第22話 探し人

 零や紫苑たちが、そんなことをしている半刻程前。

 零に渡された紙の通りに歩いて辿り着いた愛宕神社の前で、一葉、双実、睦樹の三人はそれぞれに神妙な面持ちをしていた。


「ここで、合ってるよね?」


 一葉の何気ない問いに、皆が同じ思いを抱いていた。

 目の前の神社はとても小さく古びて、風でも吹いたら飛んでいってしまいそうな程にオンボロだ。

 場所も辺鄙と言えばその通りで、普通神社は村や町中、往来など人の行きかいのある場所に在るものだ。

 だが、この愛宕神社は山林奥の、全く人気のない場所に存在していた。


「まぁ、隠れるには、うってつけって感じだけど」


 長い時の中で、村や人が遠ざかり神社だけが取り残される場合もなくはない。

 これだけ歴史の深そうな神社なら珍しくはないことだ。

 だから今、双実が警戒しているのは、それではなかった。


「これは誰の気だろうね」


 神社の境内を囲うように大きく張られている結界。

 これは紛れもなく妖鬼のものだ。

 それは、神社の前に並び立つ少年の妖気に、とても近い。


(僕はこの妖気を、知ってる)


 知っている、程度ではない。

 とても近しく、とても大切で、とても大好きな……。

 どうしてか流れそうになる涙を堪えながら、睦樹は実体のない心の奥の思いを懸命に探す。

 そんな睦樹を、一葉と双実がちらりと覗く。

 睦樹は神社の崩れそうな鳥居をじっと見詰めるばかりで、何も言わない。

 その表情があまりにも不安定で、二人は顔を見合わせた。


「兎に角、中に入るわよ」


 強引に睦樹の襟首を掴んで双実が睦樹を引きずり歩き出した。


「うわっ! ちょっと待って、自分で歩ける!」


 突然の無遠慮な行為に、睦樹が前のめりになり、鳥居をくぐった。


「!」


 途端、結界が弾けて消え失せたのを感じ、一葉と双実が辺りを素早く確認する。

 周囲には何の気配もない。


「これって一体、何なわけ」


 苛立ちと不安の混じった双実の声を聞きながら、睦樹は双実とは違う不安を覚えていた。


「そんなところに立っていないで、どうぞ中へ」


 社の方から飛んできた突然の声に三人が振り返る。 

 そこには随分と年老いた宮司が一人、にこりとして立っていた。

 三人は顔を見合わせ頷くと、宮司が案内するに従い、社の裏へと入って行った。


「随分辺鄙な所で驚いたでしょう。これでも昔は周りに沢山村がありましてねぇ。大きな街道もあって人も多かったのですが、気が付いたら木ばかりが増えていましたよ」


 社の後ろにあるという奥の間へと歩きながら、宮司が話し出す。


「昔はって、いつの話よ」


 双実の問いに、にこりと微笑んで、宮司はまた話しを続ける。


「こんな場所にね、一人の青年が訪ねてきましてねぇ。人を匿ってほしいと言う。これも神の御導きかと思いましてねぇ、お引き受けすることにしたのですよ」


 一つの襖の前で、宮司は足を止めた。


「貴方方が来なさる事は聞き及んでおりましたから、中へお入りください。匿っている二人にも、ちゃんとお話ししてありますから、どうぞごゆっくり」


 襖を開き三人を中へ通すと、宮司はすぅっと襖を閉めた。


「! あんたたちは……」


 男が身構えて、後ろに横たわる女を庇うように片膝を上げる。

 布団に寝かされている女は腕や顔に包帯を巻かれ、痛々しい姿をしていた。


「貴方が、伊作?」


 他意なく問う一葉の言葉に、男は少しだけ緊張を解き頷いた。


「あんたたちが、あやし亭、とかいう人たちか」

「うん、そう」


 先程と同じ声音で返事した一葉は、不思議そうな顔をする。


「そうだけど、変だね。伊作はまだ甚八と会えていない筈だよね。だったら俺たちのことを伝えたのは、一体誰だろう?」


 小首を傾げる一葉の顔は、いつもと変わらない。

 しかし、纏う気が明らかに違っていた。

 いつもとは比べ物にならない殺気を孕んでいたのだ。


「一葉、早まらないで」


 くい、と双実に腕を引かれ、一葉は双実を振り返る。

 じっと見上げられて、一葉は、にこりと笑みを作った。


「わかってる」


 すっと殺気を仕舞いこみ、伊作に向き合う。


「ねぇ伊作、ここに身を隠すように手配してくれたのは、誰?」


 いつもなら双実の後手に回る一葉が話を進めていく姿を、睦樹は二人の後ろから眺める。

 違和感とも違う、いつもと何かが違っている一葉と、それに怯えるような双実の姿を。

 一葉の質問に、伊作は躊躇いながら答えた。


「真っ白い髪をした青年だ。名は聞かなかったが、俺達の味方だと言っていた。あやし亭がここに来ると言ったのも彼だ。彼は確かに俺達を助けてくれた」


 後ろで横たわる女人をちらりと見やり、伊作は苦悶に顔を歪める。


「俺のせいで大火傷を負った松の、妻の介抱もしてくれた。お陰で松は、今もまだ息をしている」


 絞り出すような伊作の言葉を聞いて、一葉より早く双実が口を開いた。


「この居場所を教えてくれたのは古い知り合いだって零が言っていたじゃない。そいつのことよ、きっと」


 縋るように腕を引く双実に、一葉は振り返ることなく頷く。


「そうだね。そいつは確かに伊作の味方なんだろうね。あの結界もきっとそいつのものだ。けどそれが、あやし亭の味方だって保証は、どこにもないよ」


 声は淡々と、いつもの一葉と変わらない。

 収めようとしても溢れてしまう殺気以外は。

 きっとそれは一葉にとって何より大事なことだから、なのだろう。

 理由はわからないが、睦樹はそう感じた。

 だから、言った。


「一葉、双実、大丈夫だ」


 それまで何も言わず後ろでやり取りを眺めていた睦樹の声に、皆の視線が集中する。


「あの結界は、鳥天狗の妖気だ。けど、巌のものじゃない。僕はあの気を、良く知っているんだと思う」


 声が震えているのに気が付いて、双実が心配そうな顔をする。


「思うって……」

「もしかして睦樹、何か、思い出した?」


 睦樹はゆっくりと首を横に振った。

 二人の問いに答える明確な答えは、まだない。けれど。


「まだよく思い出せない。でも、白い髪の鳥天狗を、僕はきっとよく知ってる。だから絶対に、大丈夫だ」


 胸の奥から熱い思いと切なくて痛い思いが同時に溢れて視界が歪む。

 苦しいのにどこか暖かくてでも辛くて、この感情をどう受け止めればいいのか、わからない。

 それ以上のことが説明できず、目線はどんどん下がっていく。

 耐えきれずに、ぽたりと一滴、涙が落ちた。

 雫は、力を込めすぎて震える睦樹の拳をふわりと握った一葉の手の上に、落ちた。


「わかった。睦樹の言葉を、信じるよ」


 不意に上げた目に飛び込んできた顔は、睦樹の知っている、いつもの一葉だ。

 先程の殺気はすっかり消えて、一葉が穏やかに微笑みかける。

 一瞬、一葉の微笑が誰かと重なり、睦樹は目を見開いた。


『……ば』


 いつも傍に居てくれた大好きな誰かが、自分の名を呼ぶ。


「み……」


 無意識に何かを呟きそうになった時、遠くから大きな妖鬼が飛んでくる気配がした。


「!」


 双実が先に気が付いて障子戸を開けようと手を掛けたが、遅かった。

 ばりばりばりっ、と豪快な音を立てて障子戸が派手にへし折れ吹き飛ぶ。


「いったた、こりゃぁ着地失敗だなぁ」


 土煙がすぅっと引いて、大男が姿を現す。

 二人の人間を背に乗せた大柄な鬼が、抉れてぼろぼろの畳の上に膝を付いていた。


「……零?」


 状況が飲み込めず戸惑う睦樹の隣で、双実が金切り声を上げた。


「普通に庭に着地すれば済む話でしょ?! どうして障子突き破って部屋に入ってくるわけ?!」

「そんなのはだってよぉ、面倒じゃぁねぇか。どうせ部屋に上がるんだからよ」


 いつのも調子で当たり前のように言う零を眺めて、一葉が笑う。


「零って本当に、面倒臭がりだよね」


 爽やかに笑いながらも、一葉はその姿を妖狐に戻し、後ろにしっかりと伊作と松を庇っていた。


「大丈夫? 怪我してない?」


 銀糸の毛並を靡かせる大きな狐が先程の青年と同じ声で話す姿に、伊作の強張る肩がぶるりと震えた。


「あんたたちは、一体、なんなんだ」


 怯える声に、零が振り返る。


「俺たちか? 俺たちは萬事処あやし亭。お江戸の何でも屋だ」


 背中に乗せた二人の男をひょいと降ろす。それを見て、伊作の表情が固まった。


「ほれ、甚八さん。あんたの探し人は見つかったぜ」


 零の声も届かない様子で、甚八は伊作を凝視しながら駆け寄った。


「伊作……伊作! お前ぇ……。お松さんは何でそんな大怪我してんだ、お前ぇは何でこんな所にこそこそと隠れてんだ!」


 胸座を掴み怒鳴る声には悲愴が混じる。

 歯を食いしばりながら甚八の腕にされるがままに身を投げ出す伊作は、項垂れた。


「すまねぇ、甚八。本当に、すまねぇ……」


 小さく消え入りそうな声には後悔の念が、ありありと滲んでいる。

 それに気が付いて抜けそうになる手の力を、甚八は必死の思いで奮い立たせ、掴んだ胸座をぐっと引き寄せた。

 が、怒りに満ちた目をぎゅっと瞑ると、掴み上げた手の力をすっと抜いた。


「教えてくれ、お前ぇが何をしたのか。あの日、何があったのか」


 昂る感情を抑え静かに言いながら甚八は、伊作の前に座り込む。

 甚八の真摯な態度に、伊作はいたたまれずにまた深く項垂れた。


「ほんの少し、只、小さなきっかけになればと、そう考えただけ、だったんだ」


 ぽつりぽつりと伊作は、あの火事の日の事を話し始めた。

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