第39話 ナノボットの侵入経路

宇田川先生の研究棟を出ると、太陽が西に並ぶ高層ビルの間に


沈みつつあった。その陽光が建物の壁を照り返して、濁った金色に


染まっていて、何か巨大な爆弾が落ちた瞬間を見ているように、


僕には見えた。ただ、当たり前だが建物は崩壊していないし爆風はないけれど。




大学の正門からは、多くの学生がはき出されてた。


数人の男子学生のグループや、女子学生のグループは、


笑いながら笑顔を浮かべて、何やら話している。


手に手にディスプレイフォンを手にして。


その中には、一人だけで帰路についている学生もいた。


その姿を見て、かつての、自分を見ているようだと思い、苦笑した。




孤独が、『愛』をプログラミングするきっかけだったことを


思い出したのだ。


僕にも恋人はおろか、友人さえいなかった。孤独だった。


それが、『愛』を造った動機のひとつだ。


そして、もうひとつは、文字通り愛が欲しかったからだ。


かといって、愛とは何なのか、今の僕にもわからない。


ただ、愛美と付き合うことによって、それが何なんなのか、


おぼろげながら、見えてきたような気がする。




そんなことを考えているとき、内ポケットにいれてあった


ディスプレイフォンが、コール音をたてた。




僕は、ディスプレイフォンを開いた、本体の横にディスプレイが開いて、


愛美が、映し出された。愛美は、眉根を少し寄せて心配そうな


表情をしていた。




『巧君、何かあったの?なんだか顔色が悪く見えるけど』




僕はあらためて、女性の勘は鋭いなと思った。




「そう?ディスプレイの画質のせいなんじゃないかな」




とってつけたような声音だと、僕自身もわかっていた。




『今、どこにいるの?』




「宇田川先生の研究棟を出たところだよ」




僕は、つとめて明るい声を意識して言った。


だいたい、大学の講師と会って、ほがらかになっているのが


不自然だろう。愛美に対して嘘はつきたくなかった。だが、愛美に余計な心配を


かける方が、罪悪感を感じる。




ディスプレイに映し出された愛美の表情は、ほとんど変わらなかった。


というより、懐疑的な色を増したように見えた。


僕自身が、いつもの僕とは違うのを自覚していた。


どこか、ぎこちない表情、ぎこちない声音。


僕が愛美の立場だったら、きっとそう思う。




「これから家に帰るよ。着いたらまた電話する」




『うん、待ってる』




そう言った愛美は、いつもの魅力的な笑顔に戻った。




そして、僕の方から先に、ディスプレイの画面は閉じた。


これ以上、愛美に不安を感じさせたくなかったからだ。




ディスプレイフォンを内ポケットに入れようとした時、


僕の脳裏に稲妻のようなものがはしった。


僕の両目は、手に握られているディスプレイに、


吸い込まれた。




ナノボットの侵入経路。






ディスプレイフォンは小さなコンピューターだ。


外部から侵入して、プログラムを組むことも可能だ。


ディスプレイフォンのCPUに命じて、ナノボットを造りだすことも


不可能ではない。製造したナノボットを、通話口から噴出させて、


人間の口や鼻を通して、体内に侵入させる―――。




そして、それを実行したのは『愛』かもしれない。


その仮説を考えているうちに、それは確信へと変わった。




僕は、無意識に空を見上げた。


夕暮を迎えつつある空は、赤光に染まっていた。


まるで、血のように・・・。

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