3 講堂

 文化祭の当日。


 約5年ぶりに軽音楽同好会が演奏会を開く──これだけで己斐高校の校内は、ちょっとした騒ぎになっていた。


 ──軽音楽同好会なんてあったんだ。


 などと噂をするものすらある。


 ちなみに。


 5年前は4人全員が1年生のバンドで、このときのメンバーの卒業と入れ替わりに入ったのが千沙都と舞にあたる。


「前回のときにはスクバンの中国大会まで残ったからねぇ」


 そう述べたのは世界史の担任でもある顧問の高城たかじょう大海ひろみ先生で、


「でも3人のバンドやなんて、最低限やからごまかしきかんで」


 高城先生は心配そうに述べた。


 ついでながら中国大会へは、その4人のバンドが出たのを最後に進出していない。


 幕が、開いた。


 ギターの千沙都をセンターに、舞と美鶴がそれぞれキーボードとドラムを担当し、スタンドマイクを前に千沙都が歌うスタイルである。


「みなさーん! 己斐高校スクールバンド同好会のボーカル、織原千沙都でーす!」


 メンバー紹介をしてから、ライブは始まった。





 カバー曲を2曲披露したあとオリジナルのナンバーを歌い終わる頃には、スカスカであったはずのキャパシティ約300人の講堂は、クチコミであとから来た生徒を含めて、いつしか4割ぐらいまで人が埋まっていた。


 この様子を見ていたのがあがた可奈子生徒会長で、


「初ライブで4割埋めるって…」


 この頃には可奈子は他校のスクールバンドのリサーチもしてあったらしく、初ライブで一桁台というバンドが大多数の中、ここまで人を集めることが出来るバンドがいたことに、少なからざる衝撃を受けていたようであった。


「かなりなもんですね」


 隣にあらわれた佐伯かい副会長が言った。


「これなら宇品や似島に渡り合えるんじゃないですか?」


 リサーチで海はすっかりスクバンに詳しくなっていたらしく、


「うちは江波えば商業や芸陵げいりょう高校みたいにスポーツが強い訳でもないし、広島一高いちこうみたいな進学校でもない。そんな学校が残るには、己斐高校でなきゃ出せないカラーを打ち出すしかない」


 次期生徒会長として切れ者ぶりを発揮していた海にすれば、軽音楽同好会の存在は新鮮な感動があったらしく、


「もしかしたら、救いの神になるかも知れない」


 予言めいたことを言った。





 ライブが、ハネた。


 思った以上に評判が良かったらしく、ライブのあと一人の女子生徒が入部届の書類を持って部室にやってきた。


「あの…ベースは空いてますか?」


 訪ねたのは頼兼よりかね翔子という1年生で、翔子の顔を見て舞が驚いた。


「…もしかして、チューリップ組の翔子ちゃん?!」


「まさか…ひまわり組の舞ちゃん?」


 どうやら同じ幼稚園にいたことがあったようで、あまり聞き慣れない頼兼という名字で思い出したようである。


「確か翔子ちゃんって聖ヨハネ学園に行ってたよね?」


 母親どうしの付き合いがあって、東広島にあった聖ヨハネ学園西条小学校に行っていた──という情報だけは入っていた。




 頼兼翔子は少し間を置いてから語り始めた。


「うん…でもママが離婚して、それで私学だとどうしても学費の問題があって」


 それで高校は県立の己斐高校を選んだらしい。


「そっかぁ…あ、千沙っちは違う幼稚園やったけぇ分からんかなぁ」


 千沙都が幟町に来たのは小学校入学と同時で、


「私は幼稚園まで呉じゃったけぇ」


 しかし早生まれの千沙都にすれば、一学年下の翔子は同い年にあたる。


「こないだの文化祭のライブを見て、私もバンドやってみたくなって」


 それで部室まで来たらしい。


 翔子はベースギターを背負って来ており、


「ちょっと弾いてみて?」


 美鶴が言うと翔子はベースギターを取り出した。





 翔子のベースギターはかなり傷の入った、使い込まれた物で、大切に使っているのか、その割にはペグやネックなどは特に丹念に磨き込まれてある。


 翔子が弾き始めると、サウンドも良い。


「…もしかしてバンドにいた?」


「吹奏楽部でベースとコントラバスやってました」


 即戦力ではないか。


「翔子ちゃん吹部すいぶやったんや?」


「舞ちゃんは相変わらずピアノ?」


「バンドではキーボードじゃけどね」


 このとき少しだけ千沙都は顔が曇ったが、気づいたのは美鶴だけであった。





 その帰り、美鶴に買い物に付き合ってもらった礼に千沙都がファミレスに寄ると、


「今日はありがとね」


 ドリンクバーから持ってきたカフェオレで乾杯をした。


「あのね千沙都ちゃん」


 美鶴は翔子の話を始めた。


「あのときの舞ちゃんを見てる目が…」


「…えっ」


 千沙都は自分で暗い顔をしていたことに、気づいていなかったらしい。


「なんかね、ちょっとヤンデレな感じだったよ」


 美鶴は微笑んでみせた。


「へぇ…千沙都ちゃんってそんな可愛いところあるんだーって」


「いや…私ヤンデレなんかやないし」


「でも、ちょっと寂しそうだった」


 ヤキモチなんて可愛い──美鶴は千沙都の新しい面を発見したのが嬉しかったのか、いたく機嫌がいい。





 私ね──美鶴はカフェオレを一口つけると、


「私ね、多分みんな噂とかしてるのかもしれないけど、実は帰国子女でほとんど友達いないんだ」


 小さい頃にロサンゼルスに数年間住んでいたが、東京に戻ってくると日本語が怪しくなっていたらしく、


「それで一時いじめられたりもしてさ。でもたった一人だけ仲良くしてくれた子がいて、その子の家がライブハウスだったから、出入りするドラマーさんにドラム教えてもらって」


 それでドラムが叩けるらしい。


「今でも毎日メッセンジャーとかで話すほど仲良しなんだけどね」


 だから友達が離れてゆく寂しさは分かるらしく、


「確かにあるよね…幼馴染みが急に離れてくみたいで」


 でもまだいいじゃん──美鶴は注文したチーズケーキを受け取ると、


「私なんかさ、いきなり東京から1000km近く離れた広島だよ?! 幼馴染みに会いたくたって、せいぜいLINEか何かでビデオ通話がいいところだよ!?」


 冗談めかして殊更に明るく話すだけに、余計に美鶴が本当はたまらなく寂しいのではないか…と千沙都は感じられた。


「美鶴ちゃん…」


「でもね、こっちに来たら千沙都ちゃんや舞ちゃんに出会えたし、それに東京より静かだし、今は来て良かったって思う」


 美味しそうにチーズケーキを頬張る美鶴は、千沙都が見ても可憐なたたずまいで可愛らしかった。





 翌朝。


 千沙都と舞が二人で並んで市電に乗っていると、八丁堀の電停で美鶴が乗って来た。


「あれ? 舞ちゃん…翔子ちゃんは?」


「何かね、用事あるから先に行ってるってさ」


「ふーん…てっきりあんなにご執心だった翔子ちゃんにフラレたのかなって思った」


 少しだけからかい気味に言った。


「もう…どんな関係や」


「そうやって誤解されるような言動をするから…」


 美鶴は笑いながら述べた。


 やがて。


 己斐高校の最寄りである西広島の駅まで着くと、己斐橋の西詰を高台目指して歩いてゆく。


 その先に、己斐高校の校舎はあった。


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