第二十八話 彼は何処、あの子は誰

「カル、具合はどうだぁ? メシ持ってきたぞ」


 お盆の上に朝食のおにぎりと漬物を乗せ、障子を開けて入ってきたのは笑顔の素敵な宿の若旦那候補クウタだった。


「クウタ⁉ ケガはもう大丈夫なのかっ?」


 クウタはまだ安静の身であるはず。なのにもうバッチリと仕事に勤しんでいる様子がたすきがけをした姿から見てとれる。

 クウタは畳の上に座り、お盆を置くと「へへー」と笑った。


「これも養生の一つだよ、ずっと寝ている方が具合が悪くなるぜ」


 クウタは全く問題なし、とばかりに肩回しをして見せた。だが腹部が痛んだのか、すぐに眉を歪めてゆっくりと肩を下ろしていた。


「あはは、ほらみろ。無理するなよ」


「だ、だからぁ、俺は大丈夫だって。カルこそ、なんだか大変だったんだろ、キユウ先生がお前を抱えてきた時はびっくりしたぜ。最初見た時、抱えてきたのがお前じゃなくて女の人かと思ったから。スーから事情は聞いたけど、お前、相変わらず化粧とか映えるんだなぁ」


 思い出したくもない事の次第をドカドカと突きつけられ、カルは頭を抱えた。もうクウタに全てを説明するのは面倒くさいから何がどうしてそうなったのかは……想像に任せておこう。


「と、ところでクウタ。キユウはここに来て、その後どこに行ったか、わかる?」


「ん、いや、キユウ先生はどこに行くとも言ってなかった。ただお前を頼むなとだけ言ってたよ」


「……そうか、ありがとう」


 なんで何も言わないんだよ、キユウ。

 思えばあいつにも仕事があったとはいえ、ここ数日まともな話もできていない。キデツの仕事を引き受けたなら、その件についても一言教えてくれればよかったのだ。そうすれば自分も安心できたのに。

 いつも突然いなくなる。昔からそうだ、あいつは。


 そんなことを考えて胸を苦しくさせていると、クウタが「そういえば事件はどうだ」と聞いてきた。


「あ、うん、事件か……今のところ、まだ何も」


「そうなのか? いやさ、ここ数日は事件が起きてないから沈静化したのかなと思って」


「そういえば……そうだな」


 クウタが被害にあって以来、刀による事件が起きていない。自分が宿の手伝いとかで忙しくしていたのもあるかもしれないが噂もここのところ聞かなかった。


「でもまだ油断はできないよな。だから俺さ、あの時の小太刀を一応、清めの水で洗ってきたんだよ。また変なもんがとり憑いても困るしな」


「清めの水? なんだそれ」


 聞き慣れない言葉に反応するとクウタは詳しく教えてくれた。

 それはバスラの外れにある祠の湧水だという。その水には悪いものを浄化する作用があると言われ、飲んだりかけたりすると身体の痛みを和らげたり、いわくがある物の穢れを落とすご利益があるらしい。


 またその近くには幼くして亡くなってしまった子供を供養するための墓地もあるとか。


「俺達がずーっと小さい頃かな。バスラも今より治安や衛生面が悪くて、悪漢に襲われて亡くなる子供、流行り病で亡くなる子供が多かったんだ。その子達の魂を眠らせるために大きな墓地を造ったんだと」


「そうなんだ」


 ちょうどそんな頃かもしれない。自分が新たな両親に引き取られ、バスラを離れたのは。

 だからそんな出来事も覚えがない。


 カルは、ふと思う。両親はなぜ自分を引き取ってくれたのか。母の知り合いではあったらしいが、どういう経緯があって、自分を引き取ることになったのだろう。

 見知らぬ子供を引き取る、それには相応の理由はあるはず。親なしの自分がかわいそうだったから、だけではないだろう。


 そういえば、いつだったか……両親が不思議な会話をしていたことがあった。

 その言葉を記憶から引きずり出してみた。


 夜も更けた時のこと。自分は眠っていたのだが用を足したくて目が覚め、厠へと向かっていた。

 その時、ほんの少し開いていた引き戸の向こうからもれる明かりと両親の声がとても印象的だったのだ。


『あの子も生きていたら、カルと同じぐらいね』


『そうだな……あんな事件さえなければな。全く、かわいそうなことだった』


『でも、今の私達にはカルがいる。あの子を引き取ったおかげで、今の幸せがあるの。カルには本当に感謝してる』


『……あぁ、ただバスラに残してきてしまったあの子が、ずっと俺には気がかりなんだ。できればこっちに、墓を移せば良かったのかもしれない』


『そうね……そう簡単に行ける場所ではないから。でも私、毎晩祈っているの、あの子のこと。どうか幸せな次の人生を歩めますようにって』


『俺だってそうさ。カルがいるが、あの子を忘れたことはないよ。もちろんカルにも幸せになってもらいたいしな』


『うん、そしてカルには――あの子には、強くなってもらいたい……どんなものにも負けず、戦える強さを持ってほしい。あの子の分まで、生きてほしいの』


 当時の幼く、寝ぼけた頭では深い意味は考えなかった。用を済ませ、布団に戻った時には全て忘れていた。

 だが今になれば色々思うことはある。


 あの子とは誰なんだ。

 生きていたら?

 バスラに残してきた。

 あの子の分まで生きて。

 それはつまり……。

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