ハイ・ロー・ゴースト・キャット④

 電子ネコが無限増殖を開始し、サイバー空間が凍り付きつつあった。オールド・ワールド・ブルースは隔離され、サーバーメンテということで他のワールドを一時的に閉鎖しつつリソースを全て注ぎ込むことでフレーム数は10まで回復したが、終わりは時間の問題だった。


「大丈夫なんでしょうか、これ……」


 ノイズ混じりではあるが、一時より明瞭になったサラの不安そうな声がモニタの前の二人に届いた。6つの右腕を展開して必死にワールドの延命措置を行いつつ思考を巡らせるエンターに、エリが訊く。


「おっさんらはどないなった」

「ラームさん含め、OWBにいる住人は強制ログアウトかけて帰ってもらったから無事。マサさんはギリギリで自力ログアウトしてたっぽい。だけど……」

「サラは取り込まれつつある、か」

「だね。サラは戻り先である肉体の概念がないせいで、完全に取り込むべき『情報』と判断されてるっぽい。ログアウトが阻害されてる」

「打開策は」

「とりあえず穴を開けられないか試してるけど、あの電子ネコが世界を先に取り込み始めたせいでこっちの権限が削られてる。増殖したあいつら、目につくもん全部食い荒らしてるわ」

「くそっ……サラ! おどれはとりあえず動けるだけ動いて猫を避けェ! 幸い処理落ち気味なおかげで軌道予測はしやすいはずや」

「……分かりました! わあっと!?」


 言った傍から突っ込んできた黒い猫魚にゃーぎょを跳び躱すサラ。エリは不安気に眺めることしかできない、そんな事実に歯噛みする。必死で処理を行いつつもエリの様子に気づいたエンターは、


「方法はあるっちゃある。けど、あんたはきっと断ると思う」

「言うだけタダ」

「強制的にサラのケーブルをぶっこぬく。バックアップは取ってあるから、今回の記憶はなくなるけど、サラはこっちに戻る」

「却下じゃ。限界まで最善を尽くしたい」

「だよね、言うと思った」


 エンターは一人頷いてモニターに目を移す。ワールドを維持できるリソースは残り僅かで、今にも食いつぶされそうだった。もって10分、いや、5分か。


 忙しなく30本の指がキーボードを鳴らし、残った左手で電脳冷却用の吸引機を探り――それを手渡したのはエリだった。煙草型のそれを咥えたエンターにエリがバーナーを差し出し、起動させる。加熱によって冷却化合粒子が反応・発生し、鼻腔のインプラントがそれを吸引、腕を制御する電脳を冷却する。


「禁煙は?」

「ルールは破るもんや。人命第一がモットー」

「自分第一でしょ」


 ふっと笑いエンターが煙を漏らす。排熱混じりの煙が天井に昇っていきファンに攪拌されていく。


「かもしれん。なんというか……あいつの記憶は過不足ないモンにしたいんや。AIやからとか、そういう言い訳をしとうない。エゴには違いないが」

「当ててあげようか、友達だからでしょ。初めての、対等の」

「おどれは違うんけ?」

「あたしはほら、ライバルだし、おねーさんだから」

「ぬかせ」


 パチパチパチパチ。打鍵音が響く。エリは考える。無限増殖。凍結寸前。サラを救うためにはどうすればいい。


「サラの記憶を残したまんま救出しようと思うたら、何が必要や」

「ワールドの根幹を処理してるメインサーバーに接続して、サラを抽出してやらないと。ただ、中継器挟んでるし、権限を取り戻すには速度が足りないや。繋ごうとするそばから猫に邪魔されてる。物理的距離が影響するくらい古くて大容量」

「そいだらサーバーのとこまで行って繋げばええんやな?」

「できれば、ね。移動してる間に負ける。時間稼ぎじゃ済まないよ。時間を止めるくらいじゃないと……」


知恵熱が籠る。頭がぼうっとする。考えろ。極限まで。


「なっ!?」


 エンターが声を上げたのはエリがエンターの吸引機をぱっと奪い取ったからだった。躊躇なくエリは煙を吸い込み――盛大にむせた。


「ぼふぁっ!!!」

「何やってるのアンタ、肺凍って動かなくなるよ!?」

「凍る、ね……ええぞ……頭ァ冴えて来た」


 ぷっと吸引機を吐き出し、もったいなさそうにそれを目で追うエンターをおいて、エリが脳内で計算を巡らせる。指をとん、とんとんとこめかみに押し当て、そして思いついたように飛び上がり、言った。


「エンター……メインサーバーの場所は変わっとらんな?」

「うん。クーロン城基底部。高架の最下層、たぶん旧市街の雑居ビルの一角……」

「確か、あれのメモリはかなり旧式やったはずじゃの」

「そうだよ。企業戦争前のやつだし。速度や容量だけじゃなくセキュリティ上もかなりガバかったはず」

「分かった、ちいと行ってくるわ」


 エリがエンターに背を向け、店外に向かう。「ちょい、何しに行くのさ!」背にかかる言葉には振り向かず、エリがむんずと手にとったのは『ひけしくん』、水粒子噴射型卓上消火器だった。


「あいつらの時間止めたるんや」


・・・


 エリは走っていた。幼い頃から走りまわっているこのスタァライト・シティは庭のようなものだった。日によって道が変わる街の、すら把握するほどにはクーロン城を知っていた。白衣をなびかせ、ちょっとしたスプリングを仕込んだスニーカー「しゅんそくくん」がその小柄な体躯を加速させる。


 踏み出した足に、鉄骨に這う蛇に似たケーブルの、硬化した樹脂の感触が伝わる。劣化してわずかに突き出た建材に服や肌を傷つけることも厭わず、最短ルートを目指して小さな穴すら通り抜ける。


 垂れ下がるネオン行灯を掴み、ターザン・ロープの要領で街の上空を跳べば、ブチブチという音と共に辺りがいっぺんに暗くなる。一帯のケーブルの接続を彼女は把握していて、それはもしものショートカットの際に傷つけてもよいものを見極めるためだ。唯一の問題である住人の怒号や困惑の悲鳴は慣れっこだった。エリは進む。


 キャットウォークを全力疾走する眼下、3、4メートルほど下に排気口ダクトが大口を開けていた。あるべき排気口カバーが外され、エリザベスカラーのように口を広げるようにして溶接された鉄板もエリの仕業だった。


 幼い頃――この街に逃げてきた頃から、スタァライト・シティもクーロン城も、彼女の庭に違いなく。


「でええい!!!」


 たまたまバルコニーで合成アルコールを呑んだくれていた無職のサイボーグがその様子をズームし、明日を生きる希望を見出すほどに見事な跳躍だった。夜、ピンボケしたネオン光が明滅するのを背景に、白衣で白髪の少女が空を飛ぶのは、たまたまクーロン城の夜景を取っていた物好きの写真家が思わずシャッターを切り、公開することなく個人的にお守りにするほど美しかったという。


 無重力に似た浮遊感、z軸の速度を失う最高到達点。エリは笑っていた。スニーカー・しゅんそくくんが青いイナズママークを輝かせ、頭に描いた放物線とまったく同じジャンプを実現した、その事実に歓喜していたから。


 排気口のエリザベスカラーも実はもう要らない。このショートカットの精度が完璧となった今では。スポン。降下の為にひけしくんを両手で抱え、身体の前で十字に組んだエリの身体は、一切排気口の淵に触れることなく吸い込まれていった。


 ゴン、ガン、ガラン。


 排気口にエリの身体がぶつかる音が、閑散とした旧市街に響き渡る。旧市街に住む人間も皆彼女のことを知っていたから、「ああ、またエリがメインサーバーを使いに来たんだな」と思うだけだ。ただ一人、細々と続く地元に馴染みの商店の店主が、帰りがけに寄っていくだろうかとアイスキャンディーの在庫を確認するなどした。


 エリが飛び込んだ排気口はスタァライト・シティ・メインサーバーへの緊急入り口兼出口であり、ビルに入るキーを無くした時、また今のように一秒でも早くサーバー室に入る必要がある時用の特別なルートだった。


 転がり出たエリの眼前に、整然と並ぶのは四角い冷蔵庫群。


 このサーバー室を作る際、遠くの街で起こった恐慌から潰れた大型レストランの廃品セールがあり、サーバーの外殻として購入したものだった。


「そうじゃ……冷蔵庫ってのは冷やすモンなんや……」


 そう、独り言を言いながら、ひけしくんを振り振りサーバーの一つに近づくエリ。チカチカと光り、増殖する電子ネコの処理に静かに悲鳴を上げる筐体を開き、噴き出す熱に仄かに汗をかいて、


「もしもの時のための一極集中……完全に忘れとったわ……」


 ひけしくんの側面についたダイアルを回す。噴霧器の材質を変化させる。吸熱効率を最大に、小さく鳴るエマージェンシーアラートを無視して、その口をサーバーへと向けた。


「時間止めたる、真剣マジに凍れやァ!!!」


 射出。ひけしくんの口からブシュアと景気のいい音と共に真っ白な霧が勢いよく噴き出す。それはみるみるうちに凝結し、その熱を奪い、奪い、奪い尽くし――サーバー内の内部データを記録する電子の動きすら完全に静止させる、絶対零度へと至る。メモリが保持したデータはそのまま、復元性のある形で時間を止める荒業だった。


 ビーッ! 急激な局所的機能停止に接続された全てのコンピュータからアラートが鳴り、10秒ほどで停止した。疲労に座り込んだエリが着信に気が付いたのはそのあとのことで、端末を手にとり応答すればエンターの声。


「ちょっとあんた、一体何した!? こっちのモニタが急にアラート吐いたと思ったら全部落ちたんだけど?」

「ああ、エンター、まだサラは起動させんなよ? こっちで体験はぜんぶサルベージするでな。おどれには止めとけ言われた設計やったけど、なんだかんだ役に立ったわ……」

「止めとけって……あ、重要なデータを一か所に集中して保持しておくってアレ!?」

「おう、旧型のまんまで助かった。DRAMディーラムを物理的に凍らせてデータを盗んだったわ」


 DRAMは旧時代の半導体メモリの中でも、安価で大容量のメモリである。チップ内の素子に電荷を貯めることで情報を保持するこのメモリはその仕組み上、常に電力を供給しなければ素子が放電し情報を失う。


 が、逆に言えば電源から切り離しても放電までは情報を保持している。電荷の動きは物理的事象であるから、素子を冷凍することで動作を鈍らせ、放電までの時間を大幅に遅れさせることができるのである。


「なんてアナログな……欠陥すぎる」

「はは、まあ博物館クラスの手口だわな。大昔のでもないと通用せんわ。この街らしいじゃろ」


 エンターは乾いた笑いを漏らすしかない。何年も前、エリと共に街のローカル・ネットワーク用サーバーを築いたあの日を思い出す。彼女が残した、いざという時の意図的な穴。エリの底知れなさを思い知らされると共に、去来する尊敬の念。


「やっぱ、敵わないな……」


 通信を切って、エンターはぼそりと呟いた。店長は昔から変わらず、積極的には関わらず、黙って食器を洗うだけだった。



・・・



 かくして電子ネコ騒動は一件落着となった。サラの人格は記憶をそのままにサルベージされた。猫の方はといえば、その存在があまりにもデカくなり過ぎたが故に抽出することはできず、依頼自体は失敗となった。


 が、記憶のバックアップができるのはサラだけでなく、電子ネコも同じだった。


 そのことに気づいたのはサラの人格抽出が終わった旧市街から喫茶アウリンへの帰り道であり、「「あっ!」」と二人の声が重なった瞬間駆け出した。それは嫌な予感に突き動かされたがゆえのダッシュだった。コマツ博士の邸宅を訪れた二人を見て、彼は開口一番に「そうだ、思い出した、すまなかったねぇ!」と言って、


「いやね、エンターちゃんに依頼した直後に気づいたんだよ。そういえばバックアップがあったなって。で、それを伝えようとしたんだけど、そのタイミングでウチのだいふくちゃんがウンチしちゃってね、いやぁ面倒かけちゃったかな。あ、ほら、この子がウチのだいふくちゃん。ほら、お姉ちゃんたちにありがとうって言おうねぇ~。ありが――」


 全力疾走でアフロが乱れたエンターは自制していた。が、身体を傷だらけにして街を駆けたエリは手を出す方が早かった。「あだっ!?」悪意はないようなので脛蹴りで済ませたのだという。老人は悶え、依頼料を2割増しにしてくれた。


 徒労はこの街の代名詞だ。聞き取りを怠ることなかれ。業務上の教訓。


「お二人ともありがとうございました~!」

「本当にごめんね。こんな危険なことになるなんて。今度から依頼はしっかりと精査するよ」

「で、どうや。なんも不具合ないか?」


 喫茶アウリンに戻り、抽出されたサラの人格も戻った。サラはエリの問いかけに笑顔で、


「ええおかげさまで! 記憶もそのまま、おっきいネコちゃんもしっかり覚えてます。身体を動かすのにも違和感ないですし、前より身体が軽くなったみたいに感じますにゃ」

「そう、それはよか……」

「にゃ……?」


 身体の動きを見せるためくるくると回っていたサラの口から漏れた言葉に、その場にいる全員が凍り付き、表情が曇る。


「……にゃ」


 サラの口から、確かに猫の鳴き声が。


 急ぎ検査した結果、サラの人格データの内部に例の猫のデータが混入、保持されていたことが分かった。コマツ博士に確認を取った上で、その電子ネコのAI猫格はエンターの再チューンアップを行った上でエリ特性のメタルネコボディに宿った。


 この電子ネコは、サラの「目覚ましみたいに早起きだから『メザ』」エリの「猫だから『ねこくん』」、エンターの「イカしてる名前『ジェームズ』」、店長の「『たま』とかでいいんじゃないかな」という4択の紙を前に置かれ、『メザ』の紙に最初に触れたことからメザと名づけられた。


 サラにとてもなついており、今は喫茶アウリンの看板猫として飼育されている。


 ちなみに客足は1.2倍になったらしい。

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