5恥目 助けてください!

 4月の東京は桜が咲いている。薄いピンク色の花びらが舞うのを見ながらの花見なんて最高だろう。桜並木の下、人々が胸を期待と温かさでいっぱいにさせるこの道を、僕は砂埃を立てながら走っている。


「津島修治、つしま! しゅうじ!」


 迷惑な程大きな声を上げながら走る。もちろん周りは振り返る。「津島修治って人を知りませんか?」と息を切らして聞いても、知らないと引き気味に答えるだけ。その顔、経験済みなので傷つきませんけどね。


 ところがどっこい。服のおかげか、何人かは聞いたら応えてくれるようになった。そんな通行人が愛おしくなってくる。プラスの変化は僕の背中をぐんと押す。春の追い風、味方っぽいです!


「津島修治っていう東大生知りませんか?」

「ごめんなさい、わからないわ」


 ワンピースに真っ赤な唇のモダンガールは微笑んで返してくれる。


「あ、ありがとう! ありがとう……!」

 

 たとえ知らなくたって、「ありがとう」の言葉を何度も言いたくなってしまう。誰か1人に微笑んでもらっただけで、何もないと感じてしまう時代でも、なんとかやっていけると。根拠なんかないけれど、自信はあった。1人で頑張らないと。


 先生は仕事へ行った。そこで大学内で探したが、結局見つかりはせず。実は中学生か! なんて思い、吉次の中学について行ったが当たり前に居なかった。


 あちらこちらで津島修治を探し続けるほど太陽は高く昇る。


 こうして、履きなれないボロ下駄を指に引っかけるようにして走っているのだ。されど東京は広い。土地が広いのではない。人が沢山居るもんだから、全く見つからないという意味で。そう簡単に見つかるわけがない。地道に行こう。

 

 すれ違う人の服を見れば、この時代は和と洋の境目にいるようだ。さすが東京、平成も昭和もここはいつだって憧れの街なんだろう。夢を叶える最高のステージ。そう思って上京する者も決して少なくない。

 例えば今すれ違った田舎臭い女の子。慣れない化粧が「お母さんの借りました」と言わんばかりに不器用で、きっとあなたも夢を叶えに来たのね、と声をかけたくなる。

 だけど声はかけない。心の中で「頑張れよ」と、上から目線で励まし、満足して勝手に晴れた気持ちになる。春だもの。いいじゃないか。


 そんな夢見心地の春の日。半分は東京観光で終わった気もするが、今日くらいはいいだろう。ああ、また大きな夕日が沈み始める。で、結局は大学でも街でも、津島修治の姿を見る事はなかった。


 ――それから1週間、2週間、春は去り1ヶ月。あっという間に5月の後半になってしまった。

 梅雨が近づき、シトシトと降る雨にイライラしながらも今日もまた彼を探す。天候に関係なく、毎日欠かさずに日が昇ってから日が落ちるまで隈なく探し続けた。

 今日は特に酷い雨だ。ボロ笠でもないよりマシだが、それでも肩に雨がかかって服に浸みる。


「今日もおらんよー」

「また居ないのかぁ」

「あんたも懲りんねぇ」

「諦めが悪いんでね、ありがとう」


 毎日大声で大学生達に声をかけるもんだから、顔を合わせれば彼の在否を報告してくれるようになった。どうやら彼は暫く学校に来て居ないらしい。流行りの不登校か。さすがクセの強い男なだけある。

 何人かにシンパ活動に参加しているのを見たと言われたが、言葉の意味がわからず、とにかく集団を見つけたら飛び込んで、1人1人の顔を見て回る。それでもいないじゃないか。


 挫けそうになる心と、追い討ちをかける雨の冷たさ。春の追い風を感じた一月前の自分が羨ましかった。ぶっちゃけ、地道とは言っても、内心ではすぐに見つかると思ってた。

 ムラサキケマンをまた意識するようになれば、きっとあの時のように見つけられるなんて思っていた。僕の考えは本当に浅はかだった。


 毎日毎日、あの男を探すだけの日々。平成に帰るためには仕方がないと思っても、これだけ見つからないと嫌気がさす。全てが憎たらしくて嫌だ。この傘もぶん投げたい。いや、しないけど。僕は大人だからね。

 今日は本当にやる気もない。金もない。諦めモードに入ったことだし、あと1人に声をかけたら帰ろう。先生と吉次が待つ部屋に帰って、別な探し方を考えよう、そうしよう。


 水溜りを避けつつ、次すれ違う男性に聞いたら終わりにしようと決めて、狙いを定めた。傘が当たらない様に、少し右に傾け、近づいていく。


「あの、津島修治という男を知りませんか」

「……」



 せっかく立ち止まって聞いたのに無反応。しかし向こうも立ち止まり、僕の傘を覗き込んでくる。


「またあんたか」

「あ!」


 思わず声が出る。もし入歯を入れていたら、入歯も出ていただろう。スパーンと飛んでいくに違いない。そのくらい驚いたのだ。覗き込んだ顔はまさしくあの顔。


「つ、津島修治!」


 そこらの大学生より背が高く、本で何度も見かけたこの顔。やっと出会えたのだ!大抵の努力は報われる。確信した。

 この男の助けになれば、僕は平成に帰ることが出来る。なかなか捕まらない男なのだ、さっさと事情を説明して、首を立てに降らせよう。


「わた……じゃなかった! 僕、未来から来た、生出要です! あなたの助けになりにきました!」


 傘はぶん投げた。身振り手振り、とにかくバタバタ。しかし、説明は簡単でわかりやすい。必死にアピールしたのだから伝わったはずだ。伝たわれ! 小説家なら伝われ!


「そういうこと本当にあるんだ、いいよ」とか言って、お茶目にオッケーサインを手で作って了承してくれ!


「馬鹿馬鹿しい」


 溜め息! 冷めた目! そうなりますよね!


「ああ、ちょっと待って! 嘘じゃないんです、本当に、未来から来て……あなたの助けにならないと帰れないんですよ! 助けて!」

「……」


 どれだけ説得しても、やはり先に行こうとする。お願いだ、僕にはあなたしかいない。こんなに切羽詰まった状態にあるのに、5分、10分説得しても、半ば無視で聞いてくれやしなかった。


 冷ややかな目をして終わり。しかしその目は、僕に対して向けられたものだけではない気がした。不思議なオーラを放っている気がする。負の感情より強い負の感情。


 死を纏っている――いや、考え過ぎか。


 口でいくら説得してもダメだった。土砂降りの東京の空の下、真っ直ぐ道を歩いて行く津島修治の後をこっそり付いて行く事にした。


 こんな雨でも下駄はカラカラ、うるさくて仕方がない。気づかれたら逃げられそうなので、下駄をそっと脱いで、泥濘んだ道を只ひたすらに付いて行く。

 それからどれくらい歩いたかはわからない。ただ、とにかく泥だらけでぐしゃぐしゃになった服が夢中で歩いて来た事を証明していた。


 とある建物に入って行く津島修治を無言で見送り、建物の名前と住所を確認。袴に詰めておいた巾着から、先生からもらった紙とペンに「府下戸塚町諏訪、学生下宿常盤館」と書き記した。

 なんて読むかはわからないけど、多分学生寮みたいなもんだろうか。さてはて下宿先か。違いはわからなかったが、住居がわかればこっちのもんだ。


「見てろよ、津島修治!」


 こんな事で挫けてはいけない。さあ、今からがスタート。来た道をダッシュで戻りながら、僕はニヤニヤと勝ち誇った気持ちでいた。



 翌朝。日が昇り始める頃には昨日の下宿先に居た。この玄関で津島修治を待てばいいのだ。そうすれば必ず、シンパ活動とやらに行く時は僕と顔を合わせる。毎日通えば必ず「わかった」と、言うに違いない。


 違い、ない――。


「おい、もう昼だぞぉ」


 全く出て来やしない。不登校万歳! 入学した年の5月で不登校ってどうなんだ。しっかりしろ帝大生。何やってんだ帝大生。おフランス文学科一年の大学生! ずっと待ってる身にもなれ! 勝手に待っているだけなんだけどね、それから何時間待てど待てど出て来やしない。


 やっと戸を開ける音がして、奴が出てきたのはすっかり日が落ちる頃だ。もう学校終わってますけど。


「うわ、あんたか」

「朝からずっと待ってました。どこに行くんです? お供しますよ!」

「ついて来るな」


 随分邪険に扱われたが、めげない。まだ始まったばかりなのだ。ストーカーばりに付き纏い、ヘコヘコしながら未来へ帰るために助けを乞う。毎日かかさずにやった。


「修治さーん!」


 シンパ活動という、政治運動にも付き添った。もちろん相手にはされない。


「修治さんって呼びにくいんで、しゅーさんって呼びますね」


 飲み屋にもついて行った。金も払わずに入り浸り、お家までついていく。もちろん相手にはされない。


「しゅーさん学校は? 単位ヤバイんじゃ?」

「うるさい」


 おお! 今日は返事を返してもらった。しかし大学へ行くように促したら、大変ウザがられた。


「お前、本当にしつこいぞ! この“あまくせ“!」


 それを毎日欠かさずにやられたしゅーさんは、ある日、酷く爆発した。

 6月の半ばだろうか。いつも通り玄関の前で後の人気作家の出待ちをしていると、“しゅーさん“はトランクケースを持って、余所行きの着物を着て出て来た。


「どこへ」と、行き先を訪ねる前に、随分カッカした様子で僕に詰め寄ってくる。


「そんなに話を聞いて欲しくば、100円持ってこい!」


 そう言って小走りに駆けて行った。どうも様子がおかしいが、とにかく金を持ってくれば話は聞いてもらえる。100円なんてきっとすぐに貯まるだろうと思ったが、職がない事に今更気づいた。


 学校に行け行けと促す私もまた無職。しゅーさんにアレコレ言う立場になかった。しかし、思ったより優しい人じゃないか。僕にピンチなチャンスを与えてくれた。


「就活、するか!」


 100円貯めて、しゅーさんにまた会いくる。スタートはゴールして、ゴールしたとたん、また次のスタートを持ってくる。

 

 僕は馬鹿だから、またこの時代を甘く見て居た。平成よりもずっとずっと大変なこの時代を、舐め切っていた。


 さて、1930年の百円の価値、いくらになるのでしょう?

                  

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