから外で声を出さないでね。私が病院に閉じ込められたら、あんただって困るでしょ?」


「む……たしかに。……って、魔王である余を脅迫するでない!」


 この一週間は外に出るのが恥ずかしいのと種々の準備で引きこもっていたため話し相手が魔王おっぱいしかいなかった。最初は魔王への恐怖もあったが、こうして自分のおっぱいとしてくっ付いてる事実と向き合えば可愛いものだ。魔王がこの世界で生きていくのは私が必要である以上、マウントを取れるのは私だ。それにしても……。


「ああ! 足元が見えない! 肩が重い! 疲れる!」


 徐々に育ったのではく、ある日突然現れた胸の重みに愚痴をこぼさずにはいられなかった。その度、


「余が力を分け与えてやろうか? なあに、余と貴様は一心同体。代価など必要ない」


 と、魔王の誘惑をしてくる。


「力を与えるとかいって身体ごとどっかに飛ぶ気でしょ? 人間には適応力ってものがあるの。それに小柄でも警察官。動いてるうちに慣れるから」


 現に巨乳の警察官は存在する。私は過程を飛ばしてこうなってるだけで結果は同じなんだから、きっと大丈夫!


「ふふふ、力が欲しくなったらいつでも呼び掛けるがよい」


 そう言い残して魔王おっぱいは静かになった。こういう去り方なんかは魔王っぽいのよね。


「さて、この胸を周りにどう説明するか」


 ビームの件は大きな被害もなかったことから光の具合でそういう風に見えただけという説も出てきていた。服が破れたのは単純に胸が大きいから。ネット上では私のおっぱいばかりに注目が集まって勇者コスプレ男の話題は完全に風化していた。


「多少成長することはあっても、これはねぇ……」


 自分のおっぱいを見下ろしため息が出る。


「この小さい身体で巨乳を支えるのは無理があるでしょ」


 自分を構成するものが70%は水分、20%はおっぱいになったような気分だ。

 万が一なにかあってもすぐに止められるようにフロントホックのブラを着ける。これだけでも胸が苦しいのに今日からは制服だ。一応大きいサイズのものを用意してもらったけど、身長と胸囲のギャップがあるためやはりキツい。ボタンが飛ぶことはないと思うけど……。


「お願いだから服の中で動き回らないでね。社会的に私が死んで引きこもりになったらあなたも困るでしょ?」


「魔王にタダで頼み事とはなかなかいい度胸だな。ひたいを床にこすりつけて泣きながら頼んだら考えてやらんことも……んぐっ!」


 魔王様にお願いをするのだから土下座の上位と言われる土下寝をしてみた。いい感じにおっぱいが押しつぶされたので魔王様に私の想いは伝わるだろう。


「ぐむむむ…! わ、わかった。魔王を脅迫するとはこの世界の警察官とやらは恐ろしい存在だ」


 今のところはこうやって抑えつけられるけど、このままじゃ結婚もできず魔王と心中することになってしまう。実質孤独死だ。


「ねえ、もう一度転生ってやつをして別の場所に行けないの?」


「余が使える転生術は死ぬことが条件になっておる。つまり死ぬまでこのままだ」


 つまり私は胸に重りを抱えたまま死んでいったあと、こいつは新たな人生を歩み始めるのか。


「貴様はまだ若い。残りの長い人生をこのまま過ごすより、今ここで余に身体を捧げて楽にならぬか? 魔力で細胞を活性化させればその若さを千年くらいは維持できるぞ」


「私だけ千年生きても周りが死んじゃうでしょ。それにそんなに若くないのよ」


「ハッハッハ。15歳くらいの子供が魔王をからかうでない」


「……28」


「ん?」


「28歳だって言ってんの! 周りはどんどん結婚してるのに寄ってくるのはロリコンのヤバそうなおっさんばっかり! 私はこのデカ乳と共に死んでいくんだ!」


 ギャーギャーと泣き叫ぶ姿は中学生どころか幼稚園くらいまで退行しているようだった。


「なんか、その、すまなかった」


「魔王のくせに謝るな! 余計に悲しくなる!」


「ほら、余と過ごすうちに考えが変わるかもしれぬし、その時は言ってくれ。すぐに貴様の身体を乗っ取って世界を手に入れてやるから」


「自分のおっぱいじゃなければトキメキを感じるようなセリフはやめて!」


 追い込まれ気味のアラサー女はちょっと優しくされるとすぐにトゥンクしてしまうのだ。


 ジリリリリリ


 出勤前の朝だというのにスマホが鳴り響く。


「はい。町尾まちおです」


 電話の主は犬飼いぬかいさんだった。


「え? ウチの近所でひったくり? 分かりました。直接現場に向かいます」


 一週間休んだ件に対する挨拶とかしたかったけど、私の薄かった胸を知っている人達にこのおっぱいを見せるにはまだ覚悟が決まっていない。都合の良いように使われてるんじゃなくて、きっと犬飼いぬかいさんなりの気遣いなんだ。


「まだ準備も整わぬうちに仕事とは、警察官というのはブラック企業なのか?」


「ブラック企業なんて言葉よく知ってるわね」


「余の世界にある異世界転生モノに出てきたのだ」


 魔王の世界ではどんな作品が読まれているのか気になったがそれは置いといて自信を持って私は答える。


「企業じゃないよ」


 警察は企業ではない。これは断言できる。


「ブラック企業かと聞いたのだが企業じゃないとは」


「だから警察は企業じゃないの」


「お、おう。そうか」


 私の明確な回答に恐れをなしたのか魔王は黙り込んでしまった。

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