第3話 再戦のチェス

「素晴らしかったですわ、ジュリオ王子!」


 晩餐会の主役は当然、中央からやってきたジュリオ王子だ。

 そして隣に座るのは……カミーラお姉さま。


「……北部の女は慎み深いと聞いたんだがな。別にカミーラ・ヴァイナルダム。あんたを非難しているわけじゃないんだ。遠征中も伝えていたが、俺は静かに食事をする方が好みだ」


「ジュリオ王子。私たち、夕食は家族全員で食べることにしておりますわ。中央では、そのようにしないので?」


「俺の兄弟が何人いると思っている。少なくとも、この食卓の数では足りん」


「まあ、素敵ですわ! 何よりもジュリオ王子が、4国巡りをしているとことは、一番ってことですもの!」


「……うるさい奴だ」


 ジュリオ王子と会話をすることに夢中で、王子に北部自慢の食事を楽しませようなんて気は一切ないように思えた。お兄様達がカミーラお姉さまに目配せをしているけど、あの人は気付いている様子は一切ない。

 いや、むしろ気付いている? あれは……あえて? さすがカミーラお姉さま。


 でも、私は半信半疑だったりする。

 雪解けの時期に北部の山々を超えて私たちの領地を襲ってくる……通称、向こう側の魔物討伐はいつだって大騒動なんだ。

 たった一週間足らずで、魔物を向こう側へ追い返してきたなんて信じられない。


「ジュリオ王子なら、嘗ての戦争でも大活躍していたに違いありませんわ!」


 カミーラお姉さまのお世辞も案外、的外れじゃないのかな。

 我が家ヴァイナルダムの王族に伝わる力が氷なら、中王国家の王族に受け継がれている魔法は武に直結していると聞いたことがあった。

 それでもジュリオ王子一人の力で、そこまで変わるもの?


「……俺の目には食卓全員で仲良くって感じにも見えないけどな」


 さて、私はといえば晩餐を囲んでいながら、身体を隅っこで縮めている。


 家族だけじゃなくて、ジュリオ王子にとっても私はいないもの同然。

 魔物討伐にも同行しない王族なんて、ジュリオ王子からすれば無価値だろうなあ。


 カミーラお姉さまの大声によると、明日にはジュリオ王子は中央に帰ってしまうらしい。さすが大人気の王子様は忙しいね。

 書庫の整理が日課の私とは大違いだ。

 私はこんな風に、最後までジュリオ王子とは言葉を交わさなくて済むと思って安心していた。


 あの人が寝る前に日課のチェスをしたいと言うまでは。


「アレニャ、ジュリオ王子の相手をしてあげなさい。お前、チェスは得意だろう?」


 わざわざ人目につかないよう大人しくしていたのに国王ハーランド・ヴァイナルダム。私のお父様の言葉に凍り付く私だった。




 目の前にあの人が座っている。

 私とあの人の間にはチェス盤が置かれていた。

 イケメンなら王族として見慣れている私だけど、この人は次元が違う……。

 心を乱さないよう平静に、頑張れ私。


「……」


 私のことを親の敵のように、睨め付けているはカミーラお姉さま。

 はいはいわかってますよ。お姉さまの憧れる人を取りませんってば。


「……あの、白の駒は私でよろしいですか」

「どちらでも構わない。ただ、遠征中にアレニャ・ヴァイナルダムは昔、チェスの名手だったと聞いている。だから楽しみだ」

「……」


 や、やりづらい……。


 さて白の駒とは、先行のこと。

 チェスには黒白の駒があって、先に打つ人が白の駒を打つ。


「ジュリオ王子のお言葉通り。アレニャ様はチェスが上手いと評判でしたからなあ。最近、噂はとんと聞かなくなりましたが、私も勝てた試しはありません」


 王城に集う貴族の一人が、私の後ろでそう言った。

 家族だけじゃなくて、仕事に余裕のある貴族連中が集まってきている。

 私とジュリオ王子の周りを大勢の人間が覗き込んでいる。

 注目が集まって、や、やりづらいー! 特にカミーラお姉さまの睨みが!


 私のチェスが誰よりも上手な事は、私のことをちょっとでも知っている人なら当たり前の事実だ。

 この世界に転生して、チェスの文化があることに私は喜んだ。

 けれど、チェスが上手だからって何の意味もないことをすぐに学んだ。

 こちらの世界ではチェスは文化として成熟しておらず、子供や暇を持て余した大人の遊戯ぐらいの扱いだから。


「チェスと言えばシンクレアですから。ジュリオ王子も大層な腕前なのでしょう」

「噂によると、誰もジュリオ王子に太刀打ち出来なかったらしいですから」

「黄泉の森で、チェスを打つ余裕があるとは、さすがですな」


 ジュリオ王子は北部の向こう側に行っていた時も毎晩チェスの相手を探していたらしい。

 でも、ジュリオ王子のチェス相手になれる人は一人もいなかったとか。

 だから幼い頃はチェスで無敗だった私にお鉢が回ってきたわけだけど、カミーラお姉さまからは無様にボロ負けしろと事前に有難いアドバイスを貰っていた。


「どうした。お前の番だアレニャ・ヴァイナルダム。まだ悩むような局面ではないだろう」

「……」


 一度チェスを打てば、相手の実力が分かる。


 ……この人、強い。

 私の目から見ても王子様の実力は並外れていた。


「あ、えっと。じゃあ……ボーンで……」


 北部ヴァイナルダムにはろくな打ち手はいなかったから、感動してしまう。

 これだ、これだよ。動きに制限のある駒を巧みに操り、自らの有利な配置に誘導。時には表情や言葉から、相手の真理を探る読み合いこそがチェスの醍醐味。

 なのにヴァイナルダムの打ち手と言ったら……何を考えているかが顔から丸分かりで、相手の真理を探る楽しさも見いだせない、


「当た障りのない手だ、つまらん」

「……ごめんなさい」


 ジュリオ王子は退屈そうに、駒を動かす。

 確かに中央国家シンクレアはチェス文化が北部よりも盛んって聞いたことがあるけど、もしかして中央の実力ってこんなに強いのかな。

 だったら、私も将来のシンクレア移住を本格的に考えようかな……。


「……じゃあ、ルーク」


 少なくともこっちの世界ではだいぶ上手な方。

 前歯で女子のチャンピオンだった私はいくつもの戦術を理解しているけど、こちらの世界では本当に簡単な戦術しか広まっていない。

 ボーンを当たり障りのないマスへ進めると、ジュリオ王子が間髪入れずに駒を進める。


「ふん」


 え。うそでしょ。

 王子の一手に驚いてしまった。


 巷に広がっていないチェスの戦術。

 今、ジュリオ王子が打ったのは、前世で幅広く知られているチェスの一手。

 懐かしさが頭に広がって、私は反射的にジュリオ王子の一手を潰してしまった。だって、その手は既に潰し方が決まっている。


「ねえ、誰か教えてくれるかしら。どっちが優勢なの? チェス、詳しくないの」

「カミーラ王女。僭越ながら、この私が。そうですな、私の目からはジュリオ王子の優勢に見えます」


 ジュリオ王子の優勢だって?

 ……これだからヴァイナルダムのチェス文化と言ったら。

 

 まっ、そうだよね。そういう風に打っているから。

 少なくともチェスを嗜む程度の人には、さっき私が動かしたビショップの意図は理解出来ない。このビショップが活きてくるのは、もっと先の話。


「……お前、やってくれるな」


 だけど、驚いたことにジュリオ王子の顔色が瞬時に変わった。


 え? 何? もしかして、気付いた?

 ジュリオ王子は前世の私のように、一日中チェスをやっている人間でもない。

 それでも、だ。


 今の攻防で私の意図に気付いたのなら、ジュリオ王子は並外れている。

 

「アレニャ? 打ちなさい」


 突然止まってしまった私の肩をお父様が叩いて打つように促す。


「は、はい……ごめんなさい……」

 動揺する心を落ち着かせる。

 私だって、相当なブランクがある。全盛期よりは遥かに実力が落ちている筈。


 今の私の打ち手、その意図に気付いたのならジュリオ王子の評価をさらに一段階上げざるを得なかった。


「楽しそうだな、アレニャ・ヴァイナルダム」


「……え?」


 今までチェス盤しか見ていなかったジュリオ王子が私を見つめていた。

 北部では滅多に見ない黄金の髪に綺麗な灰色の瞳。

 端正な顔に私の顔も赤くなる。ああまずい、カミーラお姉さまに怒られちゃう。

 いけない。顔に出ちゃってたかな。北部では出会うことのない、そこそこチェスが打てる相手に私の気持ちは確かに高揚していた。


「続けろ」


 ――楽しいです、ジュリオ王子。ありがとうございました。


 忘れかけていたチェスの楽しさを思い出した気持ちになれた。

 だから、これで十分。



「……私の負けです。さすがです、ジュリオ王子」

 

 そこから私は、おそらくジュリオ王子を落胆させるだろう手を連発して、カミーラお姉さまが望む通りにボロ負けした。




「はあ、疲れたー……」


 自室に戻ってくると、やっと一息つける。

 ジュリオ王子といきなりチェスで戦わせるなんてお父様も何を考えているの。


 試合は勿論、私の負け。

 カミーラお姉さまの言いつけ通りきっちりと無様に負けてあげた。

 お姉さまは私が負けた瞬間、握りこぶしを作ったのを見逃さなかった。これでジュリオ王子滞在期間中の振舞いで、お姉さまに嫌われることはないはずだ。


「……暖まるなあ」


 使用人に温めてもらったミルクを飲みながら、椅子に座った。

 一見何の変哲もない狭い部屋だけど、無造作に机の上に置かれているティーカップだって値が張る。

 私は腐っても王族なんだ、お父様が生きている間はだけど。


 お父様は必要以上に私に干渉はしない。

 ただ一度だけ、申し訳ないと謝られたことがある。

 それはお城の離れに住むことを強制された私の母親が病で亡くなった時だった。あれは母親に向けてが私に向けてだったのか、今では確認しようもない。だけどお母さまを失ってから、私はカミーラお姉さま達と一緒にお城に住むことを許された。


「……?」


 そろそろ寝ようかな、なんて思っていると部屋に響くノックの音。


 外は真っ暗で、明かりもない。

 さすがのお姉さまも、こんな夜中に私の部屋を訪ねてこない。

 お姉さまにとっては睡眠不足は美容の天敵だからね。


「……??」


 またノックの音。

 メイドのマレーちゃんかな。私とも年齢が近い彼女。時折、二人で毎日の愚痴や噂話で盛り上がるをこぼすことが私の楽しみなんだ。


 けれど愚痴をこぼすときは事前に場所と時間を決めていたから、急に私の部屋にやってくるなんて大事件でもあったんだろうか。

 扉を開けるとそこには。


「……ひっ」

「冷遇されているとの話、事実だったか。王族の部屋とは思えない程、何もない」


 悲鳴を上げそうになった。

 中央国家シンクレアのジュリオ王子が立っていたのだから。


「部屋の配置はわざとだな。客人には分からないよう、お前の部屋は巧妙に隠されている。お陰で、お前の部屋を探すのに手間取った」


 しかもジュリオ王子は私の許可も取らずに、部屋の中に入ってきたんだから。

 な、何だこのひと! しかも失礼なことを言われた気がする!


「ふん。部屋を見るにお前はまだ、ましなほうだ」


 堂々と立ちそのお姿。

 深夜に淑女の寝室を訪れる失礼な人とは思えない。

 ここまで堂々とされては、私の方が間違っているような錯覚を覚えてしまうぐらいだ。べ、別に、深夜に男性が私の部屋に来たって……その……。


「じゅ、ジュリオ王子……何の用ですか 」


「お前は手を抜いていた。俺の目は誤魔化せない」


「……え、あの、ジュリオ王子。何の話ですか……?」


 おずおずと聞いてみせると。

 

「アレニャ・ヴァイナルダム。お前に再戦を申し込したい。勿論、チェスの話だ」

 

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