秋。

第15話 お狐さま?

 夏が終わり、涼しくて過ごしやすい時期もあっという間に過ぎて、秋も終わりに近づいてきていた。


 帰りのホームルームが終わると、日菜は学校カバンを手に立ち上がった。

 もう、みんな冬服だ。日菜も冬用のスカートに長袖のセーターだ。


 今日は水曜。

 真央と千尋が所属するテニス部の放課後練習はお休みの日だ。

 二人と目配せして、教室のドアに向かおうとして、


「日菜、今日は橋本たちと帰る日?」


 悠斗に声をかけられて、足を止めた。


「うん、そう。悠斗くんは? 図書室に寄って帰るの?」


「図書室にある本は大体、読んだから。今日は区の図書館に行ってくる」


 カバンに本を詰め込んで帰り支度をしていた悠斗が、日菜を見上げてにかりと笑った。


 悠斗の言う“大体、読んだ”は読みたいジャンルの本については――と、いうことだ。

 悠斗はファンタジーもホラーも読まない。恋愛モノも、もちろん読まない。

 タイトルやあらすじを聞くかぎり、現代モノ――特に家族モノが好きなようだ。


「読むのに夢中になり過ぎて、遅くならないようにね」


「大丈夫! 閉館時間には追い出されるから!」


 そう答えたかと思うと、悠斗は教室を走って出ていってしまった。


 ――それは大丈夫って言わないんじゃないかな……。


 日菜は苦笑いしながら、ドアの近くて待っていてくれた真央と千尋の元に急いだ。


「お待たせ!」


「いえいえ、いつものことですから」


 千尋はにやにやと笑いながら、歩き出した。


「白石の声を毎日、当たり前のように聞くようになるなんてね」


 真央はと言えば、真顔でそんなことを言っている。二人の反応に苦笑いしながら、日菜も教室を出た。


 夏休み中は理科の自由研究で、ほぼ毎日のように悠斗と話をしていた。

 でも、学校が始まったら夏休み前と同じように、悠斗と校内で話すことはないんだろうと。また、喫茶・黒猫のしっぽでいっしょに夕飯を食べるだけの関係に戻ってしまうんだろうと、少しさみしく思っていた。

 でも、実際にはそんなことはなくて――。


「何かあっても、なくても。すぐに日菜に話しかけるもんね、白石のやつ」


「私と千尋が部活の日は、いっしょに帰ってるんでしょ?」


「たまにだよ、たまに」


 日菜の照れ笑いに、千尋はますますにやついた顔になった。でも、真央は、


「それでも十分よ。あの白石がこんな風になるなんて、去年の今頃は私も平川も想像できなかったもの。夏祭りのときの平川の顔、見た? あの怖い顔。でも正直、気持ちはわかるわ」


 ほほに手を当てて、本気のため息をついた。


 夏休み中にあった神社での夏祭り。日菜は真央と千尋といっしょに行く約束をしていた。

 そこに千尋の幼なじみの大地と、大地の親友である和真が加わることになった。

 それならとダメ元で悠斗も誘ってみると、


「日菜が行くなら行く」


 と、あっさりとうなずいたのだ。


 夏祭り当日。

 本当に日菜といっしょにやってきた悠斗を見たときの和真の笑顔。あの冷ややかな笑顔には、悠斗以外の全員が震えあがった。


「目が笑ってなかったもんね、平川くん」


「そうね。でもね……去年の苦労を考えると……」


 階段をゆっくりと下りていく真央の顔は、完全に子育てに疲れ切った母親のそれだ。日菜と千尋は顔を見合わせた。この話を続けるのは真央の精神衛生上、よろしくない。

 あわててあたりを見回して、次の話題を探していると、


「そうだ! お祭りと言えば、今週の金曜にお祭りがあるんだよ!」


 千尋がポン! と、手を叩いた。


「お祭り……?」


 日菜は目を丸くした。お祭りというと夏のイメージしかない。今は秋――それも冬に近い秋だ。

 日菜の不思議そうな顔を見て、


「そう、秋祭り」


 真央が笑みを浮かべてうなずいた。


「一応、その年に収穫された稲とかを奉納するお祭りらしいんだけど」


「私たちにそんなことは関係ない。祭りは祭りだ!」


 千尋がぐっと拳を握りしめるのを見て、真央はくすりと笑った。


「まぁ、そうね。夏祭りをやったのと同じ神社でやるのよ」


「今回も屋台がたくさん出るんだよ!」


 真央と千尋の話を聞きながら、日菜はそわそわしてきた。

 和真と大地は来るのだろうか。二人が来るなら、夏祭りのときみたいに悠斗を誘えるかも……なんて、考えていると、


「日菜、そのにやついた顔は何?」


 千尋に顔をのぞき込まれた。


「え、いや……にやついて、なんて……」


 しどろもどろの日菜を見つめて、真央はくすりと。千尋はにやにやと笑った。


「白石を見習って……」


「素直に吐け~」


「ちょ、ちょっと……千尋、ストップ! 真央、めて……っ、こんな、とこで……!」


 襲い掛かってきた千尋に脇をくすぐられ、日菜はけらけらと笑いながら悲鳴をあげた。

 こんなところ――と、いうのは下駄箱の手前だ。他の学年の子たちも通りかかる。

 今だって三年の先輩にじろりとにらまれたし、一年の女の子たちも目を丸くして、ちらちらと振り返りながら通り過ぎていった。


「言う、素直に言うから……やめ……て!」


 日菜はバシバシと千尋の腕を叩いた。さすがに人に見られるのは恥ずかしい。


 千尋は満足げにうなずくと、ようやく日菜の脇から手を離した。

 でも日菜が逃げたり、黙り込んだりしたら、すぐにでもまた襲い掛かれるようにと構えている。手もわきゃわきゃと動いている。

 日菜は半泣きでぷるぷると首を横に振ると、


「平川くんと黒田くんが来るなら、悠斗くんも誘えるかなって考えてました」


 小声で、素直に白状した。脇をくすぐられるのもいやだけど、先輩や後輩から冷めた目で見られるのも、いやだ。


 日菜が白状したことでくすぐりの構えを解いた千尋は、


「って、なるだろうと思って、大地を誘っておきました!」


 手を腰に当てて胸を張った。


「と、いうより、言い出したのは黒田くんだそうよ」


「言わないでよー! 私の手柄にして、日菜に……大好き……とか、言ってもらう予定だったのに!」


 唇をとがらせて地団駄をふむ千尋を白い目て見て、真央は鼻で息をついた。


「日菜、言ってあげたら?」


「だいすきー」


「そんな棒読みな大好きが欲しかったわけじゃない!」


 日菜をぎゅっと抱きしめると、千尋はぐりぐりと頬ずりした。ちょっと痛い。

 今度は日菜が唇をとがらせる番だ。


 日菜と千尋のようすにくすくすと笑いながら、真央はクラスの下駄箱に向かった。真央を追いかけて、日菜と千尋も靴を履き替えた。


「大地も平川くんも、負けず嫌いというか。あきらめが悪いところがあるからねぇ」


 千尋が苦笑いで言った。


「二人を見ていると、必死になって野良猫を餌付けしようとしているように見えるのよね」


「エサは食べるけどなでさせない……って、感じだよね」


「報われなさが不憫ふびんだわ……」


 ため息混じりの真央の言葉に、千尋が深くうなずいた。


 理科の自由研究の件で夏休み前に衝突したあと。夏祭りにいっしょに行ったことで、和真と大地と悠斗の距離は縮まったかに思えた。

 二学期になってからは二人一組で、とか。グループを作ってと言われると、悠斗から和真と大地に声をかけるようにもなっていた。


 和真と大地も、悠斗とずいぶんと仲良くなれたと思っていたはずだ。なんなら友達になれたと思っていたかもしれない。

 なのに――。


「白石、土曜に大地と映画を見に行くんだけど」


「行かない。本、読みたいし」


「白石! 放課後、和真とカラオケ行くんだけどさ」


「行かない。本、読みたいし」


 悠斗は食い気味に断って、あっという間に本の世界に戻ってしまうのだ。


 ――見てるこっちの方が冷や冷やするよ。


 冷ややかな笑みを浮かべる和真と、拳を握りしめる大地のようすを見て、日菜がどれだけ心臓に悪い思いをしたか。思い出しただけでもドキドキしてくる。

 日菜は胸に手を当てて、深々とため息をついた。


「その点、日菜はなでさせてもらえてる感じだよなぁ」


「なんならすり寄られてる感じよね」


「へ? そ、そうかな……?」


 二人にじっと見つめられて、日菜はすっとんきょうな声をあげた。あわてて頬を押さえたのは、にやついた顔になっているだろうと思ったからだ。

 どうやら、その通りだったらしい。


「と、いうわけで。大地が白石のことも誘っておいてってさ」


「私もクラス委員の仕事のときに平川から言われたわ。よかったわね、誘う口実が出来て」


 昇降口を出て、裏門へと向かいながら、真央と千尋は意地の悪い笑みを浮かべて言った。

 二人の楽し気な表情に、


「ありがたく口実として使わせていただきますよー」


 日菜はすねたように唇をとがらせた。

 顔が赤くなっている日菜を見て、けらけらと笑っていた千尋が、ふと目を輝かせた。


「そうだ! そんな日菜には、お狐さまの話をしておかないと!」


「お狐さま……?」


 首をかしげる日菜に、真央と千尋はそろってうなずいた。

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