緑色の時計は時を告げない。

みーなつむたり

第1話


 昼過ぎ。

 営業に出ていた車の中でスマホが鳴ったが、ハンズフリーにしていなかったため、取れなかった。


 得意先回りが一段落した午後3時。


 休憩がてら見知らぬ町の公園近くの自販機で、コーヒーを買った。だがいつも買う銘柄がそこにはなくて、仕方なく微糖のコーヒーを買ったが、やはり口には合わなかった。


 一口二口、口にしながら僕はとぼとぼ歩いて公園のベンチに座る。


「おお、桜の木だ。」


 桜の季節の足音は聞こえていたが、なるほど蕾が膨らみかけている。


 そんな大きな桜の木の下のベンチで、僕はふと思い出してスマホを開いた。


 LINEのアイコンが、一件の未読通知を知らせる。


「……えっ」


 本当に、気持ちの準備が何一つ整ってはいなかった。


「…嘘だろ、」


 だから、驚きのあまり飲みかけていた缶コーヒーを落としてしまった。


 コーヒーの濃い茶色が、じわじわ広がって地面を腐らせていくように見える。それはまるで僕の驚愕が可視化されたようだった。


 僕は震える手で口を押さえ、堪えられない嗚咽を漏らす。



【昨夜、曽我部が交通事故で亡くなったそうだ。単身事故だったらしい。】


 高校から大学まで一緒だった友人、竹本からのメッセージ。


「曽我部がっ 嘘だろっ」


 僕は本当は、この深い悲しみの奥に潜む感情の名前を、生涯ずっと黙殺し続けて死ぬつもりだった。



     ※ ※ ※


 曽我部とは、地元の規模の小さな大学への入学時に知り合った。


 「瀬戸内」の名字の僕と、曽我部は名前が近くて、入学後のオリエンテーションなどではよく隣の席になった。

 

 曽我部は、縁の細い眼鏡では隠しきれないキツい目付きをしており、口数も少なかった。

 そのため僕も僕の周りの人間も、積極的に彼と関わろうとはしなかったため、曽我部はにわかに孤立していたのを、今でも覚えている。


 僕もあの時は、そんな曽我部に積極的に話しかけることはしなかった。




 僕らの通った大学は、一年次は共通学科であるため、専攻の違う人間とも学舎を共にした。

 だから、後に芸術学部に進んだ曽我部と経済学部に進んだ僕が隣の席になるという稀有な縁に繋がったわけだが。



 そんな曽我部と僕がはじめて言葉を交わしたのは、5月の初旬。


 その日、たまたま提出用のレポートを書き忘れたため、昼の空き時間、僕は一人空き教室に居た。


「…お?」


 そこへ、曽我部がコンビニの袋を下げて入室してきた。


 校舎の中の、たくさんある教室の中で、偶然同じ空き教室で顔を合わせた僕らは、お互いなぜか気まずそうに笑い合った。

 

「あ、俺、邪魔?邪魔ならよそで食うけど。」


 そして曽我部が眼鏡を上げながらそわそわしつつ言う。


「いや。構わないよ。竹本のレポート写してるだけだし。」


 僕も少し緊張したが、何事もない素振りで、いつもより若干大きめの声で言った。


「へぇ、なんのレポート?」


 すると曽我部はなぜか少し笑って僕に近づく。


「中国語。今日期限だって忘れててさ。」

「え!何それっ」


 同じ学科を選択していることが多かった僕らは、当然自由選択の第二外語学科も同じ中国語だった。


 珍しくあわあわ慌てる曽我部が可笑しくて、僕は思わず机に俯せて笑った。


「え、何がおかしいんだよ。ていうか、俺もそれ、写していい?」


 曽我部はキツい目付きのわりに、笑うと少し子供っぽい顔になる。


 僕にはそのギャップさえも可笑しくて、笑いすぎて、結局その時間では提出用のレポートが写しきれなかった。

 結果レポートは提出できず、課題を増やされ再提出となった。




 


 



 

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