第6話 杉下愛美からの誘い

それから僕は、何度も杉下愛美と話をした。


講義中だけではない。学食やキャンパスの中庭、


それに図書館でだ。




彼女の話題は多岐に渡った。ミュージシャンや芸能人、


アイドルのことなど芸能界の話から、政治経済、国際情勢といった


ことまで、僕の知らないことをたくさん知っていた。


僕の話すことといったら、プログラミングや


インターネットのことなど、コンピューターに関係したこと


ばかりで、極々狭い話ばかりだった。


世の中に専門バカという言葉があるが、


その時の僕が、まさにそれだ。




別に芸能界や政治経済に興味があるわけではなかったけれど、


彼女が話すと、とても面白く感じた。




ある日、杉下愛美は彼女自身のことを話してくれた。




彼女実家は決して裕福ではなく、


奨学金でこの大学に進学できたらしい。


現在の奨学金制度は、その審査がとても厳しいことは


僕も知っている。かなり優秀じゃないと、認可されない。




留年は許されず、卒業後はその奨学金を


働いて返さなくてはならない。




僕の父親はITのベンチャー企業の社長で、


かなりの収入を得ている。


それで僕の住むワンルームマンションの家賃や、


生活費をすべて仕送りしてもらっていた。


杉下愛美の事情を知ったら、僕は自分の経済環境を


恥じる気持ちになった。




「巧君、今度食事に行かない?」




大学の廊下を歩いていた時、彼女は唐突に言った。


僕は一瞬、何のことかわからず、思わず立ち止まった。




「それとも、私とじゃ嫌かな」




彼女の瞳は、少し哀し気な色を浮かべた。




僕はほとんど180度の感覚で首を振った。




「杉下さん、僕でいいの?」




「勿論」




彼女は小さく噴き出しながら微笑んだ。




僕は天にも昇る気分だった。


心臓は早鐘のように脈打ち、軽い眩暈さえ覚えた。




「いつがいい?」




杉下愛美は、小首をわずかに傾けて訊いてきた。




僕はすぐさま答えた。




「杉下さんの時間のある時に、合わせるよ」




「じゃあ、お店は巧君が決めてね。


私、第二外国語の講義があるから、またね」




彼女は軽く手を振ると、階段を登って行った。




残された僕は、しばらく茫然としていた。


次の講義のチャイムが鳴るまで、廊下の真ん中に突っ立って


いたんだ。顎が胸についているほど、ぽかんと


していた。ありえないことだけど、その時の僕は、


床から数センチ浮いていたかもしれない。




それから自宅に帰っても、僕は浮かれていて、


冷静さを取り戻すことができなかった。


いや、いつまでたっても興奮を抑えていられなかったと思う。


この弾んだ気持ちは、過去のどんなに記憶を探っても、


生まれて初めてだ。




おかしな気分だった。たしかにおかしな気分だった。


そう、おかしな気分だった。でも、悪い気分じゃない。


その真逆だ。




僕は早速、インターネットでお店を探した。


キーボードを打つ指が震えていた。


冷静さを取り戻したと、思っていたにもかかわらず。




その時だった。パソコンの机の上に置いていた、


ディスプレイ・フォンが起動した。




空間に5インチぐらいのディスプレイに


映し出されたのは、人工知能の『愛』だった。




彼女は、ほとんど無表情で、僕を見つめていた。

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