第5話


 火葬場に付随した形で建つその斎場は、最近できたらしく比較的綺麗な外観をしている。とはいえ、すっかり日の落ちた今ではそれを確認することもできない。


「意外に車が多いなぁ。」


 駐車場で空いたスペースを探しながら僕に言うでもなく呟く竹本の言葉に、僕は何一つ反応できなかった。


 気がつけば握りしめていた手のひらは、垂れるほどの汗で濡れている。なのに背筋が異常に寒い。

 口を開けば、タガが外れて塞き止められない涙が溢れそうになる。鼻の奥は山道の途中からずっと痛い。


「お、あそこに停めるか。」


 反応しない僕に興味がない竹本は、ゆっくりと左にハンドルを切った。

 ようやく見つけた駐車スペースは、斎場からもっとも遠い山沿いの角。


 竹本側から下りるのは容易だろうが、僕の側から下りるとなるとアスファルトではない山肌を少し踏まないといけないと思う。


 そんなことを冷静に考えられるのに、何故か身体はピクリとも動かなかった。


「ほら、行くぞ。」


 僕の方を見ることもなく言う竹本は、易々と車を下りた。僕もそれに習って下りようとドアに手を掛けかけて、しかし急いでその手を握って少しうずくまる。

 手が、自分でも引いてしまうほどに震えていたのだ。とてもドアを開けられそうにないほどに。


「瀬戸内?」

 

 竹本が訝しそうに運転席のドアを開けて、ようやく僕を見遣る。


「悪い。先にいっててくれないか。」


 僕はそう、告げたつもりだった。


 だが口から漏れたのはただの嗚咽で、戦慄わななく唇は何一つ言葉を紡げなかった。

 

 流れるだけの涙と鼻水が顔をしとどに濡らす。


「……鍵、置いておくから、落ち着いたら来いよ。」


 竹本は車の鍵を運転席に投げおくと、そのまま運転席のドアをバタンと閉めた。


「……うぅ、うぅ、曽我部、曽我部っ」


 曽我部の死を、ここまで来ても僕は、まだ認めることができないでいた。


     ※ ※ ※


 大学も三年次になると、希望する教授のゼミに所属することになった。僕は経済学が専門の渡辺教授のゼミ生となる。


 渡辺教授のゼミは構内でも一二を争う人気のゼミ。そのため講義も毎回大きめの講堂で行った。


 ただ渡辺教授はひどく神経質で、時間にとても厳しいことでも有名だった。

 

 講義が始まる前の着席は基本だし、始業のチャイムと同時に入り口の扉は閉められて、途中入室は許されない。


「こりゃ腕時計が必須だな。」

 

 そのため、僕は高校入学記念に昔祖母に買ってもらった緑色の腕時計をメンテナンスに出していた。




 その日、腕時計を取りに町へと出るバス停で僕は、たまたま曽我部を見かけた。


「おう曽我部、久しぶりだな。」


 僕は軽い気持ちで曽我部に声をかけ、僕の声に気がついた曽我部は一瞬驚いた顔をしたが、すぐさま破顔して「久しぶり」と言った。


「曽我部、どこ行くの?町?」

「そう。構内の売店が画材切らしてたからさ。それを買いにね。」


 画材、という言葉の響きに、改めて曽我部が自分とは違う分野を学んでいるのだと気付かされる。


「へえ。で、芸術学部はどう?」

「まあ楽しい、かな。毎日何かしらの製作には追われてるけどね。」

「うわ、それは面倒だなぁ。」

「経済学部もレポート提出とかあるんだろ?一緒だよ。」

「まあ、そうかもしれないけど。…曽我部は今何か作ってんの?」

「今は課題のデッサンしてる。」

「へぇ、面白そうじゃん。」


 すると曽我部は薄く笑って首をかしげた。


「どうかな。俺の専門は彫刻だから、デッサンはあんまりなぁ。まあ、彫る前にイメージを具現化するためには必要なことなんだけど、こう、木から浮かび上がるものを彫りたいからさ、デッサンやっててもあんまり見えてこないんだよね。」


 正直、曽我部が何を言っているのかわからなかった。わからないがわかったふりをして「へぇ」と笑うと、


「いや、瀬戸内、絶対わかってないよな。君は昔からウソが下手だな。」


 曽我部は屈託なく笑った。


「………」


 その顔はとても懐かしく、僕は少し気恥ずかしさを覚えて俯いた。

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