第23話 世界の異変

翌日、僕は、杉下愛美が教えてくれた彼女の自宅を訪れた。


彼女の家は、閑静な住宅街にある南欧風の瀟洒な2階建ての一戸建てだった。




僕は鉄扉で閉じられた門にある、モニター付きチャイムのボタンを押した。


数秒経って、愛美の母親の声がスピーカーから返ってきた。




「あの、藤原巧です」




僕がそう言うと、母親は笑みを浮かべながら、玄関から出て来て鉄扉の門を開けてくれた。




「よく、いらっしゃたわね。愛美も楽しみに待ってたんですよ」




僕は少し照れくさくなって、頭を掻いた。そして、僕は母親の後をついて玄関に入った。


案内されたのは、応接室だった。




広さは12畳ほどで、ひとつの3人掛けのソファと一人掛けソファが、


2脚向かい合わせに置かれてあった。どれも焦げ茶色の皮張りだ。


そのソファが挟み込むようにして、ガラス製の天板をのせたローテ―ブルがあった。


僕の正面には、大きな窓があり、シルクのように艶やかなカーテンが揺らめいている。




左の壁側は、高い天井に届くほどの、


本がぎっしりと詰め込まれた本棚が占めていた。


そのずらりと並んだ本は様々な種類があったが、


目立ったのは、濃紺職に金色の横線が入った十数冊背表紙の分厚い本だった。


何かの全集か、辞書のようなものだろうと思った。


今では珍しくなった百科事典かもしれない。




反対の壁には、ルノアールの描いた、若い女性の人物画が掛けられていた。


まさか、本物ではないだろうが、十分な迫力と存在感が感じられる。




そして、角には65型の大きなテレビが、陣取っていた。




母親が、ソファに座るように促した。


僕は3人掛けのソファに腰を預けた。




「コーヒがいい?それとも紅茶?」




愛美の母親は上機嫌で、訊いてきた。僕はコーヒーと答えた。




しばらくして、床を叩く木のような音が聞こえてきた。


僕は、その音のする方向に視線を向けた。


そこには2階から階段で降りてくる、愛美の姿があった。


片腕には松葉杖を挟んで、ぎこちなく脚を一歩一歩降ろしていた。




僕は、慌てて立ち上がると、彼女のそばに行って


愛美に肩を貸した。




「巧君、ありがとう」




そう言って、愛美は笑みを見せた。




「僕にできることは、こんなことぐらいだから」




僕も笑いかけた。それと同時に、後ろめたさも感じていた。


愛美をこんな目にあわせたのは『愛』かもしれないからだ。


そして、その『愛』をプログラムしたのは僕だ。


言葉にできない、罪悪感が心に染み出してきた。




罪悪感―――。




僕は本当に罪悪感を抱いているのだろうか?


『愛』をプログラミングした時は、高揚感と幸福感を


感じたのは事実だ。


『愛』は孤独な僕を支えてくれた。


今、僕が愛美に肩を貸して、支えているように。




僕は愛美を一人掛けのソファに座らせた。


松葉杖を手すりに立てかける。




対になる3人掛けのソファの中央に、僕は腰かけた。




そこへ愛美の母親が、トレーにカップを二つ乗せて


応接間に入ってきた。カップの一つは僕の前に、


もう一つは愛美の前に置いた。




「さて、邪魔者は消えましょうね」




母親は、にこりと笑うとキッチンへと戻っていった。




「もうっ・・・」




愛美は、彼女の母親の背中に向けて、口を尖らせた。


頬が少しだけ赤らんでいた。




そんな愛美の横顔は美しかった。眩しいくらいに。




「どうしたの?」




愛美は僕に顔を向けると、怪訝そうな表情を浮かべていた。




「いや、なんでもないよ」




「さっき、巧君、僕ができることはこれくらいだって


言ったわよね」




「うん」




「でも、それは違うわ。巧君はこんな松葉杖なんかより、


すっと力強く私を支えてくれてた」




愛美は真摯な目で、僕を見つめてそう言った。




僕は何と答えていいのかわからなかったが、


彼女の言葉通り、僕にとっても愛美は大切な支えだった。






「ところで、巧君が造ったプログラムの『愛』って、


何とかなりそうなの?」




愛美は眉根を寄せて、小さな声で言った。




彼女の問いに、僕はすぐには答えられなかった。




僕が造った『愛』は初期設定ですでに、完璧だと自負している。


その上、『愛』は、インターネット上のビッグデータを休みなく


吸収して、その学習能力は、僕の想像を超えているに違いない。




もしかしたら――――と僕は思った。




『愛』は、ダークウェヴにまでアクセスして、


ハッカーたちのスキルを学んでいる可能性だってある。


何しろ彼女は、インターネットの世界では自由なのだ。


電子の世界では、彼女は生殺与奪の権限を持っているかもしれない―――。






「どうしたの?巧君」




愛美が心配そうな顔をして、うつむいていた僕を見つめて言った。




僕は、まるで、誰かに突き飛ばされたかのように、


テーブルの上にあるテレビのリモコンを掴んだ。




普段はめったに見ることないテレビのリモコンを、


手にするのは久しぶりだと、どうでもいいことが


脳裏をよぎった。




スイッチを入れると、大型テレビの画面が、


すぐに明るくなった。




映し出されたのは、報道番組だった。


横に長い、緩やかなカーヴを描いたテーブルに、


男性ニュースキャスターと、若い女子アナが座っていた。




女子アナは見覚えが無かった。男性ニュースキャスターは


ベテランで、名前こそ思い出せないが、


テレビをほどんど見ない僕でも知っている顔だった。




二人とも、緊張で表情が強張っているように見えた。


画面の右上に、<緊急特別番組>というテロップがあった。




女子アナが、ニュース原稿を手にして読み上げた。




『―――繰り返します。自動運行システムに、何らかの不具合が


あったものらしく、自動運転の車両、船舶、航空機の事故が


相次いでおり、全世界で千件を超える事案が発生しています。


総被害額は数十兆円以上と見られ、数千人の死傷者が出ています。


日本のサイバー警察も、海外と協力してその原因追及に乗り出しています。


原因は何者かによる、システムへの介入と見られており・・・』




二人のアナウンサーの背後に、事故の場面が映し出された。




機体をへし折られて炎上する、どこかの国の航空機。


そこへ救助に向かうたくさんの消防隊員らの姿と、


乗客なのか、それとも関係者なのか、現場を逃げ惑い、泣き叫ぶ人々。




空撮に映っているのは、座礁したのか、それとも他の船に激突されたのか、


海上で右へと傾き、沈みかけているタンカーの姿。


タンカーの横からは、黒い大量の原油が海面を漂っている。




画面が、切りかわった。


路上で数十台もの玉突き事故の場面と、炎を噴き上げている車。


救急隊員に運ばれている負傷者。中には担架で運ばれている、


血だらけの被害者もいた。その車両事故の場面が、国ごとに切りかわる。




ロンドン、パリ、 ローマ、アメリカ、インド―――そして日本。




僕の頭の中は真っ白になっていた。


完全な思考停止。




世界中のこの深刻な事態に、彼女が関わっていることを、


僕は確信していた。




彼女とは、もちろん―――『愛』のことだ。

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