【第6章・ご主人様のお仕置き百番勝負ツアー】『私は確かに死んだみたいだけど、死んでもなにも起こらなかったよ』

「あっはっはっはは! なに、あんたかわいいとこあんじゃない!」

 おれたちはプールサイドでヒーターを炊き、ベンチにおれ、喜瀬川、美佐子さんの純に、横並びに腰かけていた。喜瀬川はおれの背中を強く叩き、涙を流して笑っている。

 空はまだ暗いが、雨はあがった。庇から雫が頬にぽたりとこぼれた。身が凍るほど、冷たい。

 ――さて、信じたくもない話だが。

 フロントの彼女、美佐子は社長の孫である。高校卒業以来、ずっとフロントの受付をしていた。彼女は去年、趣味のバイクでツーリング中に、高速道路で事故に遭った。

 即死だったそうだ。

 ……そうだよ、即死だったんだろ?

 なんで当たり前みたいな顔して、こんなとこに座っているんだよ。この話には、まったくもってリアリティがない。死人に口なし。こんなベラベラと喋る死人がいてたまるか。

「おれは、オカルトの類は信じない」

 寒さに身体を縮こまらせながら呟いた。

 冗談じゃない。おれは、この手の話が本当にダメなんだ。いや、自分からするのは構わない。だって、インチキにせよ霊媒師だったわけだしな。ただ、本物は勘弁だ。

「何言ってんのよ、あんた霊媒師だったんでしょ」

「そりゃあそうなんだけどな……」

「私は確かに死んだみたいだけど、死んでもなにも起こらなかったよ」

 美佐子さんは、あっけらかんと言う。「私少し冷え症なんだよね」くらいのテンションだ。

 彼女の死後、火葬されたはずの美佐子さんが、何でもないように出勤してくるのを見て他の従業員ももちろん焦った。なにせ美佐子さんは、生きている人間と何ら変わりはしない。挙句、死んだという事実はそのままに、彼女を生前と同じように扱うようにしたそうだ。ただ、戸籍上は、間違いなく死んだことになっている。

 喜瀬川は、葬式にも出たと言っている。

「ただねぇ、不思議なんだけど、この町から出られないんだよ」

「地縛霊……」

「やめろよ、縁起でもない」

 喜瀬川の呟きを、おれは即座にかき消す。

「坊や。そんなに私が怖いのかい?」

 美佐子さんはおれの怯えた反応を見て、悪戯っぽく微笑んだ。そして、嬉しそうにおれの太もものあたりを摩る。あぁ、ひどく冷たい気がする。

「ば、馬鹿言わんで下さい」

 おれが震える声で言うと、喜瀬川は口を横ににんまりと開け、「あんたって臆病なのね。お化けが苦手。ギャハハ、弱点晒しやがったわね」と、ほくそ笑む。

 人の不幸が何よりも嬉しい女のようだ。

 心を落ち着けるため、意識してゆっくりと言葉を紡ぐ。

「バカバカしい。そうだ、よく考えたら、どうしてそんな話をおれが信じる道理がありますか。ドッキリっつうのはね、もうちょっとうまいことやるもんですよ」

 第一、ここまでそういう話運びじゃなかったろ。ここは一つ、地に足着いた、チンピラの成りあがりのピカレスクロマンでお願いしますよ。

「へぇ、じゃあ私が嘘ついてるってのかい?」

「そうですよ」

「……人をうそつき呼ばわりする悪い坊やは、祟ってしまおうかしら」

 彼女は両手の甲をこちらに向け、古典的な「うらめしや~」をして見せる。

「祟るってぇそんな、お人が悪い……」

「あんたやっぱビビってんじゃん」

 喜瀬川は機嫌よさそうに、ヒーターに手をかざす。

 っせーな、喜瀬川のくせに。

「坊やだってわかるだろ? この寒さの中、私がこんな薄いスーツ一枚で平気なのは……」

「特別、寒さに強いだけでしょう」

「じゃあ、これでどうだい? こうしてもこれっぽっちも寒くない」

 美佐子さんはボタンに手をかけ、シャツをはだけさせて見せる。白くて蕩けそうな豊かな胸元と、小さな黒子が露わになる。思わず目を奪われる半面、このアピールがまた、彼女がこの世のものではないことの証明になることに怯えた。

「……いつまでみてんのよ」

 パン。

 喜瀬川はおれの頬を張った。寒さで、痺れるような痛みが走る。

「なんだい、喜瀬川。嫉妬かい?」

「違います!」

「私はいくら見られたって構わないさ。男も女も乳を飲んで大きくなったんだから。な、坊やもそうだろ? 喜瀬川だって」

「もー、そういう問題じゃないですってばぁ、美佐子さんのバカ!」

 喜瀬川が耳を赤くして、かわいらしく抗議する。人格が破綻してるぞ。

 お前は情緒不安定。

 こんなわざとらしい、インチキラブコメシーンなんか、いらん。

 おれは歯をカタカタ言わせながら、呟く。

「……あぁ、こんなつもりじゃなかったんだけどなぁ」

 話が逸れてどこかにとんでいってしまった。雲を掴むような心霊話なんて、きっぱり御免。こんなことより、今からやらなきゃいけないことがあるんですよ。色々とね。

「おれぁ、ちょっと準備があるんで」

 立ち上がったおれに、美佐子さんが声をかける。

「逃げるのかい?」

「違いますよ」

 違わないけど。

「なんだい、それともはばかりかい?」

「美佐子さん、はばかりって?」

 喜瀬川が、きょとんと尋ねる。

「……お手洗いのことだよ」

 喜瀬川は「あぁ」、と手を叩き、それからおれの背中に躍るような侮蔑の声で、こう言う。

「あんた、一人で行けるのぉ? ついてってあげよっかぁ?」

 クソ、完全になめられた。

「……違いますよ。もうじき、『ブタ』どもがいらっしゃるでしょうが。お出迎えですよ。女王様と幽霊様は、『ブタ』の目につかないようにどこかに退避してくださいな」

「今時の子は難儀だねぇ、そんな手の込んだ事をしないと一人前にムラムラもできないなんて」

 美佐子さんは、ため息交じりに言う。

「私なら、そんな回りくどいことせず、体一つで愛してあげられるのにねぇ」

「時間ないんで、早く。もう五時だ」

 喜瀬川が驚き「あ、もうそんな時間?」と声をあげた。

 おれは振りかえらず、フロントに戻る。

 振りかえって、誰もいなかったらどうしよう。いや、そんなわけあるか。

 少し歩いただけで足元が覚束かず、おれはつまづいて転び、頬を擦り向いてしまう。

 後ろからは、何が面白いのか、いや、おれが転んだのが面白いのだろうけど、げたげたと下衆な笑い声。

 部屋に入り、強張った身体が少しずつだが緩んでいく。たまらず、ソファに深く腰掛ける。体が随分と冷えちまった。色んな意味で。

 ここらで一杯熱いコーヒーがこわい、ってな、もんで。

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