二 愛着人形

 その後、部屋を出た男はいつものように道端で自動巡回タクシーを拾うと、各種芸術品と新興宗教の紹介ばかりの広告を子守唄に目を瞑り、もう少しで深く眠ろうかという微睡みの中で車内の案内用人工知能の電子音声に覚醒を促され、自動的に開いた扉の促すままに自動巡回タクシーを降りる。黒いスーツに身を包んだ黒髪の男は、そのまま高層建築物の影に溶け込んでしまいそうであった。

 辺りはもう暗くなろうかという時分で、暮れていく夕日を眺めようと上空に目を向ければ、空を飛ぶ特別走行車がまるで太陽の上を歩く蟻のように見える。先ほど降りたばかりの自動巡回タクシーも、そのルーフに備え付けられた太陽光パネルがその役目を終え、内部へと収納されていくところであった。

 見慣れた光景に対して何の情景も見出さないまま、男はゆっくりと歩き出す。家までの帰路は特にやることもないので、自分とすれ違うお遣いの行き帰りであろう人型ロボットや道路を清掃するためのキューブ型ロボットを、ただ何となく眺めている。その姿は、他人からして見れば暗闇の中に目が二つ、浮いているようにも見えたかもしれなかった。

 男の紫の双眸がふと、ある場所に向けられて留まる。

 歩道の一部を切り抜いて設備されたゴミ捨て場。金属製のダストボックスの傍らに、なにか不可思議なものが見えた気がしたからだ。

 薄汚れた白い布は、何かを包んでいるようで膨らんでいる。その上口からは金糸のようなものが大量に溢れ出ていて、その先端は地面の上で踊っていた。その全体像は、人間の子供のようにも見えた。

 周囲の様子を見ながら数歩、そこへと近づいてみる。道行くロボットが反応をしないということは、この子は既に亡くなっているか、あるいは人間を模した精巧な人形という可能性が高かった。とはいうものの、男なりにそこに「見出せるもの」があったせいで、男はそれの真を確かめずにはいられなかった。

「おい」

 そう男が声をかけると、ほんのわずかに身体が動いた。少なくとも、男にはそう見えた。

「おーい」

 だから、今まさに自分の後ろを通ったロボットと人間の両方が全く興味を示さなくても、男は自分が見出したものに従って金糸の根本に指を入れ、かきあげてみる。

 すると、中から人間の少女の顔が露わになったので、男はそのまま頬のあたりに手を添えてみる。白い肌は柔らかく、しかし人肌とは思えないぐらいに冷たかった。

 一体どれだけのあいだ、ここにいたのだろう。そう、男が思った時であった。

「んん」

 呻き声が聞こえたかと思うと、続けて少女の瞼が開かれ、青い瞳がこちらを見る。

「なんだ?」

 こちらをじっと見る目に向けて言葉を返してみるが、返答はない。

 もしかしたら声が出ないのかもしれない。それならばと、男は第三者に連絡を取ろうとして、手を引こうをした。

 しかし、男の手は少女の頬を離れてすぐに動かなくなった。少女の手が、男の手を掴んでいたからだ。

「グリム」

 少女は、男の目を見据えてそう言った。

「なんのことだ?」

 問いかけても、少女は答えない。ただ男の目を見続け、手を離さないまま、微動だにしない。

「俺の名前はグリムじゃないぞ」

「グリムだ」

 同じ言葉を繰り返すだけでどうにも的を射ないので、とりあえず少女の手をほどこうとしてみるが、思ったよりも大きな力で掴まえられていて簡単には離れないようだ。

 そのまま試しに立ち上がってみると、それに合わせて少女も立ち上がる。先ほど見えた薄汚れた白い布は子供用のワンピースのようであった。

「まあ人違いだろうが、俺がシオンだったらなんだっていうんだ?」

「グリムは私を新しい家に連れて行ってくれる」

「新しい家……」

 少女の言葉を、男は訝しんだ。この辺りではあまり聞かないが、いまだに子供が被害者となる犯罪は全くのゼロというわけではない。最近では星の数ほどある宗教を隠れ蓑にしていることもあるほどだ。少女の言葉は、そういった危うさを感じさせるものであった。

 もしかしたら何でもないようなことかもしれないが、何であれ少女をここに放っておくのは忍びない。だから、男は少女の手を握り返すことにした。

「来るか?」

 男が訊くと、少女は小さく頷く。

 それを確認した男は少女の手を握ったまま、再び帰路を歩き出した。

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