千代と千歳

寵愛の代価(アンソロジー『破戒』Breaking Knox参加作品)

*ノックスの十戒を一つ破るという趣旨の「アンソロジー『破戒』Breaking Knox」参加作品をWEB再録したものです。

性犯罪被害者の話題が出ますのでご注意ください。(直接的描写はありません)

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 二拝二拍手一拝。手水舎も鈴も存在しない小さなやしろの前で挨拶をすませた千代ちよは、いそいそとカメラを取り出した。

「中々いい絵がとれそうな場所だね。これなら期待に応えてくださるだろう!」

「足下、気を付けてくださいよ」

 千歳ちとせがやや呆れ半分諦め十分に声を掛ける。当然、その言葉が届く期待はしていない。濡れた落ち葉に彼女が足を滑らせないよう気を配ることが千歳に出来る唯一だからだ。それと、彼女の話を聞くことくらいか。

「社と鳥居があるけれど、ここはさっきのお寺とは管轄が違うんだ。あっちはしら葉々ははでらで天候とかと縁があるって話だけれど、ここは何の神様なのかわからない。白蛇様の話は寺も神社も話題になるけど、どちらがどうってわけじゃないのがちょっとややこしいかな。白蛇様はあくまで神様じゃないってスタンスなんだ。昔からこの土地にあるものだから、簡単な文献はデータで貰ったよ。地域の人が氏子として代々場所の管理と祭事を行っている、私が好きなタイプだね」

 石碑も何もない場所なのに流暢に語る千代は、社の前にある小皿とコップをわざわざアップでカメラに収めた。そしてカメラを背中側へ回すように放ると、コップの縁に指を滑らせる。供え物ではあるが祭壇に置かれるものと違い無造作なので、千代の所作は気安い様子でもあった。

「ほら、見てごらん千歳君。これはいいよ」

 楽しそうな千代の声音に、千歳は社と千代を見比べた。社は千代より大きいが千歳よりも小さい、高さは一六〇センチ程度と思われるもの。幅は千代と千歳が並ぶにはやや狭く、目の前に置かれた供え物を雨風から守るには足りない。人が並んで見るような場所ではないと言えるだろう。

 それでも二歩ほど近づいて千代の隣に並ぶと、千歳は千代の示すコップを覗き見た。特別な装飾など何もない透明のシンプルなグラスは、量販店などでよく見かけるものだろう。

「上の縁に少し黒い汚れがこびりついている。昨日の雨が溜まっているけど、普段は入れ替えているんだろうね。小皿の中身が何だったのか残念ながらわからないけれど、無難なのは米か塩。何日置きかは不明だけど、定期的に誰か来ている証拠だ。センセイの言っていたことは確かだね」

 千代の目は、爛々と煌めいている。ぎらついていると揶揄されることのある小さな目は、相変わらず千歳よりも多くのものを拾い上げ、千代自身を楽しませるのだろう。確信めいた言葉に水を差すつもりはなく、千歳は思考を促すように口を開いた。

「何日置き、というのは確定ですか」

「おそらくね。もう十一時だというのに、コップも小皿も水が入ったままだろう? 夕方や夜といった可能性も確かにあるが、先ほど通った道路は通学路だ。夕方は人通りが多くこういった場所に参るには躊躇うものがあるだろうし、見ての通り木々が生い茂り夜は少々危なすぎる。朝が無難だ。だから、参拝者に異常がなければ何日置き、くらいだと思う」

 つらつらと並ぶ言葉に千歳は軽い首肯で相づちを示すが、千代は千歳の様子を気にしていないようだった。コップを持ち上げ地面に雨水を捨てると、そのまま近くの蛇口に向かう。

「カメラ、持ちますよ」

「ああ、有り難う」

 首の後ろに背負うように回したとはいえ屈めばまた前に戻りかねない。千代の礼を合図に千歳はカメラとベルトに手をやると、千代に触れないよう気を配りながら動かす。千代はその気遣いを気にする様子もなく歩くので側頭部に少し触ってしまったが、お互い気にする様子はなく最終的に千歳の手にカメラが収まった。

 千歳がベルトを右手に巻くようにして短く手に持つのと千代が蛇口をひねるのは丁度同じくらいで、太い水がコップを叩く。

「千代さん」

「だいじょーぶ、だいじょうぶ」

 名を呼ばれた千代は軽い調子で返し、蛇口を逆にひねり直した。細くなった水がコップに溜まると水を止め、千代は眼前に掲げた。

「ほら、やっぱり綺麗だ。雨水はあくまで雨水、水の腐った汚れじゃ無い。縁の黒は少しで、これはコップをある程度使って癖になってるんだ。コップ自体を洗剤で洗う機会はなくて水の入れ替えで済んでいる証拠。底に汚れがこびりついたら洗う必要あるだろうし、センセイが言うように頻繁な参拝者だ。今度こそ本物かな!」

 千代が頬を紅潮させ楽しげに笑うのを見、千歳は息を吐いた。苦笑を含んだそれが言葉になることは無く、千歳は片手でカメラを持つと左手でハンカチを取り出す。

「気を付けてくださいよ、腕まで濡れているじゃないですか」

「すまない。勢い余ってしまった」

 からりと笑った千代はハンカチをまだ受け取らず、手の中のコップを逆さまにした。そうして空になったコップに、今度は細い水のまま代わりの水を溜める。

「勝手に失礼しました神様、っと。千歳君、ハンカチありがと。借りるね」

「冷えるようでしたら旅館に戻りましょうね」

「うんうん大丈夫だよ」

 社の前に水を置き直した千代の無責任な大丈夫に、はあ、と今度は微苦笑を含まないため息をついて千歳は肩を落とした。千代の大雑把さはいつものことで千歳も重々承知なのだが、健康に関わることは流石に気になる。初夏ではあるが、今年は例年より随分冷え込んでいるのだ。

「どーもお借りしました」

「調子が悪くなりそうでしたら戻りますよ」

「さっきの今で早々ないさ、心配有り難う千歳君」

 千代の笑顔に千歳は息を吐いた。今度の呼気は了承を含んだ物だったので千代は千歳の背を叩き笑う。

「ま、この場所だけなら時間はかからないと思うし心配はこれで仕舞いとしてくれ。だいぶ小さいしね、調べられる箇所は少ないさ。乾かなそうだったらセンセイのとこに行く前に宿で着替えるよ」

「そうしてください」

 神妙に頷いた千歳に千代は笑い声を上げると、社の周囲をぐるりと見渡した。連日の雨で葉が落ちているものの、青々と茂った葉が空を覆ってしまう為陽が昇ってもどこかほの暗い場所だ。

 人影は少なく、階段は土を削り木をはめ込んで整えただけなので登りにくい。そのくせ登り口は通学路に面しているので、住民が存在を忘れるような場所とまではいかないだろう、というのが社の印象だ。階段の下に注連縄などはなく、あるのは社の鳥居程度。通学路の反対、奥側は森で、その先暫くすると寺の管轄であるお堂がある。寺側からこちらに繋がる道は木々が生い茂るのと所々急斜があるのか見通しが悪く、こちらはぽかりと浮いているようだ。暫くすると、と言ったが見通しの悪さから寺のお堂と社に繋がりは感じられない。地図で見る分にはショートカット出来そうに思えても、実際に寺から社に向かうなら通学路側を登ってきた方が安全と言える程度の暗がりがそこにある。かといって、通学路側は前述の通り登るに向かない道。人の生活に繋がる割にやけに独特な位置にある、というのが千歳から見た印象だ。

 そして、そんな場所にもかかわらず、供え物がある。千代の期待を叶えるかどうかは別として、話にあった通り叶った人間がいるだろうことは確かだ。願いを叶える社。何の神様かわからないにも関わらず、蛇が憂いを食べるという話がここ最近流れていると聞いた場所。

「千歳君、カメラ有り難う」

「何か手伝いますか?」

 千代の言葉でカメラを差し出し、千歳が尋ねた。大丈夫、と答えた千代は、社自体をぐるりと回りながらシャッターを切る。それから、社からみた周囲の写真、地面、先ほど使った水道。動き回る千代の邪魔にならないように動きながら、千歳は千代を眺めていた。

 故に、気づくのが遅れた。

「こんにちは」

 唐突に響いた声に咄嗟に振り向くと、千歳は千代と声の主の間に立った。千代のシャッター音が止まる。声の主は穏やかに笑っている、ように見えた。

「観光の方ですか? 珍しいですね」

 声をかけてきたのは二十代前半ほどに見える若い男だ。千代の癖っ毛とは反対にさらりとした髪は明るい唐茶色。ノリのきいた白いシャツは第一ボタンを外しており、細い銀のチェーンが隙間から覗いている。観光の方と聞いているということは地元の人間なのだろうが、やけに小綺麗な様子はこの場所では浮いて見えた。

 いや、小綺麗さだけが浮いて見える原因ではないが。白いシャツに白いスラックス、それだけでなく靴も白い。中々この白尽くしはお目に掛かる機会が無く、千歳はやや怯んだ。男が来たのは寺側に繋がる森だ。どう見ても人が通るに適さない場所なのに、目立った汚れが見当たらない。故に、白が奇妙な違和となる。

「こんにちは。貴方は地元の人かな?」

 千代が千歳の腕を引き、代わりに前に出る。ぎょっとした千歳が引かれた腕に力を入れると、千代の左手が宥めるように二度触れ、離れた。

「地元、と言えば地元かな? 観光でないのは確かです」

 穏やかに男が笑む。その瞳は葉の上で揺らぐ水滴を思わせるような柔らかい楕円を作っており、どこか甘い。千歳が千代の側に寄る。男は再度、口を開いた。

「何をしにきたんでしょうか?」

「先ほど貴方が言っただろう? 観光だよ」

 男の言葉に、千代はあっさりと答えた。元々目尻がやや高くにある千代の目は、笑うと狐面を思わせるような形を作る。きゅっと細まった瞳とつり上がった口角は、男の穏やかさとは対照的だ。

 しかし男は態度を変えることはなく、首だけほんの少し傾げた。水滴が光の反射で色を変えるように、表情の意味が何か変わったように見え――しかし、瞳は水滴でないからこそそれは錯覚でしかなかった。少なくとも千歳には何が変わって見えたのかわからずに終わった。

「遊び半分はやめた方がいいですよ」

「ああ、そこは十分注意しているよ。お社だし、失礼があってはいけないよね。ご忠告有り難う」

 千代の言葉は、それで仕舞いとするような色があった。あっさりと終わらせる音。地元の人間を相手にするのならば千代らしくないと言えるだろう。

 だがもし千代がこの男に対して親しげに話しかけた場合、千歳は心穏やかではいられないだろう自認をしていた。人を見た目で判断してはならない、というのは重々承知だが、しかし第一印象からも千代の態度からも、男と距離を保つことを選びたくなってしまう。

 穏やかな物腰、清潔感のある見た目、整った白い服装。綺麗すぎるせいかどうにも浮き世離れして見える男は、じっと千代を見ている。

「遊びじゃないならいいんです」

「好奇心はあるし撮影が失礼だったらまた別だけどね。信仰を捧げてないのに戸を叩くつもりはないよ。あくまで我々は観光客だ」

 言葉に、男はじっと千代を見下ろした。千歳が千代の前に出るのを、千代はその鞄を掴むことで止める。

 それでも千歳は下がらなかったが、鞄に千代の重みだけは感じていた。

「願わないならいいですけれど」

 ややあっさりとした、放るような声だった。特に頓着しないような声が、穏やかな顔から発せられる。男の顔は笑っているのにどこか無表情にも見え、千歳は眉を顰めた。

「願うなら気をつけてくださいね。神様が叶えてくださることに、人が払える対価なんて何もかも足りないんですから」

 穏やかな声と当たり前の顔で、男ははっきりと言い捨てた。


 * * *


「ああ、それは白樺しらかばさんだね」

 あっさりと仙田せんだが答える。身なりで確信したようだったので、常にああいった格好なのだろう。白樺、と千歳が復唱すると、茶菓子を口に放り込んで仙田は頷いた。

 研究室でなくとも、まず菓子を先にひとつ食べる癖は相変わらずのようだ。癖と言うよりあれは気遣いだよ、と千代が言っていたのを思い出しながら、千歳は茶に口を付け仙田が菓子を飲み込むのを待った。

 千代が仙田と同じように菓子の包みを剥いて口に放った頃、仙田が咀嚼を終え湯飲みに手を伸ばす。二口ほど茶を流すと、仙田は千歳に菓子入れを押した。千歳がひとつ菓子を摘まむ。

「ここ二年くらいの人、らしいよ。大学は休学中で、昔住んでたか何かで、こっちでアルバイトしているみたい。顔立ちが整っているし物腰が柔らかいからここらじゃ人気だね」

美枝子みえこさん情報?」

「美枝子も結衣ゆいちゃんも。おじさんちょっと寂しい」

 少し白髪の交じった頭をかくりと下げ、仙田がやや大仰に答える。千代は二つ目の菓子を手に乗せると、包みを開かずムニムニと揉むようにしながら仙田を見上げた。

「面白味はおじさんよりありそうだし仕方ないよ。社で会うにはちょっと目立ちすぎっていうか、まァ邪魔だったんだよね。次行く時は居ないといいけど」

「千代君は相変わらずだね。千歳君は未だに振り回されている感じか」

「好きでついてきてくれているはずだよ」

 千代の言葉に、仙田が破顔する。千歳は浅く頷くと、そもそも、と口を開いた。

「呼んだのは先生なんですから、振り回されていたとしてもその一端は先生ですよ。相変わらずというなら、そこも含めて変わりませんね」

「はは、確かに」

 楽しそうに笑いながら、仙田は湯飲みを横にずらした。倣うように千歳も菓子入れを横にずらし、千代が入れ替えるようにカメラを机中央に載せる。

「センセイが教えてくれたから見てきたけど、そういうわけであまり調べられてないんだよね。願いが叶う、って割には願掛け中の気配がなかったのはどういうこと?」

 千代の言葉に千歳はカメラを見た。フィルムではなくデジタルなのでカメラだけで中を確認できるのは便利だが、千代が表示しているのはあのグラスである。

 誰かが訪れたことは確かでそれを千代は喜んでいたはずなのだが。そういう千歳の疑問に気づいたのか、正面に座っている仙田は小さく笑ってカメラを手にした。

「確かに、御礼参りのみだね。賽銭もない社に対して手を合わせて願掛けだけ、は考えづらいって判断かな」

「まァ手を合わせただけも有りだけど。コップと小皿があるなら、願掛けに来た人間がもう少し何か置いていこうってなってもいいと思ってね。というか、雨の後だからかもだけどどうにもあそこ荒れてないし、面白いけどちょっと足りないかな。御礼している人と話して、そこからって感じ」

 仙田と千代の会話に、千歳は浅く頷きながら聞く姿勢を示す。大学時代から、どちらかというと千歳は聞く側ばかりだ。学年が違うとは言え同じゼミだったが、千歳は元々専門としていない題材のゼミであり、先輩と教授である千代と仙田の思考にはついていけない。

 まあ、そもそも千代の思考に追いつく人間も趣味についていく人間もさほどいなかったので、仙田からすると千歳も面白い人間に入ってしまうのだろうが。それはそれ、これはこれだ。わからないものはわからない、しかし会話は興味深い。それくらいの距離感が千歳にとって馴染んだものだ。

「御礼をしている人と会えるかは微妙。コップの汚れから数日以内には来ると思うけど、時間帯まではわからないし。センセイそのへんどう?」

 千代の問いかけに、仙田は目を細めて顎を撫でた。下がった目尻の皺と馴染むような表情は、千代の狐のような笑い方と並べて狸と揶揄されたもので、相変わらずの表情でもある。しかし平時の飄々さを眉間の皺が変えてしまってもいたので、千歳は少し緊張した心地で背筋を伸ばした。千代は相変わらずだが、それでも菓子を揉み遊んでいた手を止める。

「毎日参っていたんだよ」

 声の神妙さに、千歳は息を呑んだ。参っていた。過去形、ということは、なんらかの変化があったということだ。緊張する千歳と反対に、千代の瞳が爛と輝く。

「私達が来る前に何かあったのかな? 動物霊だと彼らはヤキモチを焼くと言うし、毎日参るような熱心な人ならそれをわかってはいただろうに。?」

「ああー、そっちいく? そっちいっちゃう?」

「いっちゃうねえ、タイミング的にそうでしょお」

 くたくたと言う仙田に千代が答えると、仙田は机に手を突っ張るようにして体を伸ばした。爛、とした瞳をそのままに、千代はさんざんいじり回していた菓子を自身の前、仙田に示すように置き直す。

「アレがそう言う程度のことがあった、と見るのは自然でしょ。センセイが事前に言ってなかったってことは私に教えた後、軽率に話しづらいことがあった感じ」

「うん、ま、そうだね」

 仙田が頷く。表情は相変わらず渋く、千代は折角置き直した菓子をまた指の腹で押した。

「言いづらいってことはでかい被害があったか、最悪死んだか」

「最悪の方」

「おぉ、中々だねぇ」

 上からの圧で潰れ包みが剥がれかけた菓子を指先ではじくと、千代は手の中に戻した。折角丸く整っていたはずの茶菓子は見るも無惨な形になっている。零さないように包み紙に残ったノリ部分を剥がした千代は、粉になった部分ごと口の中に放り込んだ。

 そうして茶で流し込むと、ぺろり、と唇を舐める。

「願いを叶えたら人が死ぬなんて伝承あったっけ?」

「いや、君に送った白蛇様と、社を建てる時の話くらいだよ。あっさりした平和なものだ」

「白蛇様だって、それだけだとさほど面白味がないしねェ。やれ豊作願いだ雨乞いだ逃げた家畜探しだ井戸堀だ、よくある話だ。そもそも御礼が個人じゃなくて地域全体、氏子の祭事で済んでたはずだよね? 対価が足りない、って話は突拍子もない」

 千歳から渡されたティッシュで手を拭うと、千代は楽しそうに目を細めた。楽しそう、というよりも、相応しいのは獲物を狙うよう、だろうか。きゅ、と持ち上がった目尻と一緒に細められた千代らしい笑みは、物騒な話題でも気遣う様子を見せない。

「願いが叶うことが本当なら最高に面白い。私が興味を持つかも、とセンセイが言ったのだから、それはよくある話と違うんだろう? 、のはずだ。センセイは私のことをよく知っているからね」

「うん、まあ、だから言ったんだけど。こんなの結衣ちゃんに聞かせられないからね。ほんと、ほんと」

「姪っ子チャンがいないんだからさっさと白状してクダサイよ」

 独特の茶化す音で千代が言う。仙田は一度茶で口を湿らせると、息を吐いた。元々仙田には少々勿体ぶるような所があるが、これはわざとではなく自然と出来た間だろう。

 千代も仙田も他人の結果に対して反応が薄い所があるので、その最悪を成してしまった人物に思いを馳せてしまう。

「願いを叶えた、と言われているのは女子高生。――強姦被害に遭った子で、彼女が社に参って暫くして犯人が死んでいる。それは結構前。そして君たちが来る二日前、彼女自身が死んだ」

「ワーオ」

 うわ、と声を出すのを千歳は耐えたが、代わりに軽薄な千代の声が響いた。あくまで茶化すような物言いで、口角はにやけるのを隠さない。

 仙田の姪は確か高校生だ。事象は事象として扱いがちな仙田でも、身内に近くなれば思うことも増えるだろう。遠いままの千代が軽いのは千代らしいが、それでも流石にそれは、と思う。たしなめるように千歳が千代の腕を軽く引いたものの、千代は引かれた腕で千歳を宥めるように背中を二度叩いた。

「願いを叶えるきっかけはそれ?」

「いや、その前は普通に可愛いものだよ。女子高生の中で急に流行ったみたいで、適当にご飯とか置いて、無くなっていると願いが叶うって奴。やれ好きな人と話せるとか恋が成就するとかなんというかのろいとあえて書かずに平仮名でおまじないって書く感じのかわいーやつ。君が退屈って言うやつだねぇ」

「あー、退屈退屈。理屈がついちゃうやつだもんそれ」

 仙田の言葉に、ケラケラと千代は笑った。千歳も浅く頷く。千歳自身は正直千代の好むオカルトもまじないも同じように感じるのだが、千代が求めるものは明確故に分かる。

 千代はそれが事実かどうかはどうであれ、理屈が付かないものを好むのだ。食べ物が無くなるのは動物が食べるから。わざわざおまじないをするってことはそれだけ積極的に動ける、または動いたことを他人が知って協力しようとするからか自己暗示。本当はどこにも存在しなくとも、そうして説明できてしまった瞬間に興味を失うのが千代だ。説明出来ないに出会う為可能性を探り続ける千代の趣味はある一面ではややこしく、しかし故に単純とも言えた。

 だからこそ、その規模では千代に話が来ないと分かる。同時に、人が死んだだけでは千代に話が来ないことも分かるので、千歳は仙田の言葉を待った。

 犯罪者が死ぬ理由なんていくらでも有り得る。方法は不明でも、恨みは存在するだろう。しかし、仙田は千代を誘った。

「社に通った期間は三ヶ月くらいらしい。社から少しすると沢があるんだけど、そこの周りはちょっと足下が危なくてさ。沢からちょっと外れた所で偶然落ちて死んだ、事故死。偶然にしては願いが叶ったんじゃないかって言われているね」

「願いが叶って御礼参りねェ。その後他の人達は?」

「人が死んでいるし、通ってるのも被害者だし。そこに混ざるのはちょっと、じゃないのかな。恋のおまじないが殺人と並ぶのは流石に怖いでしょ」

 ふんふん、と頷いていた千代が、はは、と笑い声を上げた。そんなものかな、と千代に尋ねられ、頷くべきか悩みながらも千歳は取り敢えず、という体で頷く。

 千歳自身はおまじないをする柄ではないので聞かれても答えにくいが、一般論としては殺人と並ぶ機会を好まないものだろう。

「とりあえず参拝者が死んだのは置いといて、千代くんに話そうと思っていたことを伝えようか。白蛇様の参拝方法は面白味無しだけどいる?」

「一応概要はチョーダイ」

 千代の言葉に頷いて、仙田は畳に平積みしていたクリアファイルの一つを机にのせた。それから、千代のカメラを確認して社の正面を表示する。

 開いたクリアファイルにあるのは同じく社の正面。印刷と画面の解像度の違いくらいで、特別な違いは無いように思えるものだった。

「これは白蛇の話がある前の社。元々白蛇伝承はあったけど、あれ自体はそういう昔話でしかないから、現代だと特別願いが叶うってのはなかったね。これは毎年地域の人が清掃後に撮る写真だからそこそこ綺麗だけど、まあ、そんな人が来るものじゃないから普段はそれなりって感じ」

 クリアファイルが捲られる。その次に映ったのはやはり社の正面。違いというと、社に苔が見えるのと社の前に置かれた食べ物か。卵が置いてあるのは蛇だからだろう。加えて何かわからない空の包みも見える。

「これは丁度おまじないの後に撮れた奴だね。大抵卵は無くなっていて、白蛇様に食べられたって言われている。願いが何かは知らないけど、さっき言ったような内容が流行っていたからそんなものだね。時々手紙とか、好きな人が映ったシールとかが差し込まれてた。触るのは罰当たりだからしちゃいけない。したら悪いことが起きる。回収するのは食べ物も手紙も何でも捧げられた白蛇様。……社の中身蛇と違うはずなんだけどねぇ。中身の文献無いから蛇じゃないとは言えないにしても白蛇伝承に出てくる社は寺と同じくチラリズム程度なのに」

「ま、そんなの恋する乙女にとっては些事という奴なんだろうねェ」

「他人事だねぇ」

「本人事だったら驚くでしょ」

 けらけらと千代が笑う。写真を見下ろした千歳は、千代の笑いを流すように机を指先で鳴らした。

「向こうで動物の気配はなかったけど、供え物がなくなったからってことですか」

「ん、そこはどうだろう。お米とお水は常にあるわけだから、気配がないってのは時間帯かもしれない。白樺さんが来たってなると余計、タイミングがさ」

「出た、白男」

「言い方が酷いね」

 千代の物言いに仙田が苦笑する。色男も台無しな言い方だ、という言葉はもっともで、しかし想定通りとでもいうような慣れた音があった。

 まあ千歳も千代の物言いがらしいと思うし、もし見目で相手を気にするようなことがあれば衝撃を受けてしまう。オカルト的存在に会えば別かもしれないが、千歳は人の見目程度でオカルトを思い浮かべるタイプではないのでそれもありえない。

「面白みがないんだよ白男。単純に信仰しているって考えて良いけどさ、あの物言いじゃあ関わっててもおかしくない感じする。対価が足りないなんて含みありすぎだしさァ」

「おや、マイナス要素?」

「マイナスもマイナス、ああいうのはノイズになるじゃんか」

 唇を尖らせた千代に、仙田が苦笑した。千代にとって信仰を持つ人間はポジティブな意味になるのだが、信仰を利用する可能性、について千代は常に邪魔扱いをしている。

 そこも含めてだよ、という仙田の主張と千代の趣味は昔からずれているから仕方ない部分だろう。仕切り直し、というように仙田が座り直す。

「願いを叶えた子、亡くなってしまったから調べればわかるだろうけどここではAとするね。Aさんは或る日社に向かう所を目撃されている。わざわざ下校時間を外した夜。願いを叶えに行ったんだろうって話だ。――目撃されたのは彼女が性被害にあった後。

 まあ、恋のおまじないじゃないだろうって想像は付くよね。そして同級生がどこの誰か分からない人間に犯された・犯人もわかっていないって状況で、ああいう場所にほいほい行く人間もいない。学校から注意喚起も出たらしいし」

 仙田の話を聞きながら、千代は顎に手を当てた。考えるように少し視線を下げ、そうしてから続きを促すように仙田を見る。仙田もわかっているもので、浅く頷いて話を続けた。

「藁にも縋る思いだった、と考えることは単純で、犯罪者がうっかり死んだか誰かに殺されたのか、そういう可能性も十分だと思う。けど、丁度犯人が死ぬ日、お堂で見た人がいるんだ」

「見た?」

 つい、というように千歳が復唱する。それから慌てて口元を覆うが、仙田が穏やかに頷き千代が楽しそうに目を細めたので、少々いたたまれない心地になる。誤魔化すように千歳は湯飲みを口元に運んだが、空にするのも憚られてちびりと舐める程度で終えた。そのあたりも分かっているようで、仙田が小さく笑う。しかし、すぐに表情は静かに戻った。

「お堂で社会科見学があってね、座禅みたいなことを高校生がしていたらしい。そして、見た。それは蛇の長い影。その影から舌が伸びるのに気づくと、まるで丸呑みするかのように影が揺れ――悲鳴。見た子と見なかった子がいて、見学対応の人以外も慌ててお堂に行った。その時は集団パニックみたいなものじゃないかなって結論になったんだけど、その日の夕方、森で倒れている男が発見された。色々調査したんだけど、足を踏み外したんじゃないかって言われている」

 仙田の言葉に、千歳は眉を顰めた。短絡的とでも言いたげな顔だが、仙田の表情は変わらず静かだ。

「社を見ただけじゃわからないとは思うけれど、社に登る道とは別方向、森の方に男はいたんだ。あそこはどう考えても人が通るに適さない場所でね、なんで通ったのかも不明。地元じゃあの道は使わないように言われているし、そもそも社からお堂、お堂から社にしても奥で人が来るとは思えない。強姦犯として追われていたわけでもないから隠れる理由もないし謎なんだ。その日は丁度雨が降っていたから、余計おかしくてね。

 まあ、踏み外しても仕方ない場所で、土の跡からおそらく野生動物に驚いてだろうといわれている。ただ、頭を損傷していてね。丸呑みの影を見た子は、蛇が頭を噛んだと言っている。男が死んだ後Aさんを強姦した犯人だとも確定して、そりゃあ警察の結論と子ども達の結論は食い違うよね」

「願いが叶った、ね。短絡的ではあるけれど、人為的形跡は無いというやつか」

「そういうこと。Aさんは立場が立場だから話すのは難しいと思うし、直接じゃなくても周りをほじくり返すのはお薦めしないけど、千代君が面白がりそうな題材だと思ってね。オカルトかどうか、調査する余地はあると思ったんだよ。――Aさんが死ぬ前は、ね」

 ふう、と仙田はそこで息を吐いた。背筋を伸ばしたのは姿勢を改めたと言うより、一区切りついた伸びのようなものだろう。伸ばし終えるともう一度、今度はやや大きめに息を吐いて、ほぐすように首を捻る。

「流石にねえ、ちょっと扱いづらいよね。結衣ちゃんと同い年の子が性被害に遭って、犯人が死んで、被害者が死んだ。犯人が死んだ場所と近かったらしいよ。Aさんの方は沢側だったから方向は別だけど、なんであの場所で死んだのかわからない。まだ結論は出ていないけど事故死ってことになりそうだね。こんなこと言うと怒られそうだけど、僕は犯人なんて正直勝手に死んでろって思っちゃうから同情はしない。でも、犯人の死がAさんの心労になったなら苦しいし、そのきっかけが信仰なら、今は調査しづらいのが正直な所かな。結衣ちゃんの心にも絶対ダメージあるしさぁ。ほんともう、子どもはすくすく平和な場所で育ってよぉ」

 最後の方は、少し嘆きを含んだ語調だった。泣き言に近いが、事実心配は大きいだろう。興味本位は十分残っていても、そのまま突き進むには、言葉にするには難しい部分がある。

 千歳からすると人が死んだ段階で話題にしづらいだろうと思うが、それはそれ、これはこれが仙田達の考え方だ。実際過去の文献では人身御供などの話があるようなものを扱ったりするのだから、過去の期間が少し長いかどうかだよ、と言うのはわかっている。だからこそ、今、仙田の躊躇いが意味を成さないこともわかってしまう。

「平和で安全安心健全な場所なんて存在はしないさ、そのクズがいなければいいのは尤もだけれどね。センセイが躊躇うのもわかる。結衣ちゃんも美枝子さんも心配だろうし」

 千代の言葉は非常にあっさりとしていた。仙田の言葉に返る同意も素直だ。

 けれども、爛々とした目は相変わらず。対してそれを見返す仙田も、諦めるように再度息を吐いただけだった。千代のそういった所を、千歳も止められない。

「でもまァ、折角だから調べさせて貰うよ。センセイだって、生きていたら興味あったんでしょ。犯人が事故死なのかオカルトなのか、それとも、殺されたのか」

 にやり、と千代は笑って言い切った。仙田が目を閉じる。眉間に皺を寄せたそれは肯定では無いが、しかし否定出来ないことを示すものでもあった。まあ、否定した所でここまできて千代がそのまま終えるわけないのだからどちらでも変わらないのだが。

「知りたいことが五つばかり。信心は本物だったとして、それが私の求める物かどうか。約束通り、検証に行くよ」

 仙田の前で右手を開いて示した千代は楽しげで、千歳はこっそりと息を吐いた。


 * * *


「Aさんとやらは、多分犯されてないんだよ」

「えっ」

 唐突な千代の言葉に、千歳は間抜けな音を出した。仙田の前提を最初から否定する発言が、どうして出たのか千歳にはわからない。

 その混乱を見て取ったのか、千代はふむ、と顎に手をやった。

「私がセンセイに聞いた『五つの質問』は覚えているだろう?」

 千代の言葉に千歳は頷く。流石に、昨日の今日で忘れるわけがない。だよね、と千代はあっさり頷いて、軽やかに跳ねた。

 時刻は十時。社からお堂に向かう道は相変わらず静か故に、足音ばかりがよく響く。

「あの質問は全部、確かめる為に近いものでね。一つ目の質問、『Aさんにとって大切な人間、親しい人間がいたら教えて欲しい』が答えに繋がるのさ」

「ええ……?」

 歩みはついていくことが出来ても、思考にはついていけない。仙田から聞いたのは、被害者に双子の姉がいたことくらいだ。Bさんと仮定された彼女についての情報自体、さほど多くもない。困惑をそのまま見せる千歳に、千代は人差し指を立てて見せた。

「一つ目の質問は、事件の外側だろうセンセイですら知ることが出来る程度に親しい人間がいるかどうか知りたくて聞いたものでね。実際の所存在した故に出た仮説さ。恐らく、センセイが言っていたBさんが本当に犯された子だと私は考えている」

 千歳には、正直なにがなんだかわからないままだ。どう質問を差し込めばいいのかもわからない千歳にかまわず、千代は指を立てていた手を枝の排除に向かわせぐいぐい進む。

「あくまで想像だけれどね。正直さァ、恋のおまじない程度の願いしか叶えてないのに、犯された後こんな危ない場所に行くなんて思えないでしょ。どっちかというと恋のおまじないに来た姉が犯されて、犯人を捜しにきたって考えるのが妥当かな。幸い、願いが叶うって形だから犯されたと思われている状態で向かっても、動機付けにはなる。どこで犯されたかも可能性の話でしかないけど、別の場所でもこんな、ねえ。女の子はか弱いんですよォ」

 茶化すような物言いだが、千歳は神妙に頷いた。確かに、被害の後一人で来る場所では無いだろう。木々が生い茂り、日が出る時間でも暗い場所。そこを、下校時間を避けた夜に向かった。最初に社を見た時夕方や夜はないだろうとした予想が外れた理由がそこにあるのだと、千代は言う。

「二卵性双生児、顔立ちが整っており真面目で穏やかな優しい姉と、どちらかというと私側の顔立ちと性格に癖がある妹。強姦魔は外見で選ばないからそういう外的要素で決定するつもりはないけれど、単純に、姉思いの妹がどう考えるかって話だ。まったくもってつまらない話だが、性被害にあった時加害者でなく被害者も酷い物言いをされることは有り得てしまう。真面目な姉が珍しくまっすぐ帰らず、ささやかな恋のおまじないを勇気を出してしにいった日、強姦された。本来なら真っ先に病院に行き警察で、被害者は保護されるべきだ。でも、それが出来なかったとして被害者を責めることは流石に出来ないね。センセイが言うように優しく安全な社会なら良いけど――まァ、そしたらそもそも被害はないか。どうでもいいね」

 自分の発言をあっさり投げ出し、千代は千歳を振り向いた。酷く神妙に顔を歪めた千歳に、千代は微苦笑をする。

「君のそういう所は好きだが、今は憂う時間じゃないよ。ほら、ここだ。私が聞いた二つ目、沢の場所。あの白男が来なかったら先に探したんだけどねェ」

「先に、ですか?」

 千代が進みそうになるのを手で止めた千歳は、問いかけだけ落としてゆっくりと下った。沢に行くまでの道に急斜があり、暗がりで足元が危険とは言え降りる分にはそこまで難しくない。

 千歳が降り切った後千代がテンポよく下り、水の湧く場所にしゃがみ込む。

「水道で私がばしゃったの覚えているかい」

「覚えてますよ、濡れないでくださいね」

「はは、藪蛇」

 同意と同時に返った忠告に、千代は軽く笑った。それから手を伸ばして、持ち込んだ小瓶に水を入れる。

「私が勢い余るくらいに力を入れないと蛇口は開かなかった。普段使ってないんじゃないかって想像は容易いだろう? 随分と力が有り余った人間でない限り、平時水をあそこで入れていたらもう少し蛇口だって柔らかい。夜に来るには危ないが、わざわざここで彼女は水を汲んでいた。そりゃ、死んだら事故死って思われそうだ」

「事故じゃない、と思っているんですか?」

 千歳の問いに、千代は首を縦にも横にも振らなかった。ただ笑って、汲んだ水を零す。

「問題はそこじゃなくて、なんでわざわざここに水を汲みに来たのか、という話さ。卵やら手紙やら菓子パンの包みやら、当初は子どもが適当に考えたとしか思えないものが置かれていた。こんな危ない場所に水を汲みに行く発想なんて生まれないよ。Aさんとやらが信心深過ぎてもありだけど、文献に無いのにどこで手に入れた知識なんだってやつ。……そこで、もうひとつの私の質問さ」

 小瓶をそのまま仕舞おうとする千代にハンカチを渡すと、千歳は顔をしかめた。それをくすくすと笑い眺めながら、千代はハンカチで小瓶を拭い仕舞う。

「千歳君、顔が面白いよ」

 ありがと、とハンカチを差し出しながらの言葉に、む、と千歳の唇が尖る。どういたしまして、と返しながら引き直された千歳の唇は一文字に近くなるが、不満は残ったままだ。

「……千代さんは面白くならないんですね」

「ならないねェ。千歳君を見ていた方が面白いし」

 折角引きなおされた唇がまた微妙に尖り、千代は空気を吐き出すように笑った。ぽんぽんと宥めるように腕を叩く手は、存外優しい。

「三つ目の質問は、白男がどのような存在か。昔ここに住んでいて、長い間離れていたから地元の人にとって余所の人に近い。そのくせ昔住んでいたから地元の人間でもあるし、この地域を調べているようで知識は豊富。今は白葉々寺近くの店でアルバイトをしている。神仏に興味があるらしく、よく白葉々寺で目撃されているし、知識があって穏やかな好青年として人気者。美枝子さんも結衣ちゃんも言うくらいには保護者や学生の信頼がある人間だってことはわかったし、結衣ちゃん方面に至っては、よく相談に乗ってもらっているらしい話まで出てる。一対一の相談事とかも乗っているらしいね。千歳君は苦手みたいだけれど」

「千代さんだって好きじゃないでしょう」

「私にとってはでかいノイズだからねェ」

 拗ねたような千歳の言葉に、千代ははっきりと言い切った。ノイズ。千代がオカルトと信じるには邪魔になる存在であり、今この話の中では一つの可能性に繋がる言葉。しかし、どうにも初見の印象が苦手だったとはいえその可能性を結び付けていいとは言えず、それでも否定する要素も無い故に千歳は口を噤む。

 千代はそれ以上触れずに沢から登り戻ると、今度はお堂に向けて歩き出した。慌てて後を追う千歳の前で、軽く拳を作った右手の背が掲げられる。

「可能性を考えているだけなんだけれどね。水は汲んだ方がいいって教える人間がいるとして、それは本来の白蛇伝承からじゃない、もっと別の理由からだろうって思うんだ。言っているように、そこに動機づけとなる話はない。なら、その子がそこに行った方がいい理由が他にあるだろう。オカルト的に考えるなら別の信仰を持つ人間で、現実的に考えるなら都合が良いと考える人間だね」

 言葉の区切りに合わせて、千代は拳を自身の前で軽く開いた。その手の内側にあるのはコンパスだ。社から向かうお堂と寺は単純な隣り合わせではなく、途中に森を挟んでおり、うねった道を移動してようやく辿り着く場所となっている。中間の森部分は、そのまま登ってしまうと山道に入る道に繋がっているくらいだ。

 ちゃり、とコンパスをあっさりしまうと、千代はさくさくとまた歩き出した。迷いがない足取りを追いながら、千歳は頭についた葉を払う。

「四つ目の質問は、お堂の状況と周辺環境。見ての通り、藪だらけって感じだよね。お堂から寺院の方は整ってるけど、こっちは全然だ。隠れやすくて、お堂の観察はしやすい。雨の日に森側へ行く人間もいないだろうしね。ただ、こっちから寺院にいくには悪目立ちするのも確かだ。落ちた葉は目立ちすぎる。隠れやすいだけで、ここから出ていくには向かない」

「誰か隠れていた、ということですか」

「察しがイイね千歳君」

 千代は頷くと、ぴ、と指を立てた。可能性の話だけれどね、というのは彼女の常套句だ。

「単純に考えると強姦犯が隠れていた。一度ヤって味を占めたのかそもそも常習犯だったのか興味はない。学生を狙ったか脅そうとしたかも些事で、そいつがここにいた時白蛇の影があったのが問題なんだ。騒ぎになった時の具体的な様子まではわからなかったけれど、後ろめたい人間がここから離れるなら、今私たちが来た道だろう」

「事故、ですか」

 千歳が問うと、千代は目を細めた。先程と同じく、答えはまだ返らない。

「どこで犯されたかわからないって言ったけれど、おそらくこの辺りは男のテリトリーだったんじゃないかなって私は思っているよ。おまじないで来る学生が一人の可能性は高い。噂が流行るようになって利用しようと思ったら、それなりに悪意を持って調べる。お堂での騒ぎに慌てて逃げたとしても、慣れた庭だからこそある程度の慢心があって、早々事故は起こらない。――そこで、五つ目の質問だ」

 お堂に辿り着いた千代は、仙田にしたように千歳の眼前に片手を広げて見せた。前回と違うのは、指を一つずつ折って質問するのではなく握り拳を作ったあたりか。とん、と千歳の胸をその拳が押す。

。……ねェ、どこにいたのかな色男」

 揶揄するような言葉に、はっと千歳は振り向いた。森から出てきた、としか思えない白樺は相変わらず白い服を着ている。シャツは前回と違い胸元が開いておらず、下はスキニーパンツ。服装は違っても同じ白は、やはり浮いていた。

「Aさんはお堂に居ました。私は、お寺の方から騒ぎが聞こえてお堂に向かった所でした」

 いつの話と聞くこともなく、自然な様子で白樺は会話を引き継ぐ。いつから、どこから。警戒する心地で千歳は千代と白樺の間に入るが、千代は穏やかに千歳の腕を二度叩くだけだった。

「素直にオカルトと信じるには人の気配が有り過ぎるんだよ色男。多感な時期の子どもからしたら信頼出来る大人だ、アンタは。吹き込まれたことを鵜呑みにしてしまう可能性は十分ある。何を言ったかは知らないけど妄想の手助けになる話をしたんじゃないかな。お堂の閉鎖空間でちょっと影が揺れただけで、それが大きく強烈に見えるトリガーにはなっただろうさ」

「あのパニックを引き起こしたのがAさん、と言うのですか」

「きっかけの話、だよ。騒ぎを聞いた時、寺からお堂に来る人間がいれば男は余計慌てるだろう。しかもそれが貴方なら、慣れた庭の奥に、さらに奥に行く可能性は高い。貴方がいつから社付近をうろうろしているかは知らないけれど、寺も社もうろつく人間だ。それを避けたくなる心理は持つだろうね」

 見据える千代に対して、白樺はあくまで穏やかに笑んでいるだけだった。奇妙な男だ、と改めて千歳は思う。いや、奇妙というよりも気味が悪いが近いだろう。

 だってそうだ。白樺の口ぶりも立ち位置も明らかに森から来たものなのに、

「雨の中だ。自身が慣れていると思った場所とはいえ社からもお堂からも外れた奥は流石に行き慣れないだろう。沢の音も雨に紛れるから、立ち位置を理解しづらい。それでも安全な道を選ぶ自信が男にはあったのかもしれない。でも、踏み外した。

 ――原因は動物だろう。貴方が手懐けたのかどうかは知らないけれど、幸いおまじないで野生動物もこっちに来やすくなっていたから、紛れるのは楽だっただろうね」

「白蛇様のお力だったのでしょうか?」

「それだったら面白いんだけどねェ」

 白樺の言葉に、千代は肩を竦めた。あくまでまっすぐと言葉を並べる千代に対して、白樺は柔和な態度を崩さない。

「はっきりいって、オカルトとするにはノイズが揃いすぎているんだ。叶った後のお礼は貴方にとって都合がいいだろうね。おまじないよりも信仰が見えやすい。あの形は私も見ていて心が躍った。無いものが本当にあるような、人の信心だ。

 けれども、生涯は続かないだろう。子どもは大人になる。この土地から離れることもある。……でも、途中で死んでしまえば、それは永遠となる。なら、足りなかったせいだと言える」

「貴方が言うAさんを殺したのが、僕だと?」

「さあ、どうだろう。毎日わざわざ沢に降りていく子ども。自分が願ったことで、おこなったことで男が死んだ、その場所の近く。彼女がどこまで信じていたのかはわからないよ。でも、あまりいい気分のしない場所だ。どんなに憎い相手でも、ね。

 咄嗟に自分が犯されたと周りに伝えるくらいに彼女は賢く、強く、不器用で弱い子だった。毎日繰り返したのは懺悔か何かか。あそこにいけば食べ物があると覚えた野生動物がいるのに、置かれるものは米になった。そうして、行き来をするのは彼女くらいで。雨の日、暗がり、動物。条件は揃う。貴方の手懐けたものが行ったのか本当に偶然野生動物かは知らないけれど、獲物はわかりやすい」

 千代はそこで言葉を切った。白樺は、無言で千代を見返している。底知れない様子に、千歳は一歩前に出た。それを、千代の手が白樺から見えない位置でいさめる。

「彼女に望んだことがあったとして、僕はしがない人間ですから。神様の祝福ですよ」

「そう言うならもう少し想像の余地を残してほしいね。こういう可能性でオカルトを否定してしまうのは退屈なんだ」

 ぴしゃり、と千代が言い放つ。白樺はさほど興味無さそうなまま、首を傾げた。

「野暮な推論で信じられないのは自己責任では?」

「それは私の性分さ。考えてごらん、この土地に来て学生と話す機会をもっておまじないを流布したとする。寺じゃなくてわざわざこの社にしたのは人目の問題でしょ。普通に考えれば白葉々寺って名前の方が絶対使いやすいのに選ばなかったあたり分かり易い。字面が違うにしてもシラハハ、って音を使わない理由が無いもの。ハハは古語で蛇。本来は白蛇って文字で神様が祀られていたんだって言った方が自然だ」

 千代の言葉に、白樺が口角を上げた。柔らかく細められた瞳の下、持ち上がった口角だけが異様に浮いて見える。気味が悪い。それが千歳の正直な感想だった。

「おまじないを流したのが女子高生なあたりも狙ったものかな? 噂が広まりやすく秘密にもなりやすいって部分を狙ったのか、クズが釣れるのを狙ったのか、両方かただの偶然か。わからないけれど結果的に犯罪が起きた。そして被害者の家族であるAさんはおまじないでも祈りでもなく、犯人を捜す為社周辺を動くようになった。――彼女に接触するのは難しくなかっただろうね。貴方は恐らく、そこで彼女に白蛇様の話をした。

 まずは犯人を見つける為のお祈りをさせたんだと、私は思っている」

 白樺の笑みは変わらない。深まることも和らぐこともなく、気味の悪い形で止まったままだ。

「……貴方は犯人を知っていたんじゃないかな。貴方と彼女が会っているときに、貴方は偶然を装って犯人の姿を彼女に見せた。そうしてこの場所にいること、自身が何か見たことも含めて憶測を話す。犯人の姿を見られたのは白蛇様のお蔭。疑心暗鬼だとしても一人で戦おうとしていた少女にとって、真摯に諭す大人は意味をもつだろう。

 彼女は試すだけならとでも思ったんじゃないかな。森にさえいけば白蛇様が願いを叶えてくださる。その為のきっかけを作るように貴方は唆した。貴方は他の女子高生に簡単な暗示になるような話をして置いたんだろう。そういう下準備で上手くパニックが起きて、後はさっき言った通りってのが私の想像だよ」

「神様の御加護ですよ」

 のっぺりとした声だった。じり、と千歳は足を進めようとする。けれども千代の手は千歳の背中を掴み、それを止めた。

「まァ、真相は闇の中だ。証拠はない。オカルトじゃないという退屈な結論が出ただけで、この話は終わりだよ。……偶然にしては出来過ぎている。ただ、証拠だけじゃなく偶然が重なりすぎて、私はこれを証明出来ないのだから勝手にしたまえ」

「偶然ではなく、神様の必然ですよ。神様に愛されているんです、私」

 投げやるような千代の言葉に、白樺は突然笑みを深めた。得意げな声はどこか少年のような音で、歪んでいる。

「そこまで考えたのならわかるでしょう。どれだけ有り得たとしても、あまりに無計画だと。だから殺人ではなく事故になるのだと」

 うっとりと白樺が言葉を並べる。千代は眉間に皺を寄せた。

「無駄だとは思っているよ。Aさん含めた学生がお堂にいる日、雨が降らなければならない。男が雨の日でもいる理由をどう作るか。貴方が策を練って男が来る確率を上げたとしても天候は流石に無理だ。年間から予想してもコントロールは出来ないし、行事も同じく。それだけじゃない。何人に仕込んだかは知らないけれど、集団催眠だかヒステリーだかが起きない可能性だってあった。動物なんていくら仕込んだとしても所詮動物だ。雨の中目的を達成するのか、その動物が向かった時男の居場所はどの辺りになるか、そこで足を滑らせるのか。最期の瞬間だけにしても、動物は偶然勝手にとは考えにくい。

 でも、それ以外もあまりに運に左右され過ぎだ。計画には足りない。Aさんの死もそうだ。ゲームでもあるまいし、雑な可能性だけ積み重ねればいいなんて言えないよ」

「だから、神様に愛されているんです」

 白樺が言葉を重ねる。千代は鼻を鳴らして片頬を歪めた。

「その白さが愛の証拠かな色男」

「その通り」

「……自白か」

 つい、千歳が呟いた。先程から千代の前にいるにも関わらず今更千歳を見たような顔をした白樺は、ふわりと笑う。

「警察で物語のお話をするのでしたら、どうぞご自由に?」

「するわけないよ。私の目的には、もう充分だ」

「千代さん」

 千代の目的から成されるのは、徹頭徹尾オカルトかどうかの証明でしかない。千歳は十分わかっていた。けれども真実に関わった人間がいることを放っておけず、抗議するように千歳は名を呼んだ。しかし、千代は大仰に肩を竦めて千歳の腕を二度叩く。

「私のを伝えるとしたら、誰が何の為に男を殺したいと思ったのか語ることになる。そうした所でそこの白男に刑事責任がいかほどあるのか」

 千代の言葉に、千歳は口を噤んだ。男に犯され、妹が代わりに世間へ訴えた。周囲の目が妹を苛むのに、姉が気にしないとは考えにくい。恐怖と人に言えない秘密、妹への罪悪感。そして、妹も死んだ。その原因が男への復讐だとして、姉の気持ちはどこに行くのか。

 知らなければいい、ということは難しい。けれども、知る必要がある、というにはあまりに残酷な事実。

「物分かりが良くて何よりです。神様の素晴らしさを知る人に出会えたのは幸運ですね」

 穏やかに白樺は告げ、身をひるがえした。森に消えるのを見送り、千歳は大きくため息を吐く。

「なんなんですかアレ……あんな」

「仕方ないよ。言ったけど、どれも可能性としては有り得ることだ。けれども全部を重ねるのは運任せと言えてしまう。計画殺人とするには言い逃れが出来過ぎてしまうレベルなんだよ。まるでと信じているイカれた幸運野郎にしか思えない」

「神、ですか」

 千代の言葉に、千歳は釈然としない気持ちで呟いた。オカルトとしての面白さが無いと言いながら、千代はその一点、有り得なさを見据えている。

「神というにはあまりに人間的だよ、やってることは。だから私の探しているモノじゃない。でも私には運任せ以上に言えることは無いんだ。面白くないよ、それだけは確かだね。もう会わなければいいなァ」

「会わなければいいには全力同意ですが、もし会ったらもう少し距離とってくださいよ。心配になる」

 伸びをした千代に千歳がしみじみ言うと、千代は肩を竦め笑った。

「心配性だねェ。有り難いけどさ、千歳君あの白男苦手でしょ。私はそうでもないし、私に任せてよ」

「それは嫌です」

「なんでェ」

 きっぱりと言った千歳に、千代は間延びする声を返した。無理しない方がいいよォと続ける千代に、千歳は目を逸らす。そのまま三度瞬き、一度固く目を閉じた後もう一度長い息が吐かれて、千歳の視線は千代に戻った。

「危ないのもそうですけど、あの男、千代さんのことずっと見てましたし。……妬きます」

 ぱちくり、と今度は千代が瞬く。先程の千歳の瞬きよりも緩慢な動作の後、ふは、と千代は空気を噴き出した。

「そうか、それは仕方ないな! しかし安心してくれ。あの白男への不満がなくとも、この薬指に誓って私が共に歩くのは千歳君だよ!」

「知ってます」

 千歳の返事に、千代は千歳の左手を握った。その薬指にある指輪を親指の腹で撫でると、腕に身を寄せる。

「この旅行は散々私に付き合わせたし、次は千歳君の行きたい場所だね。エスコートを頼むよ千歳君!」

「はい。お付き合い願いますね千代さん」

 ようやく相好を崩した千歳に、今度は声を上げて千代は笑った。


(2020/02/17)


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あとがき(補足)

 ノックスの十戒、破戒の担当区分は「万能の怪人」でした。

 正式には「主要人物として「中国人」を登場させてはならない」という項目ですが、この中国人については、「当時なんでもありの人間として描写されやすかった」という時代背景があります。(フー・マンチューのような万能の怪人を出してはいけない、という意)

 文言のまま中国人を扱うことは、おそらくノックスが言っていたような当時の共通認識とはなりえないこと、またそもそも差別的な問題があるとして「万能の怪人」として扱わせていただいた作品です。

 推理と言うにはトリッキーなオカルトミステリーですが、注意書きがないのは参加アンソロジー作品としての趣旨(なにを破戒するかは伏せてあとがきで公開する)のまま公開したものとなっています。ご理解いただけますと幸いです。

(2022/05/21 WEB公開)

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推理小説読み切り集 空代 @aksr

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