第23話

 二人が宿に入ったのは、夕暮れ時。ここでクレヌが思わぬ行動を見せた。最初の町の宿とは違い綺麗で少々広めの部屋。その部屋でクレヌが手で空中に線を引いた。


「ここから窓までは私、ドア側がエリーゼ様のテリトリーです。お互い侵犯しないようにしましょう」

「急にどうしたのですか? 一昨日はそんなことなかったですよね?」

「……いえ、私の自衛です」

「自衛? 私、クレヌ様を襲ったりしませんよ?」

「……エリーゼ様がそう思われたのなら、それでいいです」


 ため息をついたクレヌに少々不満はあるものの、距離がとられているならエリーゼ的にも心の平穏が保たれる。


(近場でドキドキしなくて済むわ)


 願ったり叶ったりだ。エリーゼはいそいそとリュックを開けた。そして、途端に気分が沈む。その原因を取り出してエリーゼはため息をついた。


「職人さんがいる村なら、イープ細工じゃなくても直してくださるかと思ったけれど、駄目でしたね……」


 箱を開けると、本体から離れてコロコロ動いているヘアドレスの装飾。それを見て出るのはため息だ。


「エリーゼ様。それは殿下に言って別の物を用意してもらえばいいと言ったはずです」

「それは駄目なのです!」


 少々語気が強めのエリーゼの反論。だが、クレヌは動じない。


「なんで?」


 とか言いながら、自分の領域だという窓際のベッドに腰かけエリーゼをじっと見てきた。その視線に思わず委縮するエリーゼは、しどろもどろになりながら必死に口を動かした。


「あの、えと、プロチウム殿下に言って、直してもらいます……」

「だから何故直すことにこだわるのです?」


 呆れたように言うクレヌ。エリーゼはそれに少々悲しくなった。


「だってこれは……」

「これは?」

「プロチウム殿下が初めてくださったものです。他に代わりなんてないんです。例え、プロチウム殿下が気になさらなくても、私は嫌です。とっても大事なものなのですから」


 箱を持つ手に思わず力が入る。


「これを作ってくださった方なら直してくださいますよね? 申し訳ないけれど、その方に頼んでいただいて――、クレヌ様?」


 急に大人しくなったクレヌ。エリーゼを見て目を見開いて驚いていたが、呼ばれて「あ、いえ、そうですね……」とバツが悪そうに答えたそして、「……そう言えば!」と、急に話題を変えにきた。そんなクレヌは少し笑みを湛えており頬が赤い気がする。


「どうしてイープ細工じゃなくて露店の鏡にしたのですか?」


 昼間も聞かれてちゃんとは答えなかった質問。どうせ答えないと踏んだのか、再びクレヌが蒸し返して来た。だが、今のエリーゼは昼間と違う。少しだけクレヌが慌てたのが分かるエリーゼは気持ちの余裕が少しだけあったのだ。


「クレヌ様、魔法を使う時に鏡をお使いになるでしょう?」

「ああ、これですね」


 胸元からクレヌが出したのは、魔導師の証明書ともいえる鏡。シルバーの無機質な鏡だが、それを使って繰り出されるクレヌの魔法はエリーゼにとって憧れでもある。もっとも、エリーゼ自身は魔法を使えない。でも、露店で見かけたこの小ぶりな鏡なら普段使いに持っていても差し支えないだろう。


「クレヌ様の魔法にお使いになる鏡、少し羨ましかったのです。だから買っちゃいました。そういえば、クレヌ様とお揃いですね」


 そう言って服から鏡を取り出しクレヌと同じように手に持ったエリーゼ。

 その瞬間、クレヌがベッドに伏せた。


「クレヌ様!? お加減悪いんですか!?」

「大丈夫です……。全然悪くないので気にしないでください」

「本当に? 先ほどから気になっていたのですがお顔が赤いです。まさか、熱ですか? 疲れがたまっていらっしゃるんじゃ……」

「大丈夫です! 本当に平気なんで、こっち来ないでください!」

「わ、分かりました。あ、そうだ、飲み水もらってきます!」


 エリーゼが部屋から出ようとすると、その手を掴まれた。振り向けば顔が赤いクレヌがいる。そう認識したのも一瞬、すぐにエリーゼはクレヌに抱きしめられると、「もういいからじっとしててください」と、耳元で囁かれて、真っ赤になりながら「はい」と返事をするしかなかった。






(どうしましょうどうしましょう、どうしましょう!!)


 夜。ベッドに潜って初日のように頭を悩ませていたエリーゼは一向に眠れなかった。


(プロチウム殿下とクレヌ様が同一人物だと察しがついていると、いつ言えばいいのかしら!? こんなことなら、最初に気付いた時にちゃんと言えばよかった!!)


 今更、「実は気づいていました」などと馬鹿正直に話して呆れられはしないだろうか。いや、呆れられるくらいならいい、怒られてもいいだろう。


(嘘をついていたと嫌われるのは嫌だわ……。今なら正直に言えるかしら)


 隣のベッドでは背を向けて眠るクレヌがいる。


「あの、クレヌ様?」


 そう小声で囁いてみても返事がない。エリーゼの葛藤など知らないクレヌはさっさと寝てしまったようだ。正直に話そうというエリーゼのわずかな決心は消え去り、残ったのは、護衛なのにさっさと寝ついたクレヌに対する不満だ。もっとも、部屋には魔法がかけられておりクレヌは自分の役割は果たしているのだが、今のエリーゼにはそんなこと関係なかった。


(もとはといえば、私に内緒にしていたプロチウム殿下が悪いわ! 私はそれに従っただけ、そうよ!)


 そう結論付け、エリーゼは自分もさっさと寝ようとした。でも、少し落ち着いたエリーゼはクレヌに『プロチウム殿下の探している人は自分』そう言われた時からずっと引っ掛かっていたことを口にした。


「硲の森ってどうやって色づかせるのかしら。私そんなことできないし、勿論氷結魔法だって使えないのに……。本当に、私なのかしら?」


 少し残る『人違い』という可能性。そうじゃなければいい、と、やっと重くなった瞼を閉じつつ願ったエリーゼはすぐに規則正しい寝息を立て始めた。

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