第18話

「さて、この中で誰に話をしたらいいものか……。おや?」


 クレヌが目を止めた先には、民衆から一歩出てくる男性。彼はエリーゼも見覚えのある人物だ。集会所で電話を借りようとした二人を追い出した人物。


「あなたは?」

「フィルスカレントの町長だ。あんた達、早く出て行った方がいいといったのに……」

「おや、集会所でのあなたの言葉は、我々の身を案じての事でしたか? それは意外です」


 ワザと驚いたようなクレヌに渋い顔のフィルスカレントの町長。だが、話をつけるのにはもってこいの人間の登場に、クレヌの様子が一変した。

 笑みが一切消えた無表情。仏頂面ともいえるその顔は、瞳の色と髪が違ってもプロチウムによく似ている。いや、本人の可能性があると知っているからそう見えるのであって、きっとだれもクレヌがプロチウムだとはイコールにならないだろうが、エリーゼとしては心配だ。

 そして、普段と違うクレヌに少しだけ胸の鼓動が早くなる。


「単刀直入に聞こう。私の質問に嘘をつこうと構わないが、無駄な抵抗はしない方がいい。この町は籠の小鳥だ」


 若干悪役のような物の言い方にエリーゼはクレヌと町長を交互に見る。


「……名を名乗るのが先だろう」


 厳しい顔つきの町長がそう言った。


「これは失礼! 私、軍属魔導師のクレヌ・オン・フュージと申します。任務中に立ち寄った町でまさかこんなことになるとは思いませんでしたよ」

「クレヌ!? 稀代の天才がそう簡単に人前に姿を見せるわけは……」

「ほう、プロチウム殿下がここの事を嗅ぎつけて私を送り込んだとは考えないのですね?」


 そんな事実はないが、当たり前のように言うクレヌの言葉を疑う術は街の人間にはないだろう。フルーエルト公爵家の言いなりになっているとすれば尚更だ。町長は苦悩の表情で唸った。


「……何を知りたい?」

「フィルスカレントはフルーエルト公爵家の私物か?」

「何を馬鹿なことを! そんな訳ないだろう!」

「なら、王都に流通しているグルハランスの精油の実態を知っている人間はどのくらいいる?」


 ひそひそと交わされていた話声はピタリとやみ、広場は本当の無音と化した。


「ああ、訊き方が悪かったようだな。グルハランスが正しい製造方法に従って従来通りに精製されていると胸を張って言える人間はどこにいる?」


 静まり返った広場。誰も声をあげない、そう思われた空間に「ここに!」と手をあげた人間がいた。きちんとした身なりの男性、その胸元のスカーフには茨に囲まれた薔薇のモチーフがあしらわれている。身に着けている物までフルーエルト公爵家臭がプンプンする喜劇的な人物の登場にエリーゼとクレヌは思わず顔を見合わせた。


「お前は?」

「グルハランスの精製工場を営んでおります」

「……お前だけ他の町民より身なりがご立派なことだな」


 クレヌの嫌味にも顔色一つ変えず、その男性は悠然と語った。


「グルハランスの製造は間違いなく、従来通りの正規の方法で行われております。まあ、今は生産を中止しておりますから、その証拠をお見せすることも出来ません。ああ、でも、残っているものを検品されてもよろしいですよ」

「その必要はない。手元に残すのは人目にさらされても問題がないもののみだろうからな」

「左様でございますか? なら、確たる証拠もなく悪評をばら撒かないでいただきましょうか?」

「そんな悪評を勝手にばら撒かれてしまうグルハランスだから製造を中止したのか?」


 クレヌの指摘に男性は「まさか!」と大げさに驚いた。


「新規品の製造に忙しいんですよ。事実ですよ、お見せしましょうか?」

「新規品? それはなんだ?」

「アスリーの実の精油ですよ。鎮痛効果のある実に優れた精油です」


 男が小瓶を取り出した。見分けなどつくはずがなく、エリーゼはクレヌを横目で見た。


(怒っているわ……。当然よね。もしかしたらディーデリウム殿下が危ないかもしれないんだもの)


「その精油、もう王都で売っているのか?」

「いえ? 公爵様がディーデリウム殿下に献上されると仰っておりましたから、ディーデリウム殿下がお使いになられてからでしょうな」


 そう男がニタリ、と笑った。

 嫌な笑みだ。


「何故、殿下に?」

「ディーデリウム殿下にお使いいただければ貴族への強大な広告になりますから!」

「……それを提案したのは、お前か? それとも、フルーエルト公爵家か?」

「僭越ながら、ディーデリウム殿下にと進言したのは私です」

「そうか、なら……。ディーデリウム殿下がアスリーの精油のせいでお倒れになったらお前はどう責任を取るつもりだ?」

「は?」

「お前が無知なばかりに、精油の評判もさぞかし落ちることだろう、不本意に貶められることになるアスリーの木の前で許しを請う練習でもしておくべきだな」

「な、何を?」


 今までの威勢がなりを潜めた男に、クレヌは手に持っていた銀の鏡を向けた。そして、側面の突起をグッと押し込むと、男の周囲に捕縛用のベルトが現れ一瞬で拘束すると、一気にクレヌの方に引き寄せられた。


「覚えておけ。ディーデリウム殿下はアレルギー体質だ。アスリーの成分はディーデリウム殿下にとって咳の発作を引き起こし命おも脅かす。殿下に万が一のことがあればお前は一躍有名人だ。まあ、不名誉なことだろうがな」


 クレヌの言葉に広場が一気にざわついた。

 遠回しに、『ここの精油のせいでディーデリウム殿下が死ぬかもしれない』と、そう言われたのだから無理もない。クレヌの怒気を一身に受けた男は「え……」と真っ青だ。その手に握っていた小瓶を取りクレヌはエリーゼに手渡した。

 開けると独特の苦みを感じる臭いがする。


「この香り、アスリーの実をつぶしたときによく似ています」

「ふうん……」


 ギロ、とクレヌに睨みつけられた男は「ち、違うんです……」と、急に慌てふためきだした。


「これは、フルーエルト公爵家に強要されて!!」

「その割には随分とフルーエルト公爵家に肩入れしているだろう? なんだ、その趣味の悪いスカーフとタイピンは。良く見ればベルトにも薔薇の紋か。全身でフルーエルト公爵家を支持しているくせに強要されたと言うとは笑わせてくれる。お前はフルーエルト公爵家と同罪だ」


 そう吐き捨てたクレヌは固唾をのんで見守る広場全体を見回した。


「ここにいる皆も、この男と同類だ」


 怒気をはらんだ表情から一転。冷静に貫禄十分なその出で立ち。唯一反応したのは町長だ。年下のクレヌに気圧される町長。発言出来たのは義務感からだろう。


「我々も、フルーエルトと同罪ですか……」

「ちょっと違う。同類と言ったまでだ。この男がグルハランスの製造法を変えてかさましし、質の落ちた物が市場に流通した。そのせいで購入者に健康被害が出たのは事実だろう。そして、君たちはそれを黙認した。加担はしていないだろうが、黙認した時点でフルーエルト公爵家の意思に賛同したとみなされても文句は言えない。例え、自分たちが正しいものを作っていたとしてもだ」

「それは……」

「第一、騙されたことに気付いた民衆が、君たちの作った物を買いたいと思うか? きっとこう思う筈だ、『信じられない、知らないだけできっと他のもそうなんだろう』と」

「……仰る通りだ」

「素直だな。そんなすぐに認めるならなぜこんなことを?」

「どうしても、ここで今まで通りに生業を続けるためにはフルーエルト公爵家に従うしかなかった。我々は小さい頃から精油や植物に関して親から教わってきた。親から受け継いできたそれらを捨てるのは、どうしてもできない。ここにいる皆がそうだ」


 神妙な面持ちでクレヌを見る町民は痛々しい。フルーエルト公爵家に表向きは賛同しつつ、自分たちの伝統はきちんと守った彼らは少しくらい許してあげてもいいのではないか。エリーゼはクレヌを見上げた。

 その視線を感じ取ったのか、一度エリーゼを見て雰囲気を柔らかくしたクレヌは「なら……」とこんな提案をした。


「選ばせてあげよう」

「クレヌ!?」

「しー、大人しくしていて」


 今までの仏頂面は消え去り、エリーゼに向かってウインクしたクレヌは真面目な顔で町長に向き合った。


「私に町の実態を暴かれ信用をすべて失うか。それとも、フルーエルト公爵家の実態を自分たちの手で暴き巨悪に対峙するか。どちらがいい?」

「そんなの、迷う必要ありません! どうか私たちに挽回のチャンスを下さい!」


 そう意気込み応えた町長。そんな町長に賛同する明るい顔色を取り戻した町民がいれば、顔色が優れない者もいる。その者の心配はこうだ。


「相手はあのフルーエルト公爵家でしょう? そんなこと、出来るかしら……」


 確かに一公爵家にそう簡単に反旗を翻せない。だからこそ、皆が従ってしまっていたのだから。だが、クレヌは心配ないとばかりに一笑いした。


「ちょうどいい後ろ盾がいる」

「どういうことでしょう、クレヌ殿」


「コート侯爵家だ。フルーエルト公爵家は最近魔法植物事業にも手を付け始めたが、その手法が悪徳で老舗のコート侯爵家と対立している。コート侯爵家ならあなた達の手助けを喜んでするだろう。それに、ここの抽出技術はもともと我々魔導師界隈では有名だった。できれば魔法植物の精製にもその腕を振るってほしいと思うのだけど? その時はぜひ私も利用させてもらいたい」


 稀代の天才クレヌのその申し出に、広場に湧きあがる歓喜の声。口々に嬉しさを吐露し、涙ぐむ者もいる。随分フルーエルト公爵家によって抑圧されていた彼らの素の心の声に、エリーゼも心穏やかになった。

 だが、クレヌが急に鏡を構えた。広場から出る大通りに向かって腕を伸ばしたのだ。


「だから、無駄な悪あがきはやめろ!」


 そう叫ぶと、先ほどのグルハランスの工場の主のようにベルトで拘束された人間が三人ほどクレヌの足元に転がって来た。


「お前たち、慌てて走り去ろうとしたな? どうした、このことをフルーエルト公爵家に伝えにでも行くつもりか? だがそれは出来ないぞ。さっき上に上がった時に周囲は魔法で障壁を作ったから何人たりともで入りは出来ない。そのうちコート侯爵家縁の魔導師をお呼びする。それまでは、変な行動は慎んでもらおうか?」


 そう男どもを見下ろして震え上がらせたクレヌは、ケロッと表情を変えて町長を見た。


「そういう訳でご不便をおかけします。先ほど遣いは飛ばしてあるので明朝には来て下さると思います。それまでは、私が目を光らせておきますから」

「よろしくお願いします」


 町長を始め、町民に頭を下げられたクレヌは、気恥ずかしそうにエリーゼを見てこう言った。


「またマグネ殿に借りを作ってしまう」


 そう苦笑いしたクレヌにちょっとだけ笑ってしまったエリーゼだった。

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