第11話 悠斗と和真と大地。

 夏休み前のテストが終わり、結果が返ってきた。と、同時に夏休みの宿題も配られ始めた。

 各教科のドリルだけじゃない。国語なら読書感想文。美術なら美術館に関するレポート。家庭科なら夏休み中に作った料理のレシピと食べた人の感想。


 そして、テスト明け最初の理科の授業が始まった。

 理科の鈴木先生は、四十代の男の先生だ。あだなは、しめじ。

 いつも白衣を羽織っていて、髪型がきのこカットなのだ。身体を左右に揺らして歩くようすが着ぐるみっぽい。

 基本的にはおっとりと優しくて、いい先生なんだけど――。


「全員、テスト用紙は返ってきましたか? 間違えたところをきちんと見直しておくように。それから、いっしょに配ったプリントに夏休みの宿題について書いてあります」


 日菜は採点済みのテスト用紙といっしょに渡されたプリントに目を落とした。ドリルの他に自由研究と書いてある。

 日菜はごくりとつばを飲み込んで、鈴木先生の次の言葉を待った。


「去年と同じように自由研究は二人一組でやってもらおうと思います」


 鈴木先生の言葉に、日菜は目を見開いた。ななめ前の窓際の席に座っている悠斗を見ると、


 ――し・め・じぃぃぃ~!


 と、歯をぎりぎりと言わせていた。声に出ていないけれど、口の動きと表情でわかる。


「それじゃあ、今から組む相手を決めてください。クラス委員は……はい、平川くんと橋本さん。決まったら、この紙に名前を書いて理科準備室まで持ってきて。よろしくね」


 鈴木先生は和真にプリントを渡すと、そそくさと教室を出て行ってしまった。

 とたんにざわざわとし始める教室に日菜は目を丸くした。みんな、立ち歩いてるけど、和真も真央も注意するようすはない。


「次のクラスの丸付けがまだなのよ、鈴木先生」


 声につられて顔をあげると、真央が苦笑いで日菜を見下ろしていた。


「テスト明けは毎回、自習だもんね。しめじの授業」


 廊下側に席がある千尋も、のんびりとした歩調でやってきた。真央と千尋に言われて、日菜はなるほどとうなずいた。毎度のことだからクラスメイトたちも、和真も真央も動じなかったらしい。

 と、――。


「橋本、女子分を頼む」


「うん、わかった」


 和真がやってきて、真央にプリントを差し出した。かと思うと、和真はあっという間に背中を向けて、


「組む相手が決まったら、男子は俺のとこ。女子は橋本のとこに行って」


 教室中に聞こえる声でそう言った。怒鳴っているわけでも、声を張り上げているわけでもないのに、よく通る声だ。

 言うのと同時に和真は手をあげて、ひらひらとプリントを振ってみせた。真央も同じように和真から受け取ったプリントを振ってみせた。


 和真と真央の連携の取れた、テキパキとした動きと。二人の言葉を聞いてか、振っているプリントを見てか。クラスメイトたちが一斉にうなずくのを見て、


 ――牧羊犬……。


 日菜は思わず口元を手で押さえた。

 喫茶・黒猫のしっぽで悠斗が言っていたことを、思い出してしまった。あと、無駄に上手いヤギの鳴き真似も。


 ふと、悠斗の方を見ると、悠斗も日菜のことを見ていた。日菜が笑い出しそうになっているのに気が付いたらしい。悠斗の口が、


 ――ほらな。


 と、動いた。それを見たらよけいに吹き出しそうになってしまった。

 と、――。


「大地、組もうぜ」


「ほーい」


 和真が、友達の大地に声をかけるのが聞こえた。大地の返事も。

 和真は席に座っている悠斗の前にまわりこむと、


「それから、白石も」


 そう言った。

 和真は腰に手を当てると、


「あからさまに嫌そうな顔するなよ」


 悠斗を見下ろして、ため息をついた。


「しかたないだろ。うちのクラスは男子の人数が奇数なんだから。まさか、自由研究でも先生と組むなんて言わないだろ?」


 たぶん、和真はクラス委員長として、大真面目に注意したのだ。ただ、それを聞いたクラスメイトたちは悠斗を見て、くすくすと笑った。

 悠斗はムッとした表情であたりをみまわした。和真に悪気がないことはわかっているんだろうけど、気分のいいものじゃない。


 でも、悠斗はそっぽを向いて、小さくため息をついただけだった。次に顔をあげたときにはいつもどおりの、ひょうひょうとした表情をしていた。そして、


「しめじに一人あまるから、一人でやっていいかって聞いてくる」


 そう言って立ち上がった。とたんに和真の表情がけわしくなった。


「白石……!」


 悠斗は和真の怒鳴り声も全然、気にしていない様子だ。和真と大地のあいだをすりぬけて、教室のドアへと向かおうとして、


「いいかげんにしろよ、白石。和真が気を使って、声かけてやってんのに。いつも、いつも、そういう態度取りやがって!」


 大地に腕をつかまれて、足を止めた。

 和真よりは背の低い大地だけど、日菜と変わらないくらい小柄な悠斗と比べるとずっと大きい。運動部らしく筋肉だってついてる。

 力尽くで止められたら、悠斗じゃ振り払えない。ケンカになったら簡単に吹き飛ばされてしまうかもしれない。


 悠斗と大地のあいだに流れるぴりぴりとした空気に、教室はしん……と、静まり返った。

 真央は唇を引き結んで、あたりを見まわしている。クラスメイトたちの様子を見て、口をはさむか考えているのだろう。


 日菜は悠斗を見つめていた。

 悠斗はこんな状況でもあっけらかんとした表情をしている。

 腕をつかまれて痛かったのか、直後に顔をしかめてはいたけど、。今はただ困ったような、あきれたような顔で大地を見つめていた。


「大地、白石を離してやれ」


 あいだに割って入ったのは和真だった。

 和真の諭すような口調に、大地は唇をとがらせながらも悠斗から手を離した。和真は大地に笑みを見せたあと、


「鈴木先生に聞きたいなら、聞いてくるといい」


 悠斗に向き直った。

 落ち着いた口調で話しかける和真は、すごく大人びて見えた。


「でも、そういうすねた態度も、一人でいるのが楽なんて嘘も、いい加減にやめた方がいい。もう俺たちは中学生なんだから。少しは大人になって、素直に友達の輪に入れよ。友達を作ろうと努力することも、変わろうとすることも、何も恥ずかしいことじゃないんだから」


 和真の言葉に、日菜は目を見開いた。


 ――素直に……なれ?


 和真はきっぱりとそう言った。まるで正しいことを言っているかのように。


 確かに。悠斗の態度は、協調性がないとか、わがままと言えるかもしれない。

 でも、決してうそをついてるわけじゃない。むしろ素直すぎるくらい素直に伝えて、行動してる。


 一人でいるのが楽、なんて言い方も悠斗らしくない。

 きっと悠斗は、一人で本を読みたいと言ったのだ。それを和真が強がりで言っているのだと、解釈して。“一人でいるのが楽”と言い換えたのだろう。


 悠斗の横顔をちらりと見て、日菜の胸はずきりと痛んだ。


 ――ちがう……だって……。


 悠斗はいつだって正直で、素直な言葉を伝えてる。本当の気持ちを伝えてるのに、それをうそだと人に言われたら、きっと傷付く。


 クラスメイトたちにくすくすと笑われたときも。大地に腕をつかまれたときも。困り顔や呆れ顔しか見せなかったのに。


 あごを引いて和真をにらみあげる悠斗の顔は、明らかに怒っていた。

 うなり声をあげて威嚇する野良猫のように、歯をむき出して怒っていた。


 和真のことをにらみつけていた悠斗は、ふと息を吐き出した。長く、深く息を吐く出して。そして――。


「俺。お前のこと、ものすごく嫌いだ」


 きっぱりとそう言った。


 頭に来て、思わず口をついて出たとかじゃない。ゆっくりと考えて、確かめて。そうして出てきた言葉だ。

 悠斗の正直で、素直な言葉だ。

 だからこそ、日菜は悲しくなった。正直で、素直な言葉が“嫌い”だなんて、あんまりだ。


 胸の前で手をにぎりしめると、日菜は真央と千尋に向き直った。


「真央、千尋、ごめん……!」


 急にあやまり出す日菜に、真央は心配そうに、千尋は不思議そうに首をかしげた。


「私、自由研究は悠斗くんと組んでやろうと思う」


 日菜が言ったとたん、真央はますます心配そうな表情になった。


「白石のことを心配してるなら、日菜が気にするようなことじゃないし。平川や男子たちで解決すればいいことなのよ?」


「ううん、そういうことじゃなくて……!」


 いきおいよく首を横に振った日菜だけど、うまく次の言葉が出てこない。

 心配はしてる。悠斗の力になりたいとも思ってる。でも、それだけじゃない。まして、悠斗のことをかわいそうだと思ったわけでもない。

 そういうことじゃなくて――。


 日菜が言葉を詰まらせたのを見て、


「えっと、応援した方がいいやつ……なのかしら?」


 真央が聞いた。聞いた真央自身も半信半疑と言った表情だった。

 でも――。


「いいやつ、です!」


 日菜が力一杯うなずくのを見て、真央はパチパチとまばたきしたあと、


「わかった。任せておきなさい、日菜」


 にこりと笑った。


「任せておけー!」


 日菜と真央のやりとりを、目をキラキラさせて見ていた千尋も叫んだ。

 声も、振り上げる手も、小さく抑えようとしているけど。それでも力一杯な千尋の応援に、日菜はくすりと笑った。


「任せたので、よろしくお願いします!」


 真央と千尋とうなずき合って、日菜は二人に背中を向けた。


 そして、和真と大地。

 それから――悠斗へと歩き出したのだった。

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