第48話


 心はいまだにジクジクと痛んで、晴天な空とはひどく対照的だった。


 昨晩はろくに眠ることも出来ず、泣いたせいで肌のコンディションも最悪。


 素通りしてしまおうか悩んだ彼女の家の前で、気を引き締めるように自身の頬を叩いた。


 「……よし」


 一晩中考えて、導き出した答え。


 今は無理でも、いずれはひまりと以前のような関係に戻りたいのだ。


 過去に遡るというよりは、新たな二人の関係で、以前のように笑い合いたい。


 すぐに叶うことではないかもしれないが、少しずつ、前を向いていきたいのだ。


 合鍵を使って部屋へ入れば、ひまりは既に起きており、酷く驚いた顔をしていた。


 あんなことが合った手前、まさか起こしに来るとは思わなかったのだろう。


 「え……」

 「おはよう、ひまり」

 「おはよう…」


 相変わらず、彼女と目線は合わなかった。

 チクリと痛んだ胸に気づかないフリをして、無理やりに笑みを浮かべる。


 たとえ結ばれなくても、友達としてそばにいたい。


 それが晴那の我儘だったとしても、彼女から距離を置かれるまでは、側にいることを許して欲しい。


 「私、ちゃんと忘れるから」

 「……忘れるって」

 「ひまりのこと、好きな気持ち。忘れて、前向いて…また、友達に戻れるようにするから、安心してね」

 「でも……」


 それ以上、ひまりが言葉を続けることは無かった。  

 上手い言葉が出てこなかったのか、掛ける言葉がないと、呆れられてしまったのか。


 やはり、今までと同じにはいかない。だから、少しずつ前に戻していきたい。


 申し訳なさそうに、時折チラチラとひまりがこちらに視線をやってくる。

 

 決まって晴那が見ていない時で、そちらを見ればすぐに顔を逸らされてしまうのだ。


 晴那の恋心が、ひまりにこんなにも気を使わせてしまっている。

 それが何よりも、心苦しくて堪らないのだ。




 久しぶりの学校はいつも通り、何も変わっておらず、つい懐かしいと言う感情がこみ上げてくる。


 数か月ぶりに会うクラスメイトの中には髪の毛を切った生徒がいれば、明るい色に染めている生徒など様々で、その変化が見ていて楽しかった。


 かったるい始業式を半分ほど眠って乗り越えてから、再び教室へと戻れば、来月に行われる文化祭に向けて、文化祭実行委員を中心とした議論が始まっていた。


 「なんでもいいんで適当に案出してください」


 教師の代わりに、実行委員として壇上に立っているのはひまりだ。

 よく覚えていないが、実行委員は4月の初めに決めたそうで、推薦されるままにひまりが採用されてしまったらしい。


 面倒くさそうに語尾を伸ばしながら、司会と書記を同時に進行している。


 黒板に皆が出したアイデアが、白いチョークで書き連ねられていく。


 少し丸いひまりの文字が、女の子らしくてかわいかった。

 皆が実行委員である彼女に視線を送っているから、晴那もいまだけは堂々とひまりの姿を盗み見れる。


 まだ、ひまりに対しての恋心は断ち切れたわけではない。昨日の今日なため当然だが、いずれは乗り越えていかなければいけないのだ。


 早く乗り越えなければいけないと分かっているけれど、まだまだ時間は掛かってしまいそうだった。




 


 校舎裏へと向かえば、以前よりも空気が澄んでいることに気づいた。夏は確かに終わりへ向かっており、あっという間に秋が訪れてしまうのだろう。


 天気の良い日差しの中、晴那は由羅と二人で、校舎裏で昼食をとっていた。空き教室と違って机がないのは不便だが、埃っぽくないという利点もある。 


 ひまりは、文化祭実行委員としての集まりがあるらしく、これからしばらく昼食は共にできないらしい。

 そのため、文化祭が終わるまでの間は由羅と二人きりになるのだ。


 お昼ご飯を頬張りながら、話題は勿論文化祭の出し物についてだった。


 「出し物はもう決まったの?」

 「お化け屋敷です…由羅さんのところは?」

 「体育館で劇やるらしいよ。私は裏方だから楽できそう」


 当たり障りのない話題は本当に一瞬で、すぐに避けては通れない昨夜の出来事に話の流れが移る。


 二人を置いて、晴那は一人公園を飛び出してしまったのだ。


 「ごめんね…昨日、私が変なこと言い出したから、会話の流れで告白することになっちゃって…」

 「…いいんです。何回も、言おうと思ってたことですから」

 「でも」

 「むしろ、言えてスッキリしました。こちらこそ、後片付けせずに帰ってごめんなさい」


 無理やり作った笑みが、痛々しいものであると自分でも分かった。

 彼女から向けられる瞳は、心配の色を強く宿している。


 「……文化祭、晴那ちゃんさえ嫌じゃなければ一緒に回りたいの」

 「もちろんです」

 「…2人で」


 その後付けに、つい言葉を詰まらせる。

 こういうとき、いつもあの子がいて、嫌がる由羅をお構いなしに自分もと割って入ってきたのだ。

 

 だけど、いまここにひまりはいなくて。


 それでもなお、彼女の存在を求めている自分が虚しくなる。


 友達に戻るためには、一度きちんと断ち切らなければいけないのだと、晴那はそっと首を縦に振っていた。

 





 夜となれば、昼間より体感温度が低くなってしまう。秋の訪れか、昼夜の温度差は以前に増して大きくなっている気がした。


 通販で購入した商品が届いた時に、入っていた段ボールを壊された隔て板にあてはめる。


 ちょうどぴったりで、あらかじめ準備していたガムテープで固定していれば、向かい側のベランダの扉が開いた音が耳を掠めた。

 

 もう二人の間に壁はあるため、向こう側の景色は分からないのだ。


 「何してんの」

 「いつまでも開けっ放しもどうなのかなって…鍵も持ってるから、塞いじゃっていいでしょ?」


 返事はなく、沈黙が続く。

 ひまりがどんな顔をしているのかも分からない中で、晴那は更に言葉を続けた。


 「実行委員忙しそうだね」

 「まあ…でも、当日は別にすることないし。準備が忙しいってだけで…」

 「そっか…がんばってね」

 「あのさ、文化祭…当日誰と回るの?」

 「…なんで?」

 「せっかくだから、一緒に回り…」

 「由羅さんと、回る約束した」


 愚かな自分がこれ以上期待しないように、晴那は彼女の言葉を遮るように声を被せた。恋をすると、どうしてこんなに判断力も、思考力も低下してしまうのだろう。


 彼女の何気ない言葉に一喜一憂して、自分の良いように受け取りたくなってしまう。


 このままでは、いつまで経っても二人は友達に戻れないのだ。

 

 「2人でって約束したから、一緒には回れない。ごめん」

 「……あっそ」


 素っ気ない言葉を最後に、向こう側から扉を閉める音がした。


 これでいいとのだ、グッと自分を抑え込む。

 友達としての距離感を誤ってはいけない。

 寂しくて堪らないけど、今は仕方ないことなのだ。


 だけど本音は決まっていて。

 今すぐにも訂正したくなってしまう自分が、本当に愚かで仕方なかった。

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