第10話

 午後の馬車移動は睡魔との闘い。

 温かさと心地よい揺れに眠気を催したエリーゼだが、自分の頬をつねって眠気に耐えた。リュックを抱えて絶対に手放さないように試みるも、眠気で手の力も弱まってしまい、何度も何度も抱え直した。


「リゼ、眠いなら寝ていいよ?」


 と、鼓膜をくすぐるクレヌの穏やかな声に「だ、大丈夫です……」と答えたのが最後、エリーゼは意識を手放した。


 心地よい眠りに就いたエリーゼは昔の夢を見た。

 貴重な『シャスター』が生息する『硲の森』。プロチウムの領地であるノアレ領の近隣にあるその森は常に青々とした緑が茂っているが花は一つたりとも咲くことがない。その森に行った時の事だ。当時はまだ五歳。森の奥まで入り込んだエリーゼが帰れないで泣いていると誰かが話しかけてくれたのだ。


「どうしたの?」


 振り返ると、フードを被ったエリーゼよりも少し背の高い子供がいた。


「あのね、この子ね、もう動かないの」


 森の中で弱っていたウサギの最後の時に寄り添った。冷たくなったウサギをどこかに埋めてあげようと森の奥まで来たところ帰り道が分からなくなってしまったエリーゼ。こんもりと盛り上がったエリーゼの足元には、花の種が添えられていた。


「どうして種?」

「ポケットに入っていたの。この森、お花咲かないんでしょ? 本当は咲いたお花が良かったなぁ……」

「お花? その種の芽なら起こしてあげられるよ」

「本当!? やって!」


 フードを被った子がしゃがんで胸元から銀色の丸いものを出す。開けたところを覗くと、鏡だった。その鏡面をなぞって閉じると縦にした。曲線を描く部分から一滴何かが滴り落ちると、ピョコン、と緑の芽が出る。それがあっという間に根を張り可愛らしい黄色い花を咲かせたのだ。


「すごい!! 魔法使いだ!」

「怖がらないの? 魔法は、野蛮でしょ……」

「どうしてそんなこと言うの? こんなに素敵なのに! ウサギさんも喜ぶよ! 私も嬉しい! もっとできる!?」


 興奮したエリーゼが、黄色い花に触れた次の瞬間、花は白くなった。いや、花だけじゃない、地面も木々も硲の森の何もかもが一気に白い氷に覆われ音という音を奪われ、無音の世界となったのだ。

 どれくらいその世界を見続けていたのか分からないが、「すごい」とエリーゼが口にすると、あっという間に世界は緑の色を取り戻した。


「今のも魔法? あなた凄いのね! っくしょん!」

「大丈夫? 風邪ひいた?」


 そう言って羽織っていたフード付きの上着をエリーゼの肩にかけてくれ、手を引いて森の外まで連れて行ってくれた。

 だが、エリーゼはそんな隣を歩いていたはずの子供の顔を全く覚えていないのだ。多分魔法に興奮して喋り倒してろくに記憶もしていなかったのだろう。親に、心当たりがないかと聞いても、「さあ?」とはぐらかされるだけで一向にどこの誰かが分からない。「知らない」と、言わないでとぼける辺り、絶対に親はその子が誰かを知っている。

 何故教えてくれないのか? そう疑問に思ったエリーゼだが、成長するとその理由が分かるようになった。

 硲の森には貴重なシャスターが生育する。そのシャスターはなかなか花も実もつけない。そんな貴重なシャスターが十年前に花と実をつけた。それは、エリーゼが不思議な子供と出会った翌日の事だったのだ。一夜にして色とりどりの花が咲き乱れた森。もしかしたら、あの魔法使いの子がやったのかもしれない。ならば、その子は表に出るべきではないのだろう。事実が知られたら、良いように利用されてしまうに決まっている。

 そう思ったエリーゼは、以降両親に「あの子は誰?」とは聞かなくなった。

 でも、願うならもう一度会いたい。

 心細い自分に声をかけてくれた子。自分は果たしてきちんとお礼を言えていただろうか? そして、今まで花に囲まれて生きてきても、あの時、ウサギのためにあの子が咲かせてくれた黄色い花がエリーゼにとって一番綺麗だと思える花なのだ。直接会って言いたいことが沢山ある。だからもう一度会いたい。


(会いたいなぁ……。会ったらお友達になってくれるかしら。確か、可愛い声をしていたはずよね……)


「リゼ、起きて」


 エリーゼを起こしたのは可愛らしくはないが優しい声。その声に瞼を開ければ、クレヌが苦笑いしながら顔を覗き込んでいた。


「着いたよ、降りよう」

「え、もうですか?」

「馬車は順調だし、リゼも順調に寝ていたね」


 リュックをしっかり抱えて眠りこけていたエリーゼは、暢気すぎる自分に赤面した。


(しっかりするって、さっき心に決めたばかりなのに!)


 着いたのは『コナラ』という町。まだ陽は高いが今日はここで泊まるらしい。宿に着き部屋を取ると、クレヌはこう提案してきた。


「リゼ、ワックスを見に行こうか?」

「まあ、ワックスだなんて貴重ですね!」


 宿から出て大通りを歩くと、街頭には旗が掲げられている。その旗に描かれている動物が『ワックス』。正式名称『ワックステリア』という羊ほどの大きさで非常に艶やかな毛並みの動物だ。大昔は人よりも多くこの大陸のいたるところで生息していたワックスだが、その毛からとれる油は酸化しにくく非常に長持ちすると話題になり次第に数を減らした。今は、コナラを始めとした一桁に満たない町や村でしか飼育されていない絶滅危惧種だ。かなり長寿で病に強い反面滅多に繁殖しない為、その数は微妙に減りはすれど増えはしない。そんなワックスは今では観光の目玉だ。


 町を進むと噴水のある広場があり、エリーゼはその噴水の前に建てられた銅像の前で足を止めた。正確には銅像によじ登ろうとしたり、落書きをしようとする子供たちを見てしまった。すると、その子供たちを巡回の警備の人間が叱り散らすのだ。だが、警備の人間がいなくなると再び子供たちが戻って来た。親は見ているのかいないのか分からないが、その辺の大人は注意などしない。


「この銅像は……、『ローゼット子爵』?」


 スラっとした銅像、そのプレートを見て、エリーゼは首を傾げてしまった。

『マイティン・ローゼット子爵』。その像の寄贈者は『カルロ男爵』と書かれている。


「どうしたの、リゼ」

「いえ、ローゼット子爵という方を知ってはいますけど、こんな縦長の方だったかしら……。もっとこう、転がしたらよく転がるフォルムだと記憶していたのですけど……」


 父に連れられて何度か足を運んだことがある社交の場。そういう場に行くようになれば嗜みとして各貴族の情報は頭に入れるものだ。エリーゼとて例に漏れず貴族のデータは頭に叩き込んでいるが、ローゼット子爵は羽振りの良い成金を人型にしたような人物で、縦横の比率が二対一くらいの丸いシルエットのはずだった。


「リゼはローゼット子爵まで知っているの? よく覚えているね」

「一応……。確か、ローゼット子爵はカルロ男爵の遠縁、資産家のローゼット子爵はカルロ男爵に多額の寄付をしていると。だからお二人の力関係は、子爵であるローゼット様の方が上だと聞いたことがあります」

「ここはカルロ男爵の領地だから、ローゼット子爵のご機嫌取りにでも銅像を建てたんじゃないかい? まあ、この銅像じゃ、誰だか分からないけどね。それよりリゼ、ワックスはあっち、銅像は放っておいて行こう」

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