第3話 一葉と双実

 それから睦樹は零が隠れ家といった『あやし亭』で養生していた。とは言っても、怪我が酷く身動きが取れないので同じ部屋の布団で寝ているだけなのだが。

 凜という医者が数日で治るだろうと言っていた怪我は、次の日にはかなり回復していた。一番酷かった左足と羽が動かせるようになれば全快だ。


(凜さんは、凄い医者なんだなぁ)


 鳥天狗も草木学や医術に長けた種族だが、他にもそういう妖がいるのだと初めて知った。睦樹はまだ父親から医術を学び始めたばかりだ。それほど詳しくはない。


(もっと勉強すれば、僕だって……)


 などと考えていたら、焼け野原になる前の鳥天狗の里のことが思い出された。

 睦樹の一族が住んでいた森は、江戸中心地よりやや北西に位置する里山だ。それ程の規模ではないが、江戸に幕府が敷かれるより遙か昔からここにあり、鳥天狗の一族が住んでいた。

 しばらくして里山の隣に村が出来、人が住むようになった。そこの村人たちは生い茂る里山を『護りの森』と呼び大事にしていた。森の恵みを採取するときは中心部にある祠に御神酒を備え、手を合わせる。

 それに礼をするように、鳥天狗は季節ごとに里山に法をかけ恵みが絶えぬように護った。

 森の南側を流れる小川は澄み渡り、それは村人にとっても飲料水や田畑を維持する為に大いに役立った。

 そういった共存が続いたことにより、人々は祠を『森塚』と呼ぶようになり、森塚より奥を『神域』として神聖視し、紙垂を張って無暗に踏み込むことをしなかった。

 やがて人の統治が進むと村は荘園だの御天領だのと呼ばれるようになったが、村人たちと鳥天狗の関係は変わらず、住み分けと共存が出来ていたのである。


 その均衡が崩れ始めたのは、つい最近のことだ。

 里山の裾野を添うように流れる唯一の小川は昔から砂金が取れた。村人はそれを知っていたが、やはり恵みとして他の実りと同じように取りすぎることはない。

 だがある時、村の外の人間が小川の砂金を偶然見つけて搾取するようになった。余所者が無遠慮に入り込んだ小川は水が濁り、踏み荒らされた森からは四季の実りが減った。

 より多くの砂金を求めて上流へ行こうと神域を犯す者が現れ始め、鳥天狗が妖力を持って追い返しても侵入者が無くなることはない。

 すると森を守ろうとする村人と侵入者の諍いが増え、森の中はどんどん物騒になった。やがて森に入る村人が減り、祠に手を合わせる人も御神酒を備えてくれることも減った。

 人々の祈りや敬拝が鳥天狗たちに与えていた力が減弱し、森を守るための結界も緩んで、状況は刻々と悪化していったのである。


(そうだ、だから父様は……)


 鳥天狗の仲間の中にも、住みづらくなった森を出ようとする者が現れ、一族の長である父はこの状況を一族一丸となって打開すべく仲間を説得していたのだ。


 鳥天狗は日ノ本に在る妖の中でも種が古く、今は数も少ない。鴉天狗からすてんぐなどと比べると個体としては小さいが、その妖力は劣ることはない。むしろ本草や薬術などに関する知識は天狗族の中でも群を抜いていた。


 中でも最も称賛されたのは、その羽である。

 青黒く艶光る羽の美しさは知るものぞ知る逸品で、一枚でも欲しがるものがいる程だ。鳥天狗の羽には護りの力があるので、それも希少とされていた。

 そんな歴史深い一族である自分に、睦樹は誇りを持っていた。


(だからこそ父様は、一族を守りたかったんだ。それなのに……)


 突然、ずきん、と頭の奥が痛くなった。

 それ以上のことを思い出そうとすると頭痛はさらに酷くなり、頭の中がぼんやりとして終いには真っ白になる。


(僕が本当の名を、思い出せないから……なのか?)


 零の言う『大事なもの』を取り戻せば、名前を思い出せるのだろうか。それとも名を思い出せば、大事なものも取り戻せるのだろうか。

 自分の無くした大事なものは、名前だけなのか、他にもあるのかないのか…。

 考えれば考えるほど訳がわからなくなって、胸のうちのもやもやだけが大きくなっていく。

 もやもやは段々と怒りに変わって、睦樹は布団を蹴飛ばして起き上がった。


「あー! もう嫌だ!」

「朝から五月蠅い」


 内側に堪った鬱憤を吐き出したくて叫んだ。

 すっと部屋の襖が開き、盆を持った女子が立っていた。


「あ……。双実、さん」


 思わず眉間に皺が寄った。

 幼さを残した少女のような見目の双実ふたみは、可愛い顔に似合わない冷めた表情で睦樹を眺めると、盆を布団の脇にとん、と置いた。


「これ、朝餉」


 盆の上には握り飯と沢庵と、熱々の味噌汁が乗っている。

 飯が視界に入った途端、睦樹の腹の虫がきゅるきゅると鳴き始めた。


「あ!」


 恥ずかしさに真っ赤になる睦樹には全く興味の無い顔で、双実が促す。


「冷めないうちに食べれば」

「……いただきます」


 双実の態度にイラっとするが、食欲には勝てない。

 がつがつと朝餉にがっつく睦樹の隣で静かに座っている双実は、あやし亭の一員だ。彼女は猫股で、睦樹と同じように零に拾われてここに来たらしい。

 ちらっと双実を気にする睦樹の視線は完全に無視したまま、ぼそりと言う。


「頬にご飯粒、付いているけど」


 慌てて米粒を探す睦樹には視線を合わせない、しかし。


「あんたが鳥天狗一族の長の息子って、本当なの? それにしちゃ、随分と仕草に品が無いけれど」


 ムッとして、食べる手が止まる。

 双実は初めから無表情で言葉数の少ない感じだが一度口を開くと、常にこうである。


『こんなチビガキ拾ってきても、うちの役に立ちそうもないわね。羽根を売ったら多少の足しにはなるかもしれないけど、こんなにボロボロじゃ高値も付きそうにないし』


 最初の挨拶からこんな調子だったので、初対面から印象は最悪だ。


「だから僕は……」


 むっとして言い返そうとすると、機を見計らったように、もう一人が姿を現した。


「あー、双実がまた新入りを、いじめてる」


 からっと笑いながら部屋に入ってきたのは、白銀の髪をした青年だ。


「いじめてなんか、いないわよ」


 ふいっと顔を逸らしてしまった双実に、彼はふふっと笑いかけた。


「それもそうだね。双実は誰にでも、いつもこんな感じだもんね。今日も相変わらずだね」

「そうね。あんたの白髪頭も、いつも通りで絶好調よね」

「うん、自慢の銀髪。尻尾と同じで今日も艶々だよ」


 にこにこしながら嫌味をあっさり躱す青年に、双実は顔を曇らせた。


「一葉は今日も相変わらず、違う意味で遣りづらい」

「そう? 俺は双実と話すの、楽しいけど」


 疲れた顔で溜息を吐く双実の隣に座った青年・一葉いろはは、くりっと睦樹に向き合った。


「朝餉どうだった? 今朝の味噌汁作ったの、俺なんだ」


 にっこりと話しかけられて、睦樹は思わず頷いた。


「美味しかった、凄く」

「そっか、良かった。睦樹も怪我が治ったら料理当番、よろしくね」

「わかった……」


 無垢な笑顔にすっかり毒気を抜かれてしまい、睦樹は素直に頷いた。

 この一葉という青年は妖狐で、人の姿の時はいわゆる普通の男姿だが、一度妖狐の姿になると、それはそれは美しい銀の毛並をしているのだそうだ。かの有名な玉藻前の血縁らしいが、詳しいことはよくわからない。

 それは一葉に限ったことではなく、双実も他の面子についてもそうだ。

 睦樹がここに来てまだ日が浅いというのが一番の理由だが、零曰く、「本人が話す範囲で聞いとけ」ということらしい。


『お前にだって、聞かれたくねぇことくらいあんだろ。誰だって同じだ』


 確かに、そういった事情に深く触れるのは不躾だと思う。

 それに睦樹はそもそも、あやし亭に長居するつもりがない。各人の事情など、差し障りない範囲で知れれば十分なので深入りする気など端からないのだ。


「そうだ。睦樹、怪我の調子はどう?」


 食べ終えた朝餉の盆を下げながら、一葉が睦樹を覗き込んだ。


「だいぶ良い。もう歩けると思う」


 それを聞いて、一葉はにっこりと笑いかけた。


「良かった。それじゃ今日は、店の中を案内しながらあやし亭の紹介をするから、着替えて準備をしておいてね」

「ん? ……店?」


 眉を寄せて解せない顔をする睦樹に、一葉は不思議な顔をする。


「あれ? もしかして零に聞いてない? あやし亭って、お店なんだよ」

「何にも聞いてない」


 一葉の隣で、双実が壮大な溜息を吐いた。


「零も相変わらず適当よね。面倒なことは全部こっちに投げっぱなしなんだから」


 苛立ちを隠さない双実を、一葉は変わらぬ表情でいなす。


「いつものことじゃない。双実だって参太と五浦に丸投げする気でしょ?」

「当ったり前でしょ! 看病してやったんだから説明くらい、あの二人にやらせるわよ」


 ぷりぷりする双実に見つからないようにこっそりと、一葉は睦樹に耳打ちした。


「あれは、自分は看病の方が得意で、参太は説明が得意だから任せる、って意味だよ」


 睦樹が感心したように頷くと、一葉は双実のじっとりした視線をすり抜けて部屋を去ってしまった。

 残された双実も、のっそりと立ち上がる。

 部屋を出る手前で振り返り、睦樹をじいっと見詰めた。


「な、なんだよ……」

「何でもないけど。ああ見えてあの子、馬鹿じゃないから気をつけなさいよ。悪い意味じゃなくて、だけど」


 言うだけ言って双実も部屋を出て言ってしまったので、聞き返すことが出来なかった。

 言葉の意味が理解できずに、しかし少しだけわかるような気にもなって、睦樹はまた混乱する頭を抱えていた。

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