第55話


 平日の昼間に、私服姿で沖縄の街を歩いていると、どこか悪いことをしているような気分になってしまう。


 東京にいる皆も、沖縄に居る友人たちも、今頃学校で授業を受けているのだ。


 一週間一度も休まずにうみんちゅハウスで働いていたのだが、流石に働き過ぎだと親戚から今日は休むように言われてしまったのだ。


 そのため、晴那は手持ち無沙汰に沖縄の街をぶらぶらと散策していた。


 忙しい方が、何も考えなくて済むから楽だ。


 暇な時間があると、ひまりのことを考えてしまいそうになる。


 地元の商店街を見て回った後は、かつて通っていた小学校、中学校へと足を運んでいた。

 当然入ることはできないが、一度この目で見たくなってしまったのだ。


 外から見えるグラウンドから、数年前に晴那が着ていた体育着を着用した中学生の姿が見える。


 もちろんそれが誰かは知らない。


 生徒はもちろん、お世話になった先生たちも異動でいなくなってる人もいるだろう。


 ずっと、同じものなんてない。

 どんなことも、必ず移ろってゆくもので、そうしてまた新しい芽吹きを迎えるのだ。




 最後に転校前の高校へと向かえば、丁度授業が終わったのか多くの生徒が校門を出る所だった。


 赤いスカーフに、ネイビーのセーラー服。


 半年前は恋しくて仕方なかった制服を着こんだ生徒を見ても、戻りたいとは思わない。


 ただこみ上げてくるのは、懐かしいという想いだけなのだ。


 踵を返して、祖父母の家に帰ろうとした時だった。

 腕を強く掴まれて、弾んだ声が耳を掠める。


 「晴那!?なんでいるの」


 信じられないと言った様子で、香澄が嬉しそうにはしゃいでいる。

 沖縄で一番仲の良かった彼女と最後に会ったのは、香澄が東京旅行に来た時が最後だ。


 あの頃より髪は少し伸びており、時間の経過を感じさせられる。

 誘われるままに、晴那は香澄と共に学校近くのファストフード店へと訪れていた。


 一年生の頃は、放課後が来る度にここへ足を運んで、くだらないことで盛り上がっていたものだ。


 定位置のようにいつも座っていたカウンター席に並んで腰を掛けても、あの頃とは違う。

 

 違っても、それで構わないと思えるまでに、晴那の心は成長していた。


 「びっくりしたよ、来てるって言ってくれたら良かったのに」

 「ごめん」

 「いいって。ていうか、晴那学校いいの?」


 鋭い指摘に、肩を跳ねさせる。上手い言い訳が思い浮かばずに目線を彷徨わせていれば、香澄も察したようにそれ以上言及してくることはなかった。


 「色々あったんだよね……あのさ、実は言ってなかったんだけどね、2年生になって晴那がいなくなって…本当に寂しくて仕方なかった」


 言葉を詰まらせる晴那に変わって、香澄が自身の想いを吐露し始める。

 いきなり転校することを直前に言われて、香澄が寂しくないわけなかったのだ。


 残される人は、残していく人と同じくらい苦しくて堪らないことを、まだ幼かった晴那は知らなかった。


 自分ばかりが辛いと思い込んで、周囲を気にする余裕もなかったのだ。


 「晴那友達できたかなって…ゴールデンウイークに会った時も、元気そうで安心したのに、本当はちょっと寂しかった。もう、東京で元気にやってて、香澄がいなくても平気なんだなって」


 それは、晴那も同じだ。

 お互い同じことを思っていたのだと、初めて知る。


 釣られるように、晴那も素直に言葉を漏らしていた。


 「…私もね、同じだった。香澄と会って、また沖縄に戻りたいってすごく思って…学校、本当に最初の頃馴染めなかったから」


 あの頃は、自分の弱さを吐く勇気もなかった。


 人一倍傷つきやすいくせに、変なプライドが邪魔をして強がり続けたのだ。

 

 だけど、それはかつての晴那の話だ。


 「でもね、今は割と平気なの」


 懐かしいけど、戻りたいとは思わない。

 愛おしいけど、あの頃のように胸が苦しくなるほど故郷を焦がれることもなくなった。


 それもすべて、東京で色々な経験をしたからだ。

 あの場所で沢山の人と出会って、そして初めての恋を知った。

 辛い記憶ばかりだったけれど、ひまりと出会えって恋に落ちたことを、後悔した日は一度も無いのだ。


 「晴那、大人になったね」

 

 そういう香澄も、以前会った時よりも雰囲気が大人っぽい気がしていた。

 しばらく会わない間にお互い色々な経験をして、知らない出来事が増えていって。


 中々会えないけれど、また会えばかつてのように笑い合える。

 離れ離れでも、その友情までが遠のいてしまうわけではない。


 寂しいのはお互い様だった。苦しかったのも、香澄も一緒だったのだ。

 それが分かり合えたのだから、きっとこれから離れていても大丈夫だ。

 




 サクサクとした感触が、歩くたびに足に伝わってくる。

 履いていたサンダルは脱いでいるために、白い砂浜の柔らかさが直接触れて心地よかった。


 香澄とファストフード店で別れた晴那は、真っすぐに海へとやって来ていた。

 

 あの日、ひまりと一緒に来た海だ。


 波を打つたびにキラキラと反射をする光景が、酷く綺麗だと思う。

 沖縄への未練は、東京で過ごすうちに確かに緩和されていったのだ。


 ひまりのおかげで、東京を好きだと思えた。

 そして、ひまり自身のことも好きになったのだ。


 また、目頭がツンと痛む。


 「……ばかだなあ」


 何度も諦めようとしているのに、その度に瞳から雫が零れ落ちそうになるのだ。

 早く忘れなきゃいけないのに、まだ当分は無理かもしれない。


 裸足のまま、足を海につける。

 やはりゴールデンウイークの時に比べればひんやりとしていたが、入れない程冷たいわけではない。


 沖縄の海を見ながら、考えるのは東京にいるあの子のことだ。

 一緒に水浸しになりながら、笑い合った思い出がよみがえる。


 まさか海を見て、沖縄で暮らしていた日々以外のことを考える日が来るなんて思いもしなかった。


 戻ったら、ちゃんと笑顔を浮かべないと。

 ひまりに気を遣わせないように、罪悪感を抱かせないように。


 ちゃんと、ただの友達に戻るのだ。

 だから、ここにいる間は弱音を吐くことを許して欲しい。


 瞳から、一粒涙を零れ落とした時だった。

 背後から誰かに抱きしめられて、途端に体が温もりに包まれた。


 ふんわりと香る、優しいお花の香り。


 「…っ、見つけた」


 息を切らしながら零れる声も、間違いなくあの子のもので。

 晴那が求めてやまない、大好きな彼女がそこにはいた。


 どうしてここにいるのかと、問い詰めるよりも先に、ひまりが言葉を漏らす。


 「…ごめん」

 「なんで、いるの…っ」

 「シマに…会いたかったから」


 その言葉に、勘違いしそうになる。

 振り解こうと、もがいても、力が強くてかなわない。


 「離してっ」

 「シマ…っ」

 「もういやなの…これ以上好きになりたくない、期待させないでよ」


 手を振り解こうとすれば、バランスを崩して後ろに倒れ込んでしまう。

 バシャッという水を弾く音と共に、体は海水まみれになっていた。


 覆いかぶさるように倒れ込んできたひまりの顔を至近距離で眺めながら、自分に言い聞かせるように声を上げる。

  

 「…小森先輩と付き合ってるんでしょ」

 「違う…話聞いてよ」

 「キス、してたじゃ…」


 それ以上は、何も言えなかった。

 事故ではなくて、意図的に、彼女によって唇を重ねられたからだ。


 あの日、初めて知ったひまりの唇の感触。

 一度も忘れた日などない。


 ゆっくりと唇を離して、彼女は長い間晴那が欲しくて堪らなかった言葉をくれた。


 「シマが好き」


 想像もしていなかった言葉に、目を見開く。


 今更ながらに、ひまりが制服姿であることに気づいた。ローファーのまま海に入って、制服も海水まみれ。


 浅瀬の方には彼女のもとの思わしきスクールバッグが放り出されていて、濡れることなんてお構いなしに、晴那を迎えに来てくれたのだ。

 

 「小森先輩とは付き合ってない。進路の相談してたら、勘違いさせてキスされただけ。あの後足蹴りして、骨折させた」

 「骨折…!?」

 「ヒビ入っただけで軽症だから」


 ひまりが言っていることが、都合のいい晴那の妄想ではなくて真実なのだとしたら。


 本当に、彼女の言葉を信じていいのだろうか。


 「信じてないの 」

 「…私、女の子だよ」

 「見ればわかる」

 「初恋の男の子だけど…男の子じゃない。それでもいいの?」

 「初恋の子は男の子じゃなかったけど、それでも好きになった。女のシマが可愛くて仕方ない」


 自然と、瞳の奥底から涙が込み上げてくる。

 困ったように、ひまりはその雫を拭ってくれた。


 恋を知ってから、泣いてばかりいたけれど、こんなにも暖かい涙は初めてだ。


 「どうしたら信じてくれる?」

 「……晴那って、呼んで」


 ぼやける視界の中でしっかりと目を見て伝えれば、ひまりは優しく微笑んでいた。


 そしてハッキリと、不器用なひまりが誤魔化すこともなく、素直な気持ちをくれたのだ。


 「好きよ、晴那」


 堪らなく愛おしさがこみ上げて、力強い力で抱きしめる。

 同じようにひまりも返してくれるが、二人とも海水まみれで、どちらからもお揃いのシャンプーの香りは感じない。


 ひまりの唇を見れば、いつもピンク色の彼女の唇がテラコッタ色に染まっていることに気づいた。


 「口紅、うつっちゃってる」

 「晴那も、ピンク色になってるよ」


 二人で顔を見合わせて笑い合う。

 お互いがお互いの色で染められているようで、それがまた愛おしい。


 自然と、再び二人の顔が近づいて、優しく触れ合った。

 更に深く混ざり合うように、何度も唇を重ね合う。


 「……帰ろっか」


 その言葉に強く頷いてから、手を繋いで海を後にする。

 もう一度ここに来られるのはいつになるだろう。

 東京に戻れば、気軽に沖縄へ来ることは難しくなる。


 だけど、ひまりがいるなら、あの生活も悪くないと思えるのだ。

 東京で過ごす日々も、ひまりがいるだけで幸せで堪らなくなる。


 この場所も、東京も。心の底から好きだと思える。

 左手に愛おしい人の温もりを感じられることが、晴那にとって何より大切で、幸せなことなのだから。

 

 (了)





 



 

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ゆらはなひまり ひのはら @meru-0731

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