第10話 黒猫と牧羊犬。

 悠斗があからさまに嫌そうな顔をするのを見て、日菜は目を丸くした。そんなに嫌な話題だったのだろうか。

 それとも、もしかして、やきもち……?


 なんて、淡い期待をしながら、


「ううん、そういうんじゃなくて……!」


 あわてて首を横に振ると、


「なんだ、違うんだ」


 悠斗はあっさりと納得した。

 照れてるんじゃないかとか。隠してるんじゃないかとか。まるで疑ってるようすがない。

 正直に、素直に、言っていると信じてくれるのはうれしい。


 でも――。


「平川のやつ、よく女子に告白されてるからさ。日菜も好きなのかと思った。まぁ、好きだっていうなら応援するけどさ。日菜なら」


 そう言って、あっけらかんと笑う悠斗に、日菜は内心、むーっとなった。

 やきもち……というのは、やっぱり。完全に。淡い期待だったらしい。


「やっぱりモテるんだ、平川くん」


 悠斗に気付かれないように手で口元を隠して、日菜は唇をとがらせて尋ねた。完全にすねてる。でも、


「俺にはさっぱりわからないけど。日菜の目から見たらやっぱり……なんだ」


 悠斗の方も唇をとがらせた。和真がモテるというのが不服なのだろう。


 ――今は私がすねてるとこなんだけど……?


 悠斗の表情を見て、日菜はさらにむーっとなった。

 悠斗は本を読むこと以外、興味がない。すねたところで、悲しくなるだけなのだけど。


 ため息をついて、


「大人っぽいし、面倒見もいいから」


 日菜は苦笑いで答えた。

 同じ学年の子だけじゃなく、他の学年の子からも和真は人気がある。十分休みには教室に、昼休みにはグラウンドに、和真を見るために女の子がやってくる。

 もちろん、これは千尋情報だ。


「大人っぽさ、かぁ。まぁ、俺はこれから成長期だし。大人っぽくなるのもこれからだからな」


 まるで成長期になれば和真にも勝てると言わんばかりだ。

 大真面目な顔でうなずく悠斗を見て、石谷はふきだした。


「そういう問題なのか?」


「そういう問題じゃないの?」


 けらけらと笑う石谷を見つめて、悠斗は不思議そうな顔で首をかしげた。


 ――そういう問題じゃないと思うよ、悠斗くん。


 テーブルにほおづえをついて、悠斗のきょとんとした顔を見つめて。日菜はくすくすと笑った。

 石谷と日菜が笑うのを不思議そうに見つめていた悠斗だったけど、


「体育のときのは……まぁ、いつもどおり」


 本題を思い出したらしい。


「二人一組でキャッチボールやれって言われて、平川が黒田と三人でやろうって言ってきたんだよ。毎回、断ってんのに。毎回、毎回……!」


 ため息混じりに言った。


 黒田 大地だいちは、和真といつもいっしょにいる男の子だ。

 日菜はしゃべったことがないのだけど、千尋がよくしゃべってるから覚えた。

 千尋の幼なじみなんだそうだ。


「三人でやるの、いやなの?」


「いやだよ! 平川、口うるさいし」


 日菜が尋ねると、悠斗はきっぱりと。食い気味に否定した。


「先生と組む方が恥ずかしくない?」


「そう? 思ったことないけど」


 本当にそうなのだろう。きょとんと首をかしげる悠斗に、日菜は苦笑いした。

 悠斗は真剣な表情でコーヒーミルのハンドルをまわしながら、


「平川と橋本は牧羊犬なんだよ」


 なんだか、ものすごいことを言い出した。


「……牧羊犬? 平川くんと真央が?」


「そ、牧羊犬。吠えたり、追いかけたり、ときには実力行使に出て、群れから離れようとする羊を連れ戻す。……去年も同じクラスだったけど、うるさいし、しつこいし。平川にいたっては首根っこ、つかむし」


 和真は和真で何回言っても授業中に本を読むし、クラスの輪を乱すし、のれんに腕押しだし……なんて、思っていそうな気がするけど。

 ふくれっ面でハンドルをまわす悠斗を見て、日菜はくすくすと笑った。


 でも――。


「それにあいつ、俺が言うことなんて信じないから」


 悠斗がぽつりとつぶやくのを聞いて、笑うのをやめた。

 眉間にしわを寄せて、でも眉を八の字に下げて。悠斗の表情は怒っているんじゃなく、悲し気に見えた。

 日菜がとまどっているうちに、


「でも、日菜は俺が言うこと。わりとすんなり信じてくれたよな。あれ、正直、びっくりした!」


 悠斗はパッと笑顔になった。


「そ、そう……なの?」


 悠斗の言葉と笑顔に、日菜はドギマギしながら答えた。

 なんだか、日菜は特別――と、言われているみたいで。悠斗はそんなつもりで言ってるんじゃないとわかっているのに、それでも心臓がドキドキしてしまう。


「一人で本を読んでたい、一人でいるのが好きだって言っても、みんな、信じてくれないんだよ。意地を張るな、素直になれとか言って。意地を張ってるわけじゃないって言うと、最終的にぶち切れんの」


 悠斗はバシバシとテーブルを叩いて、唇をとがらせた。


「平川はぶち切れないけど、しつこいんだよ。一匹たりとも群れから逃がすまい! って、感じ? 牧羊犬のプライド? 羊の群れに野生のヤギがうっかり紛れ込んじゃってるだけで、本当はそのヤギ、追いかけなくていいんですよ~って誰か言ってくれないかな」


 コーヒーミルのハンドルをまわしながら、悠斗はベェ~とヤギの鳴き真似をした。予想以上に似ていて、日菜は思わずふき出した。

 日菜の笑い声に、悠斗は得意満面の顔だ。


 目を細めて笑うようすは不思議の国のアリスに出てくるチシャ猫。ヤギというよりも完全に猫だ。

 一人でいるのが好きなところも。自分の感情に素直なところも。構いすぎると怒るところも。猫のイメージそのままだ。


 悠斗の表情に、日菜はさらにくすくすと笑った


「よし……じいちゃん、挽けた!」


 猫みたいな悠斗が、黒猫型のコーヒーミルを手に立ち上がった。大きくうなずいて、おじいちゃんがカウンターの向こうから腕を伸ばした。

 悠斗が挽いた豆でおじいちゃんがコーヒーを淹れてくれるのを待ちながら、悠斗は日菜と同じようにほおづえをついた。

 コーヒーのいい匂いが早速、あたりに広がり始めた。


「日菜が平川の話なんかするから嫌なこと、思い出したじゃん」


 のんびりとコーヒーの香りを楽しんでいた悠斗が、不意に言った。日菜は黙って首をかしげた。


「もうすぐ夏休みだろ」


「夏休み……楽しみじゃないの?」


 悠斗の言葉に、日菜は目を丸くした。

 夏休みになれば学校に行かなくていいし、寝坊もし放題だし、本も読み放題だ。誰にも邪魔されずに本を読んでいたい悠斗にとっては、待ち遠しいものだと思っていた。

 その予想は間違ってはいなかったようで、


「いや、基本的にはうれしいんだよ。本、読みまくれるし。平川に授業が始まるからって取り上げられたりしないし」


 悠斗はひらひらと手を振って否定した。でも、


「ただ、理科の自由研究がさ……」


 すぐに渋い顔になってしまった。


「一年のときだけならいいんだけど。たぶん、今年もあるんだよなぁ」


 大きなため息をつく悠斗を見つめて、日菜は首をかしげた。

 不思議そうな顔をしている日菜に気が付いていて。すぐにわかるよ、なんて言うほど、悠斗は意地悪な性格はしていない。


 おじいちゃんが持ってきてくれたコーヒーを飲みながら、去年の理科の自由研究がどれほど過酷なものだったか。

 悠斗は真剣な表情で、熱く語ってくれたのだった。

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