第7話


 午後8時45分。


 竹本が運転席のドアを開ける音に驚いて、僕は目を開ける。

 車内灯のオレンジ色がいやに眩しい。

 腫れて開きにくい目を何度も擦る。


 僕は、泣き疲れて寝ていたらしい。

 そんな僕を見遣る竹本の冷えきった目は、赤く充血していた。


「…瀬戸内、お前なんで通夜に来なかったんだ。」

「え、」

「…なんだお前、まさか寝てたのかっ?」

「え、あ、…うん、」

「はあ?マジかよっ」


 竹本の声は、あからさまに僕を蔑んだ。

 

「………」


 何一つ言い逃れができない僕は俯いて、黙りを通すしか術がなかった。

 心底自分で自分に失望する。


「お前がそんな薄情な奴だとは思わなかったよっ」


 舌打ちながら車に乗り込み、エンジンをかけ、竹本は唾棄せんばかりに言い捨てた。


「………」


 僕は何も言い返せなかった。


「ホント曽我部も報われねぇよっ …下まで送るが後は勝手に帰れよ。正直俺はお前をここで下ろしたいくらいだっ」

「…ごめん。」

「謝るのは俺にじゃねぇだろっ!」


 竹本はハンドルを激しく殴り付けた。

 僕はただ俯くばかりで。

 竹本は呆れ果てたのか、もはや一言も言葉を発することはしなかった。




 車は、山を下ってすぐのバス通りまで到着した後、すぐさま近くのバス停で停まる。


 竹本は乱暴に拳でハザードランプを点灯させた。

 下りろと言われる前に、僕は車のドアを開けた。


「瀬戸内、お前、明日は必ず行けよ!」


 ドアが閉まる瞬間、竹本は怒鳴るように僕にそう言い捨てた。

 そのまま車はエンジンを吹かしぎみにスピードを上げて、夜の闇へと吸い込まれていく。


 居たたまれないままそれを見送り、僕はバス停傍のベンチにおずおずと座る。


「…なんで、オレは、」


 街灯に照らされたバス停で一人、バスを待つ間中、通夜に参加もせずに眠りこけた自分をただ責めた。


「………」


 だが心の奥底の本心は、曽我部を見ずに帰ることができたことに安堵している。


「…ごめん、ごめん、曽我部、」


 僕には、棺の中の曽我部と対面する勇気がどうしても持てなかったのだ。


     ※ ※ ※


 大学3年の冬、竹本に誘われて一度だけ曽我部の通う芸術学部のある校舎へ赴いたことがある。


 芸術学部では早くも卒業製作が始まったと聞き付けて、僕らは曽我部の様子を見に行った。


 曽我部のいる教室は、構内で一番古い校舎の三階にある。


 既に衰退の一途を辿っていた学部だけに、彼らは学校内でも肩身の狭い思いをしていた。


(画材が構内の売店で買えないくらいだもんなぁ)


 僕はこの時、多少なりとも憐れみを芸術学部の連中に抱いてきたことは否めない。


 そんな寂れた校舎に一歩足を踏み入れると、独特な匂いが鼻について、僕は一瞬眉をひそめた。


「うわ、何の匂いだろ、」

「油絵の具の油の匂いだよ。」


 思わぬ声に、僕は慌てて振り返る。

 そこに立っていたのは、もとの色が何色かわからないほど汚れたツナギを着た曽我部。


 曽我部のその手には、木屑が山ほど入った銀色のバケツがぶら下がっていた。


「すごい木屑だな。それ、どうすんの?」

「焼却炉に持っていって捨てるんだ。今日はもう作業しないから、片付けてる最中でね。」

「へぇ、」


 そのバケツを、なぜか横からぬっと手を出して、竹本が曽我部から奪うように引き取った。


「俺が捨ててきてやるよ。お前らは教室に戻ってろ。あとで俺も行くから。」

「ありがとう、竹本。俺らは第三教室にいるから。」

「わかった。」


 そして竹本はバケツを片手に踵を返し、校舎を後にする。


「………」


 どうしてこの時、竹本が曽我部の代わりにゴミを捨てに行ってくれたのか。


 今、はっきりとその意味がわかった。

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