第25話「因果と成る」

 その日の目覚めは最高でもなければ最悪でもなかった。ただ、宿の表がやたらと騒がしいなと、そんな事を感じて目が覚めた。


 何事かと宿の窓から外を見ると、ガヤガヤと兵士たちが慌てた様子で武器を持ち待ちの出入り口に向かって移動している所のようだった。


「何かあったんですか?」


 適当に着替えて、宿の愛想のいい女将さんに聞いてみると……なんだか彼女も困っている様子だった。


「それがねぇ、レックス様が書き置きを残していなくなっちゃったらしいのよ」


「書き置き?」


 ……それはちょっと……いや、だいぶマズいのではないだろうか? 下手に私の事を書かれていたらと内心で焦るのだが、女将さんの次の言葉でそれは杞憂であることが分かった。


「まぁ、いつもの事なんだけどね。『神の使命を果たしてくる』ってだけ書いて、あっちこっち行っちゃうのよ。どこか困っている村とかの話を聞くと、すーぐ行動よ」


 どうやら、レックスにとってその行動はいつもの事のようだ。その書き置きから私の事がバレることはないだろう。バレたならとっくにここに兵士が来てるはずだしね。


 周囲からは善人だと思われていた……いや、実際に彼は自身が悪だと認定していない存在に対しては善人なのだろう。


 だけど自身が悪と認識した者には容赦なかった。それだけだ。


「ほんと素晴らしい方よね。聖騎士の鏡だわ。彼を遣わしてくださった神に感謝よね」


 女将さんは恍惚の表情を浮かべてレックスを絶賛している。……彼をまるで神格化しているかのようだ。


 でも彼は……人間だった。


 聖騎士の皮を被り、自分の為に他人を傷つけ、自身すら騙していた……ただの人間。もしかしたら無意識の罪悪感から、周囲には偽善ともいえる行動を振りまいていたのかもしれない。


 今となっては分からないし。理解したくもない。それで私達が許すわけもない。まぁ、女将さんへの野暮は言わないどこうか。


「あら、あんた。酷い顔してるけど大丈夫?」


「あぁ、大丈夫ですよ。ちょっと寝不足なだけです」


「そうなの? 寝不足にはこの果物が良いのよ。食べてみない?」


 そう言って女将さんは、綺麗な赤い果物を差し出してきた。軽く水洗いしてくれているようで水滴がついていて、みずみずしくて美味しそうだ。


 美味しそう……だけど、どうせ味なんてしないだろう。


 そう思ったけど私はここで断るのも不自然だし、何より寝起きでお腹が空いていたからそれをいただくことにした。


 シャリッという軽快な歯触りと共に……私の舌の上に爽やかな酸味と甘みが広がり、果物の瑞々しい芳醇な香りが鼻を抜けた……。


 ……え?


「……甘酸っぱくて……美味しい」


「目が覚めるでしょ? 朝食にピッタリよ」


 味が……分かる?


 私は信じられない思いで手の中の果物に視線を落とし、先程の広がった味を反芻する。


 そして……もう一口齧る。


 甘い。甘くて、ちょっと酸味があって……。ちゃんと……美味しいと思える。


 なんで?


「ちょ……ちょっとちょっと、なんで泣いてるの? そんなに美味しかった?」


「え?」


 私は知らず知らずのうちに……右目と左目からそれぞれ涙を流していた。まるで、私の中のニールも泣いているようで、私はその果物をまた一齧りする。やっぱり……美味しい。


「いえ、故郷の味を思い出してしまいまして。懐かしくてつい」


「あらそうなの? じゃあ何個か持っていく? あ、お代はいただくけどね」


 しっかりした女将さんだと、私は宿代とは別にいくらかのお金を払ってその果物をいくつか譲ってもらった。


 それから他の食べ物も食べてみたんだけど……私の味が分かるのはなぜか果物だけだった。他の食べ物は相変わらず美味しいと思えない。


 それでも、それでも良かった。また二人で……こうやって甘いという味を感じることができたからだ。


 勇者の力は完全に消したのに、私の中には取り入れなかったのに、何でだろ?


「まぁいっか」


 帰って報告したら、どうせフィービーがあれこれ調べるだろうし、今は純粋に、難しいことは考えずにこの味を楽しもう。


 女将さんにお礼を言って宿代を払い、街の門まで移動すると、そこには昨日の門番さんがいた。


「よう、嬢ちゃん。なんだい昨日の今日でもう出発かい? 弟さんは弔えたかい?」


 そういえばそんなことを言ってたっけ。まぁ、弔えたと言えば弔えたわね。


「えぇ、弟は無事に埋葬できました」


「そうかい、そりゃ重畳だ。許可証は持っておけば次からの入国が半額になるから、たまには弟さんの墓参りに来なよ」


「……そうですね」


 たぶん、もうここに来ることは無いだろう。私は少しおざなりな返事を返す。そんな私に、門番さんは少しだけ神妙な表情で口を開く。


「旅をしてりゃ危険な目に遭うこともあるけど……嬢ちゃんが生きてることが、弟さんへの最高の供養だから、生き延びなよ」


 私はその言葉に曖昧な微笑みを返す。とても……この人はとても良い人なんだろう。でもごめんね門番さん、それでも私は止まらないの。もう止まれない。


「ありがとうございます」


 私はそれだけを言って、門番さんに別れを告げた。


「あーあ、堕ちた勇者の墓を壊す不届き者がいる一方で、あぁやって死者をきちんと弔う若いのがいる……わかんねぇもんだねぇ人間は……」


 私の背中に門番さんのそんな独り言が聞こえて、私は心の中だけで門番さんに謝罪する。ごめんなさい、アレ壊したの私なんです。


 あれだけ街の人から嫌われてるなら、無くなったって問題ないよねと、跡形もなく……は言い過ぎだけど、修復できないくらいには壊しちゃった。だって腹立つしね。あんなもの。


 それからしばらく歩き……周囲に誰もいない中で、私は一人で呟いた。


「さて……。思わぬところで情報を得られたけど。居場所がわかっているのはザカライアとセシリー……。どっちにしましょうかね?」


 私の言葉には誰も答えない。とても晴れた、雲一つない青空の爽やかな日だというのに、私は気分は真逆だった。暗い暗い、爽やかさのカケラもない気持ちが常に渦巻いている。


 それでいい。これでいい。復讐を終えるまでは、安息の日は来なくていい。私達の復讐はやっと一歩を踏み出したばかりなんだ。


 青い空を見上げながら、私はまだ見ぬ五人に向けて言葉を投げる。


「因果が巡るその時……再会の時を楽しみにしているわ」


 そう、私自身がお前等の因果だ。因果と成り、お前等に報いを受けさせよう。何があっても、どれだけ時間がかかっても、絶対に。


 自身の気分とは真逆の空気の澄んだ晴れの日に、私は新たに決意した。

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因果と成り、応報せよ勇者 結石 @kesseki

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