第11話

 噴水のある広場から町の外れの方に足を進めると、賑わいのある中心街とは離れているにもかかわらず行列ができていた。


『ワックス鑑賞 十分 二千パーク 受け付けはこちら』


「鑑賞、ですか? 撫でたりは出来ないのかしら?」

「ワックスを撫でるのは無理だよ」

「まあ、何故です?」

「見ればわかるんじゃないかな」


 そう言ったクレヌがさっさと受付を済ませてお金を支払った。その金額、十分間で一人、二千パーク。先ほどの宿代が一泊一万パークしないと言っていた。


「十分で、二千……」

「高いと思う?」

「あまり、お金は詳しくないけれど、きっと高いでしょう?」

「そうだね。まあ、この村の観光業のメインはワックスだから致し方ないんだろうね」


 列に並んで三十分。建物を通り抜けて反対側に出ると、そこには広い牧草地帯が広がっている。ワックス用に整備されている楕円形の牧草地帯の周りには柵が建てられており、その周囲は運搬用の馬車を走らせるためか道ができていた。整備されているというよりは、土を固めた農道のような足元の不安定さがある。

 その地面を踏みしめ、クレヌが首を傾げた。


「これは……」

「どうしたんですか? ほら、あそこ! ワックスです!!」


 広い牧草の上で寝そべり欠伸をしている、白いふわっふわの綿毛のような動物。くるりと巻いた白い尻尾もソフトクリームみたいに可愛らしい。おでこにチョコンと黄色い角があるのが雄で、雄よりも耳が長いのが雌だ。大人のワックスは羊くらいの体長だが、その中に猫サイズのワックスがいた。


「子供だわ! 繁殖したの!?」

「お嬢さん、あれはね、十年前に生まれた子だよ。ワックスは成長がゆっくりなんだ。二十年かけて大人になるんだよ」


 興奮していたエリーゼを見かねたのか、面白そうに説明してくれたのはここの主人。他にも子供たちの疑問に答えていた彼は、「触ってみたい!」という子供の問いに苦笑いをした。


「それはね、無理なんだよ。試しにおじさんが触ってみるから見ているといい」


 そう言ってワックスに近づいた主人。一メートルほどの距離まで近づくと、寝そべっていたワックスたちが一斉に立ち上がった。

 そして、主人から距離を取り始めた。一歩近づけば二歩遠ざかる、そうじりじりとワックスの集団と主人が移動するなんとも微妙な光景を一同で見ていた。


「さて、ここで餌を出してみようか」


 そう主人か取り出したのは人参だ。それを差し出しながら近づくも逃げるワックス。主人が地面に人参を置き離れると、勢いよくかけて人参を取って離れた。その際に、主人が体に触ろうとすると、巻かれていた尻尾が勢い良く伸び、手を叩き落とした。そして、すました顔で人参を奪うと遠く離れた場所に腰を下ろし頬張り始めたのだ。


「ワックスはね、触らせてくれないんだよ。近づくとああやって逃げてしまうんだ」

「えー、じゃあどうやってお世話するの?」

「ワックスの毛はほとんど汚れないし生え変わらない不思議な毛なんだよ。彼らは綺麗好きだから、水を用意しておけば、暖かい日にお風呂に入ってから日向ぼっこして自分で乾かすんだよ。賢いだろう?」


 その説明に純粋に「すごい」と子供と同じ感想を持ったエリーゼは、ジッとワックスたちを観察した。寝ている顔は愛らしく、大きいぬいぐるみのようなワックスに一度は触れてみたい。それはエリーゼだけでなく子供たちも同じことを考えたようだ。


「さわりたーい!」


 そう騒ぐ子供に「じゃあ無理だと思うけどやってみれば?」という主人。思わずエリーゼも「私も……」と口にしかけてクレヌを見た。冷ややかな顔で事態を見守るクレヌはエリーゼの視線に気づくと、「何?」と笑った。


「あの、私も――」

「触りたいだなんて言わないよね? ワックスの歴史は知ってる?」

「え、ええ。乱獲されて今に至ったのですよね」

「ワックスは長生きだ。彼らは乱獲されていた時代から生きていたかもしれない。だとすれば、人に近寄らないのは何故だと思う?」

「まさか、人間が怖いんですか?」

「それか、嫌いなんだろうね」


 牧草地帯の中に入っていく子供たち。その様子を面白くなさそうに見るクレヌ。そして、追いかける子供から逃げるワックスたち。子供は楽しそうだが見ているエリーゼは心いたたまれない。

 多方向から触ろうとする子供から逃げるワックスたちは徐々にこちらに近づいてくる。数は全部で五頭。そのうち先頭を走って来たのはまだ小さい子供のワックスだ。その子は柵の間に体をねじり込ませ、「よいしょ」と、ばかりに外に出た。そして、エリーゼの足元に縋り始めたのだ。「スピスピ」と可愛らしい鼻息を立てて。


「か……」


 相手からすり寄ってきて遠慮することはないだろう。エリーゼは誰に何かを言われる前にその子どものワックスを抱き上げた。


「可愛い! どうしたの? 怖かった?」


 そう猫抱きをしてやると、胸元に顔を擦りつけてくる。


「リゼに、ワックスが懐いた?」


 柵のところまで来た大人のワックスたちも、「ピーピー」と甘えた声を出している。近づいて柵の上から撫でてやると、気持ちよさそうにゴロンとその場に寝転んだが、寝転ぶと撫でてもらえないと分かったのか、すぐさま座り直し「さあ、撫でろ」と言わんばかりに頭を差し出してくる。


「これは驚いた! まさか、ワックスが自分から近づくとは……。お嬢さん面白いねぇ!」


 主人が近づくと、蜘蛛の子を散らすように逃げたワックスたち。エリーゼが抱きかかえる子ワックスだけが、気持ちよさそうに舟をこいでいる。

 外から「時間だよー」と声がかかると、渋々子供たちは出て行った。エリーゼも外に出るべく牧草の上に子ワックスを降ろそうとした、だが、降ろそうとすると暴れて嫌がり、無理に降ろすと再び柵の間から出てこようとする。それを迎えに来たのは一頭のワックスだ。この子の母親だろうか。試しにそのワックスの傍におろすと、すり寄り甘えはじめる。その甘えられた母親はじっとエリーゼを見てきた。


「ごめんなさいね、昔のことがあって人が怖いのかしら? でも、今は危ない目には遭わないわ、人を許してちょうだいね」


 そう言って撫でてやると、ワックスはしぶしぶ仲間の元へ戻って行った。

 外へ出ると慌てて声をかけて来たのは先ほどの主人だ。


「お嬢さん! ちょっとお願いがあるんだけど!」


 息を切らして迫って来た主人に少し慄いたエリーゼだったが、すぐにクレヌが「何か?」と間に入ってくれた。


「実は頼みたいことがあるんですよ。ワックスに懐かれたあなたならちょうどいい! いやー、実に可愛らしいお嬢さんだ!」

「ですから、『妻』に、何の用ですかと聞いておりますが?」


 クレヌに押された主人は、帽子を取って一礼した。


「これは失礼いたしました。実は最近あの子達の食が細くて、なかなか餌を食べてくれないんですよ。このままじゃ、あの子達が心配で……。もしかしたらお嬢さんがあげる餌ならあの子達も食べるかもしれない。手伝ってくれませんかね?」

「まあ、それは心配ですね。いいです――」

「駄目、勝手に決めない。お言葉ですが、先ほど人参は食べていましたよね?」

「あれしか食べないんですよ。それじゃあバランスが悪すぎる。まあ、ご主人の許可が出たらいらしてくださいよ。先ほどの広場で今日の夜七時にお待ちしてます!」


 人の良い笑顔を湛え、主人は戻って行った。


「……駄目だから」

「何故ですか?」

「あそこには関わらない方がいい」

「だから何故です?」

「あの牧草地帯の柵の外側、ダートだ」

「だ、だーと? 何かしら?」

「この場合は、『ワックスを走らせる土のコース』とでも捉えていればいいよ」

「あそこで運動しているのですか?」


 あくまでプラスの考えしか浮かばないエリーゼにクレヌは少々困った顔を向けた。


「それならいいけどね。無理に走らされているとも考えられる。人の足に消されてはいたけど、一方向に向かってワックスが走った足跡が残っていた。自由に動いて、あんなに方向性が乱れない足跡なんてあり得ない。あれは、何処かに向かって走っているか、もしくは追われて走っているかのどちらかだ」

「追われて……」


 先ほど子供たちは楽しそうにバラバラに追いかけていたが、あれが人が一直線に並んでいたらどうだろう。さらにその様子を人が取り囲み見ていたとしたら、もはや前にしか逃げ場のないワックスたちは、ダートコースに従って走るしかないだろう。そんなことを無理に強いる人間の目的といったらさすがのエリーゼにも一つしか思い浮かばない。


 賭け事だ。


「まさか、ワックスでか――!?」

「声が大きい」


 叫びそうになり、クレヌに口を押えられたエリーゼは、自分がさっき言ったことを後悔した。もし本当にそんなことをされていたら、彼らが人を嫌いになって当然だ。少し懐かれたからと言って、何を分かったような口をきいてしまったのかと、思わず両手に力が入った。


「やっぱり、行きます」

「だから――」

「嫌よ! だって……。それが本当ならあの子達が可愛いそうだわ。でも、私ひとりじゃ無理だから、クレヌも手伝ってください」


 そう、少し頭を下げたエリーゼ。クレヌの反応は「え?」と訝しがるような返事だった。少し間が開いて、クレヌがポソ、と口を開いた。


「手伝えと言えばいいんじゃないのかい?」

「それじゃ命令です。クレヌの仕事は私の護衛で、我儘に付き合うことじゃないでしょう?」

「我儘を言っている自覚はあるんだね。そっか、お願いねぇ……」


 考えるそぶりをしたクレヌは、少し笑うとエリーゼの手を取った。


「可愛い奥さんにお願いされたら断れないよ。まあ、例え我儘だったとしても守るのが仕事だけどね。根回しは任せて」


 そう言って薬指に口づけを落としたクレヌは、その前に他も見て回ろうとエリーゼの手をそのまま引っ張って行く。エリーゼは半ば引っ張られる形で顔を真っ赤にしてついて行くしかなかった。


(今までは普通だったのに、き、急に距離感近いのよ! びっくりしたぁ……!)

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